【第6話】
「な、な、なあッ!?!!」
黄門様の印籠よろしく羊皮紙を掲げるオルトレイに、キサラギが口角泡を飛ばして胸倉に掴みかかった。
「冥王様に退けと!? 不敬な、不敬だぞオルトレイ・エイクトベル!!」
「その手を離せ、ハスミ・キサラギ」
オルトレイは、その青い瞳に鋭い眼光を宿らせて言う。その覇気にやられたか、さしものキサラギもオルトレイの胸倉から手を離す。
一方のキクガは物事を完全に傍観していた。それはそれは楽しい泥沼の争い、というかほぼオルトレイによるワンサイドゲームが繰り広げられており、酒でも飲みたい気分に駆られる。この場にビール瓶でもあったらラッパ飲みしながら囃し立てていたかもしれない。
昨日は「冥王の座を引き摺り下ろしてやる!!」と啖呵を切ったが、よもやそれが実現しそうだとは思わなかった。こうも簡単に冥王ザァトを椅子から引き摺り下ろすことが可能だとは、一体どんな手段を使ったのか。
乱れた着衣を直したオルトレイは、
「そうだな、キサラギ補佐官よ。お前にもあるぞ、冥王第一補佐官の罷免に関する判決書がな。誤審を後押しした責任、お前にはないとでも言いたいか?」
「なッ」
キサラギは唇を噛み締めた。この場で何と言っても自分の首を絞めるだけだと自覚があるのだろう。凄まじい勢いでオルトレイを睨みつけるも、かの魔法使いは飄々と笑うばかりだ。
「馬鹿な、冥王を罷免など出来るはずがない」
「馬鹿はお前だ、愚王。物を知らぬ木偶人形が」
冥王ザァトが否定の言葉を重ねると、オルトレイは忌々しげに吐き捨てた。
「冥府総督府は現世にある中央魔法裁判所と表裏一体、相互監督の関係にある。中央魔法裁判所は現世に於ける法律の中心、善悪を分つ正義の象徴だ。生きているか死んでいるかの違いだけだが本質は同じである冥府総督府と中央魔法裁判所の判決は、当然ながら同じでなければならない」
罷免に関する判決書を懐にしまったオルトレイが次に取り出したのは、何かの裁判に関する情報をまとめた判決書だった。
被告人として記載された名前は、グレゴリオ・マディルカ。罪状は『異教信仰及び関連する殺人罪』とある。中央魔法裁判所の判決では、きちんと異教信仰の罪を認識していたのだ。
突きつけられた判決書に、冥王ザァトは色とりどりの眼球たちを細めて睨む。自分の下した判決と大違いだと理解したのか、彼の口から「ぬう……」と呻き声が漏れるだけだった。
「おや、この判決書に記載された罪状と違うではないか。しかも冥王殿は自らの判決を覆す気はないと言っていたな」
オルトレイは小首を傾げ、
「はてさて、異教信仰の罪はどこに消えた? まさかとは思うが食ったなどという馬鹿のことを宣う訳ではあるまいな」
今度こそ冥王ザァトは言葉を詰まらせた。これほど反論できないぐらいに逃げ道を徹底的に塞いでくる手腕はさすがである。聡明な魔法使いと呼ばれるだけある。
冥王ザァトは骨ばった指先を何度も組み替えて、答えを探している様子だった。だがどれほど指を組み替えたところで、徹底的に逃げ道を塞いできたオルトレイに敵う訳がない。誤審はそれほど重罪なのだ。
やがて深く息を吐いた冥王ザァトは、
「…………判決を覆し、当該罪人を所定の刑場に収容すれば満足か?」
「どうやらその色とりどりの眼球は偽物のようだな。よく見ろ」
オルトレイは再び罷免に関する判決書を広げ、冥王ザァトに突きつけた。
「ここにはお前の退位を願う文言など、どこにもない。あるのは決定事項だ。今更判決を覆したところでもう遅い、中央魔法裁判所は遅かれ早かれお前を冥王から引き摺り下ろすぞ」
「――――」
冥王ザァトから息を呑む声が聞こえた。
どう足掻いても冥王ザァトは冥王の座から引き摺り下ろされる。自らの誤った判断で、冥王の椅子を簒奪されるのだ。愉快すぎて笑い転げてしまいそうだ。
オルトレイは「だがまあ」と言葉を続け、
「俺はこうも言った、交渉に来たとな。これは脅迫という名の交渉材料に過ぎん。条件を飲めば『冥府総督府は改善の余地あり』と中央魔法裁判所に言ってやろう。幸いにも、まだ我が家の威光は使えるしな」
「……言ってみるがいい」
「おや、耄碌したか愚王。俺は先程から条件を言っているつもりだが?」
つまり、キクガを呵責開発課に移動させること――それが冥王ザァトが冥王を続投する条件だ。冥府総督府の秩序を乱しかねない異分子として追放処分を受けそうになったキクガだが、果たしてどう転がるだろうか。
「ちなみに言うが、誤審をやるような冥王が中央魔法裁判所に理由を説明しても無駄だぞ。最高裁判官のルージュ・ロックハート女史は大層ご立腹だ。『法律を守ることが出来ない冥王は不要』だとな」
「…………承知した」
冥王ザァトは搾り出すような声で、オルトレイの条件を受け入れる。
「アズマ・キクガ、本日付で呵責開発課への移動を命ずる」
「寛大な処罰に感謝する」
キクガは形式的に冥王ザァトへ頭を下げて、踵を返す。
ニヤニヤと楽しそうに笑いながらキクガを迎え入れたオルトレイは「よかったな」なんて言った。正直な話、彼が法廷に乗り込んでくれなければキクガのクビはあっさり切られていたかもしれない。命の恩人である。
それにしても、オルトレイの大立ち回りはどうにもあらかじめ用意されていたような気配がある。用意周到というか、誤審を話したのは昨夜のことだと記憶しているのだが、これほどの反論材料を一晩で用意できるものなのか。
「助かった訳だが」
「なぁに、異世界人などという貴重な人材をみすみす逃がす訳にはいくまい。これから鍛えてやるから覚悟しろ」
そう言って、オルトレイは茶目っ気たっぷりにウインクをした。




