【第2話】
しばらく試験問題に挑んでから、ちょっと休憩である。
「10年分ぐらいの文章を読み上げたぞ……」
「楽しい」
「試験問題を楽しめるお前の心の強さに感服する」
オルトレイは冷めた紅茶をゴクゴクと飲みながら言う。
読み上げてくれる文章はあえてキータイプが難しいように設定されているようだが、キクガの敵ではなかった。難なく文章を打ち込み、誤入力なく文章を完成させてオルトレイを驚愕させた。
それよりもオートマチックライターを打ち込むのが楽しくて仕方がない。そもそもタイプライターに強い憧れを抱いていたキクガである、魔力で動こうが電気で動こうが打てれば何でもよかった。
ホクホク顔のキクガは、
「これを自室にも導入したい訳だが。1台おおよそいくらぐらいになるかね?」
「金貨5枚からだな。あまり使う人物はいない」
金貨5枚という価値が日本円でどの程度なのか分からないが、とりあえず結構な高額であることが彼の口調から予想される。これはお金を貯めなければならないだろうか。
「それにしても、俺はお前が冥府書記官の才能があることに驚きを隠せないが」
「そうかね?」
「そうだ。誰しも聞いた話をそのまま文章に起こすことが出来る訳ではない。オートマチックライターに慣れている人間も少ないしな」
感心するような口振りのオルトレイに、キクガは首を傾げた。
キクガの元いた世界ではパソコンの普及率が高く、キクガ自身もブラインドタッチによるキータイピングの技術を習得している。キクガ自身もタイピングは速い方だが、世の中にはまだまだ上には上がいるものだ。彼らなら完璧に、いいやそれ以上の成果を残せるかもしれない。
元の世界に残してきた、かつての部下の存在が恋しい。彼らがいれば記録課の獄卒を総とっかえして自分に都合のいい部署を作ることが出来たかもしれない。無い物ねだりはいけないことだとは思うが、そう考えてしまうのは仕方がないことだ。
「このぐらいの腕前ならば合格は間違いないだろう。すぐにでも記録課に勤務が出来るだろうよ」
「そうなのかね? 何か必要な手続きがあるとか」
「異動願いを俺と、記録課の課長に提出すればいいだろう。あのど腐れ記録課の豚野郎が素直に応じるとは思えんが、冥府書記官の資格を手土産にすれば異動できるだろうよ」
オルトレイは非常に楽しそうな口調で、
「何せ冥府と名前がついた資格なのに、記録課の獄卒どもは冥府書記官の資格を誰も持っておらんのだ。きっと歯噛みして悔しがるだろうなぁ、自分よりも優秀な獄卒が部下にやってきたらあいつはどう思うか!!」
「いじめられそうな訳だが」
「お前がいじめなどというくだらないものに屈するか? どうせ暴力で支配するだろう」
「私のことを何だと思っているのかね」
ジト目でオルトレイを睨みつけるキクガだが、相手には何も効いていなかった。鼻歌混じりに紅茶のおかわりなどを入れている。本当にキクガのことを何だと思っているのか。
まあ、事実その通りではあるのでそれ以上の反論はしない。キクガはいじめに屈するような性格をしていないし、暴力と知略の世界を根性で生き残ってきたのである。陰湿ないじめなど倍返しする理由を与えるようなものだ。
オルトレイは「そうだ」と言い、
「冥府書記官の資格試験の日取りを確認せねばな。あの試験は中央魔法裁判所主催で執り行われる。結果はその日のうちに出るだろうから、日帰りが出来るぞ」
「日帰りとは、一体どこで受けるのかね」
「何を言っている。中央魔法裁判所は現世にしかないぞ」
キクガの質問に、オルトレイは「何を言っているんだ」と不思議そうにしていた。そんな態度を取られても困る。
「……つまり現世で試験を?」
「だからそう言っているだろう」
「行けるのかね、現世に」
「現状、お前だけになるだろうがな」
何故か便箋と羽ペンを魔法で手元に呼び出しながら、オルトレイは答えた。
「冥府天縛が封じていた冥府転移門は、冥王でさえ開けることが出来なかった代物だ。冥府天縛が選んだ奴だけが通ることを許されている」
「そうなのかね」
キクガは不安げな眼差しでオルトレイを見据え、
「君がついてきてくれることは……?」
「俺はもう死んでいる。死者が現世を彷徨くことは法律で許されていないのだ」
「ならば法律を変えれば」
「そのようなことが罷り通れば世の中は大混乱になる。止めておけ。死者がいるからこそ、現世で生きる人間は己の人生を大事にするのだ」
オルトレイは子供に言い聞かせるような優しい口調でキクガを諭しつつ、何やら1通の手紙を書き終えた。その手紙をおもむろに魔法で出現させた炎で燃やす。
燃やされた手紙は灰も残らずオルトレイの手の中から消え、紙が燃える焦げついた臭いが鼻孔を掠めた。せっかく書いた手紙をどうして燃やすのだろうか。
キクガは赤い瞳を瞬かせ、
「それは一体?」
「中央魔法裁判所に手紙を送った。冥府書記官の資格試験の日取りを聞きにな」
オルトレイは椅子に深く座り直し、追加で入れた紅茶を啜る。
「冥界と中央魔法裁判所は表裏一体の存在で、手紙による情報のやり取りは可能だ。試験の日取りが分かり次第、徹底的に資格試験の対策と受験方法を叩き込むから覚悟しろ」
「君が一緒に」
「お前は異世界の人間だから死者であっても現世を彷徨いたところで咎められんだろうが、俺はもう大多数の人間が死者と認識しているのだ。法律違反で地獄の刑場に叩き込まれることになるだろうに。頑張って1人で行ってこい」
「むう」
「子供か、お前は」
唇を尖らせるキクガに、オルトレイが苦笑した。
その時、ボボッと音がしてオルトレイの目の前に炎を纏った手紙がひらりと落ちてきた。空中で器用にそれを掴み取り、オルトレイは手紙に付着した炎を軽く払う。
手紙に捺された封蝋には、天秤の紋章が刻まれていた。オルトレイの言う『中央魔法裁判所』という場所から早速手紙が返ってきたのだ。
「さてさて、試験の日取りは――――は?」
いそいそと封筒を開けて返事を確認するオルトレイだが、その内容を読み込んで固まった。青色の瞳を見開いて、わなわなと震えている。
「どうかしたのかね。何か不都合なことが? まさか試験資格がないと?」
「いや、そうではない……そうではないのだが……」
オルトレイはそれまでの自信ありげな声を急に弱々しくさせて、
「すまない、キクガ。冥府書記官の資格試験、明日だ」
「何と」
キクガもまた驚く。
資格試験が明日など、色々と間に合うのだろうか。受験の申込とか、何やら色々な準備が必要ではないのか。まあここは異世界なのでキクガの常識が通用しないでもおかしなことはないのだが。
それよりも、明日が資格試験ならば獄卒の仕事はどうなるのか。いやまともに働いてはいないし、なっていることと言えば掃除と異世界知識の吐き出しぐらいなのでいてもいなくてもどちらでもいいのだが、休まなければならなくなる。
「ど、どうしたら」
「とにかく俺は受験に必要な書類を作成する。キクガ、お前は休暇願いを作れ。冥王宛にしろ。作ったらあとは俺がどうにかしてやる」
「すまない、何から何まで迷惑を」
「試験日を把握していなかったこちらも悪い。謝るな、いいから作れ」
促されるままオルトレイから白紙の羊皮紙を手渡され、キクガは慣れない羽ペンで休暇願いを作成するのだった。




