【第6話】
あと少しで定時だという頃合いに、課長のレイモンドが戻ってきた。
「裁判記録の作成は終わったか?」
「白紙だが」
「はあ!?!!」
平然と第18分室に顔を出してきた課長のレイモンドに、キクガは大量の白紙を突きつけた。「裁判記録をまとめるように」という理不尽な命令に反抗した結果の産物である。
堂々と白紙を広げるキクガとは対照的に、ミハイルや他の記録課所属の獄卒は顔面蒼白の状態だった。任せられた仕事を終えることが出来なかったのだ。多少の責任を感じていることだろうが、そんなものを抱く必要は一切ない。
裁判記録を作成するのは冥王裁判課の仕事である。実際の裁判を見ていないキクガたち記録課が作成するのは無理がある。冥王の裁判に同席していれば作成も容易だっただろうが、見ていないものを想像して書くなど無理な話だ。
キクガは白紙の束でレイモンドの樽のように膨れた腹を叩き、
「君が作りなさい。君が冥王第一補佐官に媚を売る為の手段として、こちらを使わないでほしい訳だが」
「ふざけるな!!」
顔を真っ赤にしたレイモンドがキクガの手を払う。握られていた大量の白紙がバサリと床に叩き落とされた。
「裁判記録をまとめるぐらい簡単だろう!! 何故やらなかった!! ボクが冥王第一補佐官に怒られるだろう!!」
「君がやりなさい。君が引き受けてきたのならば」
「口答えをするな!!」
「余計な仕事を増やす無能上司にとやかく言われる筋合いなどないが」
顔を真っ赤にして怒り狂うレイモンドに、キクガは淡々と応じるだけである。どれほど怒鳴られようとキクガには何も響かなかった。
直接的に怒鳴られているのはキクガだけなのに、何故か他の獄卒は顔面蒼白のままガタガタ震えていた。怒鳴り声をこんな間近で聞けば、彼らの精神衛生上よろしくはないだろう。早々に黙らせるのが先決か。
すると、
「キクガよ、帰るぞ。今日の晩飯はお前が言っていた『ハンバーグ』とやらにする予定だが」
「む」
怒鳴り散らすレイモンドの横から、ひょこりとオルトレイが顔を覗かせる。呑気なもので、今晩の献立まで発表してくれた。この状況を読んでいない発言は如何なものかと思うが、今は助かった。
「オルト、助けてくれないかね。この金髪豚野郎がブヒブヒと先程からうるさくて」
「誰が豚だと!!」
「キクガよ、たとえそれが事実だとしても他人の容姿を貶すのはよくないぞ。豚に失礼だ。美味しいからな、豚は」
「豚扱いをするな!!」
流れるように豚扱いした挙句、遠回しに「お前は豚以下だ」と貶すオルトレイにレイモンドは声を荒げる。だが、相手は図太い神経の持ち主である。飄々と豚の怒りなどかわすだけだった。
「で、何をそんなに怒鳴り散らしているのだ。血管が切れるぞ」
「この馬鹿が仕事をしなかったのだ!! 散々言い訳を垂れ、自分の非を認めん!!」
「んん?」
レイモンドがキクガを指差してくる。その太い人差し指を叩き折ってやろうかと思ったが、不思議そうに首を傾げたオルトレイの言葉に動きを止めた。
「仕事をしなかった? 記録課の仕事は終わったと聞いていたのだが」
「裁判記録の作成を怠ったのだ!!」
「それは冥王裁判課の仕事であって、お前たち記録課の仕事ではないはずだがな。そもそも裁判記録は冥王の裁判の様子を記録したものであり、キクガや他の獄卒が同席していれば作成できたものを同席もしていないのに裁判記録など作れるはずもないだろう。想像で書けばそれこそ冥王からの雷が落ちるぞ」
「…………」
オルトレイに淡々と事実を述べられ、レイモンドは口を閉ざしてしまった。キクガが思っていたことを、そっくりそのままオルトレイが言葉にして伝えてしまった。
言い訳の出来ない事実を突きつけられ、阿呆な豚野郎は黙りこくるしかない。愉快である。白飯が3杯ぐらいは食べられそうだ。
その時、
「何だ、騒がしいな」
コツコツと足音を立てて姿を現したのは、冥王第一補佐官のキサラギだった。いつも通りの神経質そうな仏頂面を携えて、わざわざ記録課まで何故か足を運んできた。
おそらくレイモンドが安請け合いをしてきた裁判記録とやらを受け取りに来たのだろう。レイモンドの瞳の奥が一瞬だけ狼狽えるように揺れるが、何か妙案でも浮かんだのか「補佐官様!!」とキサラギに駆け寄る。
彼は泣きそうな表情を見せ、
「大変申し訳ございません、愚かな部下が裁判記録の作成を怠りまして……」
「定時までには作成が終わっていると聞いたが?」
「申し訳ありません……そこの馬鹿のせいでして……」
レイモンドがキクガを再び指差す。何度も馬鹿と言われてそろそろ苛立ちを覚えてきた。
キサラギの鋭い眼光がこちらを見据える。そして予想できていたと言わんばかりにため息を吐いた。冥王に反抗してからというもの、彼から妙に嫌われているような気がするが別に気に入られたくもないのでどうでもいい。
反対に睨み返すと「何だ、その態度は!! 謝れ!!」とレイモンドが怒鳴りつけてくる。無能上司どもに下げる頭などないので無視した。
空気が悪化の一途を辿る中、裁判記録用の紙を魔法で拾い集めたオルトレイがニヤリと笑って言う。
「そこの豚の甘言をまんまと信じた愚かな冥王第一補佐官殿、この事実を冥王に伝えたらどう思うだろうな。少なくとも『それは其方たちの仕事だろう』と呆れられるだろうなぁ?」
「なッ、それはこの男が」
「出来ん仕事を振る方が悪いし、見栄を張る方も悪い。そんな訳で」
オルトレイは駆け出した。
年の功を感じさせる振る舞いや口調からとても想像できないほどの足の速さで、廊下を駆け出す。あっという間にその姿は廊下の彼方へと消えていき、ついでに楽しそうな彼の声が尾を引く。
「冥王様ああああ!! キサラギと記録課課長が仕事をサボったぞ!! 裁判記録の作成を冥王第一補佐官殿が怠ったぞおおおおお!!」
「止めろ!! 何を言っている!!」
「この腐れ魔法使いが!! 待て!!」
遠ざかるオルトレイを、キサラギとレイモンドが必死に追い縋る。だが、オルトレイの姿はすぐに見えなくなってしまったので追いつけないだろう。冥王の耳に内容が届くのも時間の問題だ。
連中の処理は信頼できる魔法使いに任せるとして、あとは帰り支度をするだけである。キクガはやれやれと肩を竦めて第18分室へと振り返った。
そこでようやく、仕事部屋の空気が冷ややかであることに気がついた。獄卒たちの誰もがキクガを冷たい目で睨み、自然と距離を取っている。朝の和やかな空気感はもはやない。
「余計なことをしやがって」
「課長に目をつけられたら俺たちにもどうなるか……」
「何なんだよ、あいつ……」
呪詛が吐かれる。吐かれる。吐かれる。
ヒソヒソと漣の如く押し寄せる同僚の呪詛にそっと息を吐き、キクガはさっさと仕事部屋から立ち去った。




