【第1話】
そんな訳で、本日から呵責開発課に出勤である。
「おはよう、キクガよ。いい朝だな」
「む」
さながら魔王の城かと見紛う見た目をした冥府総督府を訪れたキクガは、煙草を咥えたオルトレイに出迎えられた。
煙草の紫煙とは似ても似つかない爽やかな香りを纏わせた魔法使いの男は、携帯用の灰皿らしい袋に吸いかけの煙草を押し込んで片手を上げて挨拶してくる。精悍な顔立ちにはにこやかな笑顔が浮かべられていた。キクガの出勤を心待ちにしていた様子である。
課長自ら出迎えに来てくれたことに申し訳なさを覚えたキクガは、
「すまない、オルト。待たせてしまったかね?」
「デートの言い訳みたいになるから言いたくはないが、事実なので言っておいてやろう。俺もちょうど今来たところなのだ」
「男同士でデートはないだろう」
「性差別はよくないぞ、キクガよ。世の中には男体妊娠という言葉もあるぐらいだからな」
軽い調子で笑い飛ばすオルトレイは、
「いや何、始業前はここで一服してから職場に向かうのが俺の日課でな。吸い終わるか終わらないかという頃合いにお前の姿が遠くから見えたから、ここで待っていたのだ」
「そうだったのかね。職場の場所が分からなかったので、君がいてくれて助かった訳だが」
「ん? 冥府総督府の内部は案内してもらっていないのか?」
「現場で働いていたからな」
キクガが事実を述べると、オルトレイはあからさまに深いため息を吐いた。
そう言えば、この冥府総督府に就職してから職場の案内をしてもらった記憶がない。現場で呵責の仕事をする際も、案内されたのは第1刑場ぐらいのもので他の刑場を見た記憶は一切ない。この1ヶ月で第1刑場と本部にある食堂を行ったり来たりするぐらいだった。
獄卒の現場は過酷であったし、課長のアッシュも業務が逼迫していて案内をしている暇がなかったのだろう。仕方がないかと割り切ろうとしたのだが、
「あーの、駄犬。説明するのが面倒だから案内を省略したな」
「アッシュも忙しいのだから、あまり気にしていない訳だが」
「はん、忙しいか」
オルトレイはキクガの言葉を鼻で笑うと、
「どうせ苦手な事務仕事で時間がかかるあまり、忙しく見えるだけだろうよ。全く、事務仕事ぐらい出来るように日頃から勉強をしておけと言っておいたのに、あいつは逃げてばかりで」
「オルト、アッシュをあまりいじめないでほしいのだが」
「いじめてなどおらん。あれをいじめたら俺が悪者みたいになるだろうに」
やれやれと肩を竦めたオルトレイは「行くぞ」と冥府総督府内を先導して進んでいく。キクガは先を歩くオルトレイの背中を追いかけた。
冥府総督府は見た目とは対照的に非常に広大で、石造りが特徴的だ。随所に設置された鬼火を閉じ込めたランタンがぼうと明かりを落としており、視界には困らない。これでランタンの存在がなかったら明るさは激減していることだろう。
冥府総督府内で勤務する獄卒たちと数名ほどすれ違ったが、誰も彼もがオルトレイとキクガに目を合わせない。それもそのはず、冥界の最高権力者に対して喧嘩を売りにいった2人である。目を合わせたくないのは理解できる。
真っ黒な百合の花を飾った花瓶などを興味深げに眺めていたキクガは、
「オルト、冥府総督府は随分と広いのだな」
「冥界が死者で溢れ返った際、とある偉大な魔法使いが『冥界がちゃんと罪人たちの罪を償わせる場所となり、現世の抑止力になるように』という名目で送られたのがこの建物だ。見た目以上に広大に見えるのは、高度な空間構築魔法が敷設されているからだろう」
「空間構築魔法……」
「そのままの通り、空間を構築する魔法だ。かの魔法使いはポケットの中にも異次元を作り出すことが出来るほどの天才でな、主要な建造物は大体そいつが作っている」
オルトレイの説明は淡々としていて、まるで「理解などしなくてもいいぞ」と言われているように聞こえた。
だが、キクガは1文字も漏らすまいと耳を傾ける。魔法は使えずとも、いずれ役に立つかもしれない知識だからだ。知識はいくらあっても困ることはない。
右に左にぐねぐねと冥府総督府内を進んでいくと、いつのまにか周囲が静かになっていた。どこまで続くか不明な廊下がひたすらに伸びている。
「オルト、これはどこまで」
「もうすぐ着くぞ」
オルトレイがそう言った瞬間、
――――ぎゃあああああああああああああああああああ!!!!
誰かの悲鳴が聞こえてきた。罪人を拷問したと言わんばかりの絶叫だった。
「な、何かね?」
「ん? 呵責の実験にしては悲痛めいていたが」
悲鳴の出所に、オルトレイも心当たりがない様子だった。不思議そうに首を傾げるばかりである。
やがてどこまでも伸びる廊下の奥から、黒い髪を引っ詰めた女性が物凄い速度で駆けてきた。藤色の瞳には恐怖心から来るだろう涙が浮かび、愛らしい顔立ちは全力で引き攣っている。何かから逃げている様子だった。
機械油に汚れた作業着と溶接用の鉄製マスクを頭に乗せたその女性は、オルトレイの姿を認めるなり表情を輝かせた。「課長!!」なんて希望に満ちた声がキクガの耳朶を打つ。
「アヤメではないか。久しいな」
「も、も、戻ってきてくれたあ!! 課長が戻ってきてくれたあ!!」
オルトレイに縋りついた女性の獄卒は、おいおいと涙を流してオルトレイの帰還を歓迎する。
「課長がいなくなってから本当に大変だったんですからぁ!! 戻ってきてくれた先輩とか班長とかみんな悲鳴をあげてますよぉ!!」
「なるほど、業務が溜まっているということか……」
オルトレイは廊下の天井を見上げて、ため息を1つ。
「すまん、キクガ。出勤早々に申し訳ないが、忙しくなりそうだ。覚悟しておいてくれ」
「問題ない、忙しさには慣れている訳だが」
キクガは真剣な表情で頷くと、
「とりあえず何徹が目安かね? 私は最大で5徹ぐらいまでなら」
「徹夜などさせるか戯けが。健康上の問題が出るような仕事のさせ方など俺の家名に誓ってさせんぞ」
背中をバシンと叩かれて気合を入れられたキクガは、女性獄卒に引っ張られて職場に連行されるオルトレイの背中を追いかけた。




