【第4話】
どこからか、ちーんという音が聞こえた。
「何かね?」
「ああ、記録課の部屋が近いのだろう。連中の使う仕事道具だな」
音に反応して首を傾げるキクガに、オルトレイが軽く説明する。
呵責開発課の作業場を出てからおよそ5分、ようやく周囲の景色が変わってきたと実感した。そもそも呵責開発課の作業場が遠いのである。さながら陸の孤島だ。きっと呵責開発課に異動となった獄卒は、陰で「島流し」と揶揄われていることだろう。
廊下の角を曲がると、真っ直ぐに伸びる廊下の両脇にいくつもの広い部屋が並んでいた。開け放たれた扉から、絶えずカタカタチーンという音が響いてくる。仕事道具と言っていたが、果たして何の仕事道具を使っているのか。
部屋の様子に興味が湧いたキクガが手近にあった部屋を覗くと、
「おお」
横に長い部屋には広さに合わせた机が設置され、机の上に一抱えほどもある機械が鎮座している。まるで電話の交換機のようだ。表面にはいくつも穴が開き、その機械の前に座り込む獄卒の耳を覆うヘッドフォンと太い線で繋いでいた。
そしてカタカタチーンという音が、獄卒たちが無心で叩くタイプライターの見た目をした機械から響く。キーを打ち込むたびに機械に挟まった羊皮紙が右から左に流れていき、最終行まで入力すると改行する為にチーンという音が鳴る。あれには個人情報が記されているのだろう。
呵責開発課の作業場とはまた違った音に満ち溢れており、黙々と作業に没頭する獄卒たちの背中を眺めるキクガは瞳を輝かせて小声で言う。
「これは素晴らしい訳だが」
「どこがだ、地味な作業だろう」
オルトレイは黙々と機械に向かう獄卒たちの背中を一瞥し、
「作業こそオートマチックライターを使用しているが、それでも絶えず流れる情報を一言一句漏らさず打ち込む作業は至難の業だ」
「あれはタイプライターと呼ぶのでは」
「ほう、異世界にも似た機械があるとは驚いた。あれは魔力を充填させることで自動的に改行できるようになっているが、異世界の奴はどうなのだ?」
「手動でやるものと、同じく自動で改行されるものがあると聞いたことがある訳だが。私の時代では見たことがない」
この世界ではタイプライターのことを『オートマチックライター』と呼ぶようである。そもそも記録課に配属となれば必然的にあのような仕事に従事することになるのだろうか。
どちらかと言えば、キクガは入力作業などの地味な仕事が好きな性格である。一言一句漏らさず情報を入力するなど容易いことだ。元の世界でも似たような仕事はやったことがあるので自信はある。
オルトレイには悪いが転属希望を出せるかどうかと頭の中で考えていると、不意にオルトレイの足が止まった。
「ここだ」
「先程見ていた部屋と変わらない様子だが」
「戯け。よく見てみろ」
先程見学した部屋と全く同じ内装の部屋だが、オルトレイが指し示した先には明らかに身分の高い役職に就いた獄卒が座る席があった。
立派な執務机に腰掛けているのは、真っ黒なスーツを身につけた金髪の男性である。シャツも黒、ネクタイも黒、ネクタイを留める高級そうな見た目をしたピンだけが鋼色に輝いているものの使用されている宝石が黒曜石である。どこまでも黒で統一されていた。
シャツとスーツの上着を押し上げる腹はでっぷりと突き出ており、樽のように膨れた腹を揺すりながら柔らかそうな執務椅子に腰掛ける男は、まるで音楽でも聴くように両耳をヘッドフォンで覆う。他の獄卒たちと同じように絶えず流れる個人情報に耳を傾けているのだろうが、目の前に置かれたオートマチックライターを叩く気配がない。
キクガはあの太った男を指差し、
「豚まで獄卒として雇うとは、そこまで人手が足りていないと?」
「おい止めろ、正直に言ってやるな。それにしか見えなくなったらどうしてくれる」
オルトレイは厳しい口調で叱咤するが、その口元は僅かに緩んでいた。笑いを堪えている証拠である。彼と一緒に同行してきた呵責開発課の獄卒たちも口元を押さえて肩を震わせていた。
「あれが記録課の課長だ。記憶力がいいらしくて、ああやって全部の情報を聞いてから入力をするらしい。効率はすこぶる悪いが、入力漏らしがないから課長の椅子に座り続けることが出来るのだ」
「なるほど」
それはつまり、彼以上の技術を持っていれば下剋上は容易いということだろう。記録課乗っ取りの算段もついた。
キクガが邪悪なことを考えている横で、オルトレイは「邪魔するぞ!!」といつもの馬鹿でか声と共に記録課の仕事部屋へ足を踏み入れた。キクガも先を行くオルトレイと先輩獄卒たちのあとに続く。
オルトレイはでっぷりと太った男の耳に装着されたヘッドフォンを容赦なく外した。急にヘッドフォンを取り外されたことで、太った男は怪訝な顔をオルトレイに向けてくる。外した相手がオルトレイだと分かるや否や、思い切り顔を顰めた。
「何だ、呵責開発課か。ボクの仕事の邪魔をしないでもらおうか」
「戯け、用事もないのにこんな場所に来るか。お前の顔なぞ進んで見たかねえわ」
オルトレイは工具箱を揺らし、
「機材の点検だ」
「おお、自ら点検作業に乗り込んでくるとは殊勝なことだな」
「お前のところだけは壊してやろうかな」
「冥王様に言いつけるぞ」
「やってみろ。俺は冥王の頼みで復職したのだ、俺よりも優秀になってから出直せ」
偉そうなことを言う記録課課長に対して横柄な態度で応じるオルトレイは、早速とばかりに執務机の影に隠された個人情報を収集する為の機材の側に座り込む。側面の蓋を慣れた手つきで開けて、中の基板などを確認していた。
同じように、他の獄卒たちも手分けして個人情報を収集する機材の確認作業に移る。それまで仕事をしていた獄卒たちは迷惑そうな顔をしていたが、大義名分を得たと言わんばかりに休憩を取り始める。
オルトレイはキクガを指だけで呼び寄せ、
「個人情報をまとめた書物は冥王台帳と呼ばれる。そこにあるだろう、ずらっと本棚が」
「ああ」
キクガが顔を上げると、記録課の仕事部屋の大半は本棚で埋め尽くされていた。大規模な図書館もかくやとばかりに乱立する書架には、太さが様々な書籍が隙間なく詰め込まれている。
あれが冥王台帳なのだろう。人々の生前の記録が余すところなく記された、特殊な書籍。
オルトレイは書架の群れを顎で示し、
「あそこから探してこい」
「了解した」
オルトレイたちが決死の囮を引き受けてくれているうちに、キクガは静かに移動を開始する。奇跡的にも記録課の獄卒たちにバレることはなかった。
まるで「お前のことなど、どうでもいい」と言わんばかりの放っておかれっぷりに拍子抜けしながらも、キクガは呵責開発課の作業場で待つ双子の狼たちの為にアッシュの冥王台帳を探すのだった。




