【第8話】
喫煙所はオルトレイ1人しかいなかった。
「ふう」
紙巻を口に咥えて魔法で火を灯し、中に詰め込んだ草を味わうように肺へ煙を取り込んだ。
オルトレイの中で『煙草』と言えば、熱を持った身体を鎮める為のものだった。生活していると、そのうち魔法を使う際の神経『魔力回路』が熱を持ってきてしまうのだ。その為、オルトレイは定期的にミントなどの草を詰め込んだ煙草を吸う必要がある。
娯楽として吸っている訳ではない。吸わなければ身体のあちこちに火傷にも似た症状が出てきてしまうので、必要な措置なのだ。こればかりは付き合っていかなければならない体質なので、仕方がないと割り切る。
まあ別にこんな体質を知られたところで自分に不利益が出る訳でもなし、同行者をつけてもよかったのだが1人になりたかったのは理由がある。
「む」
遠くの方からコツコツコツという足音が聞こえてきた。
キクガでも追いかけてきたのかと思ったが、違う。この足早に喫煙所へ近づいてくる足音は、忌むべき相手のものだ。
足音の主に予想を立てたオルトレイは、何も言わずに喫煙所の壁に背中を預ける。どうせ怒鳴り込んでくるのだから、今だけは静かに煙草を吸わせてほしい。
「――やってくれたな、オルトレイ・エイクトベル」
喫煙所の扉を開けるなり、冥王第一補佐官のキサラギが飛び込んでくる。その表情は怒りに満ちていた。
「冥王様に対する数々の不敬、許されると思うな。もちろん、私に対する無礼も謝罪してもらうぞ」
「謝罪する理由など、どこにもないが」
ふぅ、とミントにも似た香りのする紫煙を吐き出しつつ、オルトレイは言葉を続けた。
「まあ、出来るものならやってみろ。俺は絶対に謝罪などせん。事実を述べただけでぎゃーすか騒ぐとは、見苦しいことこの上ないな。全ての言葉が言い訳に聞こえる」
「何だとォ?」
キサラギの目元がピクリと痙攣する。このまま殴りかかってきそうな雰囲気さえあった。
しかし、相手が殴りかかってきたところでオルトレイは痛くも痒くもない。むしろ余裕を持って回避し、その澄ました顔面に拳を叩きつけるまで可能である。相手の非力さは分かりきっているので、あえて殴られてから正当防衛を狙うのも手段の1つである。
ただ、暴力はよくない。オルトレイは聡明にして、心優しい魔法使いであると自負している。相手がどれほどムカつく存在だとしても、言葉で諭してあげるのが肝要だ。
なので、オルトレイはキサラギの目を真っ直ぐに見据えて言う。
「――縁故採用のくせに」
次の瞬間、キサラギがオルトレイの横っ面を殴った。
強い衝撃、骨と骨が衝突する痛み。ただ、獄卒課の課長であるアッシュにぶん殴られた時よりも痛みはまだない方だ。やはり非力であることには変わりはなく、非力な獄卒がどれほど強く殴ったところで自分の拳を傷めるだけなのだ。
殴られた衝撃で飛んでいってしまった煙草を視線で追いかけるだけに留めたオルトレイは、改めてキサラギの顔を見やった。まだ吸いかけだったのに煙草がもったいないと頭の片隅で考える。
オルトレイを殴りつけたキサラギは、顔を真っ赤にして怒りを露わにしていた。『縁故採用』と呼ばれたのが、それほど屈辱的であるかのようだった。
「これ以上の愚弄は、許さんぞ」
「愚弄? これが愚弄に聞こえるか。なるほど、確かに聞こえ方によってはそう捉えられるのも事実だな」
オルトレイは手早く自分の腫れた頬を魔法で治すと、
「これは事実――そして憐憫だ。俺は心の底からお前を憐れもう。可哀想な縁故採用の冥王第一補佐官殿、せいぜい足元をすくわれぬように日々の努力を怠るなよ」
まあ、どうせそのうち退くことになるだろうが。
オルトレイはその本音を飲み込み、喫煙所の床に落ちてしまった煙草を指先で拾い上げる。もう地面に落ちてしまったので吸うことは出来ない。火のついた煙草を灰皿に押し込んで、喫煙所を立ち去る。
喫煙所から出たところで、背後から何かを殴りつけるような――あるいは蹴飛ばすような音が聞こえてきた。1人残ったキサラギが灰皿でも蹴飛ばしたのだろう。哀れな自傷行為にすぎない。
喫煙所から聞こえてくる鈍い音の数々から意識を逸らし、オルトレイは呟いた。
「冥界は道具じゃないんだぞ、全く」




