【第3話】
結構綺麗になった。
「ふう」
綺麗になった呵責開発課の作業場を眺め、キクガは満足げに息を吐いた。額に浮かんだ汗も手の甲で乱暴に拭う。
とりあえず床に落ちた設計書やら要望書やら色々な書類は種類別に振り分け、それぞれ作業机にまとめて置いた。様々な形がある工具は、とりあえず同じ形の工具を集めて並べておいた。誰かが使う時に便利だろうかという配慮から来る行動である。
鉄板の隙間に入り込んだ機械油は、洗剤の在処が分からなかったので雑巾で水拭きをする程度に留めておいた。獄卒課の処刑が終わって戻ってきたオルトレイが何か言ってくれるだろう。
さて次はどこの掃除を、とキクガが作業場の出入り口へ振り返ると、
「ふええ……や、やっと戻ってこれましたぁ……」
ヘロヘロとした足取りで、黒髪に藤色の瞳を持つ女性獄卒が作業場へ倒れ込むようにして戻ってきた。誰かしらに引き摺られでもしたのだろう、彼女の着ている作業着の襟元がよれてしまっているし髪も盛大に乱れていた。
「大丈夫かね?」
「ひゃわあッ!?」
キクガが声をかけると、藤色の瞳を目一杯に見開いて女性獄卒は飛び上がる。それから「すみません、すみません!!」とキクガに向けて頭を下げ始めた。
「謝られても困る訳だが」
「そ、そうですよね、すみません……あの、お仕事をサボった訳じゃなくてあの課長に戻るようにとゴニョゴニョ……」
女性獄卒は尻窄み気味に何事か呟くが、最後まで聞こえなかった。どこかキクガに対して怯えているような態度も気になる。
「あ、あの」
「何かね?」
「アズマ・キクガさん、ですよね。獄卒課にいた」
「そうとも」
女性獄卒に指摘されて、キクガは鷹揚と頷いた。しかも名前まで知られているとは驚きだ。
とは思うが、よく考えると冥王第一補佐官を下着1枚にひん剥いたり、冥王ザァトを相手に誤審を叫んだりするような新人獄卒など知られて当然である。そして警戒されることも当たり前だった。彼女も「自分が何をされるか分かったものではない」と怯えているのだろう。
自分の中で結論が出たキクガは、女性獄卒に向き直ると素直に頭を下げた。
「すまない」
「ふええッ!? な、何で謝るんですかぁ!?」
「いや、どうにも怯えられているような気がしてならない訳だが。おそらく私の今までの悪行が君の耳にも入ってきているのだろう。どうか誤解しないでほしいのだが、私は誰彼構わず噛み付いたりするような輩ではないので安心してほしい訳だが」
謝罪するキクガに、女性獄卒は慌てた様子で「顔を上げてください!!」なんて叫ぶようにして言う。
「あ、あの、私のこれは癖みたいなもので……あの、私も色々な人にご迷惑をおかけして謝ってばかりであのそのあうあうあう」
「謝るのが癖とは」
「えと……はい、その、癖というか、何と言うか……」
女性獄卒はまるで逃げるようにキクガから視線を逸らすと、
「私、呵責開発課の前は冥王裁判課に在籍していたんです」
「ほう。もしかして、あの冥王第一補佐官殿の下で?」
「はい、そうです。キサラギ補佐官にはよく怒られていました……」
女性獄卒はしょんぼりと肩を落として言う。
確かにこの様子だと、あの神経質そうな性格のキサラギの逆鱗に触れてばかりだっただろう。あるいは理不尽なことで怒鳴られてばかりいて、とりあえず謝罪するしか手段がなかったから謝り続けていたら癖になってしまったのか。
キクガのいた世界では『パワハラ』と呼ばれる代物になり、社会的に罰せられる可能性が大いにあるクソみたいな行動である。だが悲しきかな、異世界にパワハラの概念はない。上下関係を叩き込まれた一般人なら萎縮して当然である。
「私ってば本当にお仕事がダメダメで、何をしても上手くいかなくて迷惑ばかりかけて。それでキサラギ補佐官にも『獄卒を辞めろ』と言われてしまったものですから向いてないんだなって辞めようかと思ったんですけど」
「キサラギ補佐官は殴らなかったのかね?」
「な、殴りませんよぉ!? 暴力はダメ絶対!!」
女性獄卒は「そうではなくてですね」と無理やり話を軌道修正する。
「オルト課長が、『お前は見込みがある』って言って呵責開発課に異動するように取り計らってくれたんです。課長からは色々と教えてもらいました。破天荒で気分屋な人なんですけど、面倒見がよくていい人なんです」
「それは私もよく知っている訳だが」
キクガも女性獄卒の言葉に同意するように頷いた。
オルトレイの面倒見のよさは身をもって知っている。何せ地獄の仕組みや刑場の構造、そしてどんな罪を犯せばどこの刑場に落ちるのかという常識まで根気よく丁寧に教えてくれたのはオルトレイである。本当ならば知っておかなければならないことを、呆れることなく教えてくれたことは助かった。
おかげで冥王ザァトの誤審を見抜くことになったのだが、結果的に内勤へ異動となったのだからよかったのだろうか。果たしてこの結果はよかったのか、よくないのか。
女性獄卒はくすくすと声を押し殺して笑うと、
「課長、自分のことを『世界で2番目に優しい魔法使い』って言うんですよ。世界で1番とか、世界で最も優しいとかじゃないんです。絶対に2番目に優しい魔法使いだって胸を張って言うんですよ」
「ふむ、ならば彼の中で1番優しい存在というのが気になる訳だが」
「私も気になって聞いてみたんですけど、教えてくれなかったんですよね。本当、誰だろう……」
女性獄卒は「ふぅ」と息を吐いたところで会話が止む。そして何かに気づいたような表情を見せた彼女は、
「すみませんすみません名乗らずに馴れ馴れしく会話しちゃってすみませんんんん!!」
「いや怒っていない訳だが」
「この不肖アヤメ・オリカゼ、首を切らせていただきますううううう!!」
「アヤメ・オリカゼというのかね、いい名前な訳だが。――ちょっと待ちなさい、せっかく並べた工具を首に刺そうとしないでほしい訳だが。さすがにメガネレンチで首を切ることは出来ない訳だが!?」
先端が丸まった工具を首に刺して自死を図ろうとする女性獄卒――アヤメ・オリカゼの暴走を止めるべく、キクガは彼女の手から工具を取り上げるのだった。




