【第6話】
「とにかくそこを退け。扉が開けられん」
「すまない」
オルトレイに扉の前から退くように命じられ、キクガは慌てて屋敷の扉の前から退く。
そこで気がついたが、オルトレイは両腕が塞がっている状態である。これではまともに扉を開けることすら出来ないだろう。鍵を取り出そうとすれば腕に抱えた巨大な紙袋から買ったばかりの商品が転げ落ちるかもしれない。
せめて荷物を代わりに持っていようかと提案しようとした、その時だ。
「〈開け〉」
オルトレイが扉に向かってそんな言葉を投げかけた。
すると、扉がオルトレイの呼びかけに応じるかの如くガチャンと施錠が外れた。そして屋敷の主人を招き入れるように、ひとりでに扉が開く。
使用人の誰かが開けたという訳ではない。扉の向こうには誰も立っておらず、扉を開けたような人物の影すら見当たらない。自動ドアのようだ。異世界にも自動ドアがあるとは思わなかった。
「自動ドア……」
「自動だと? 何を言っている」
オルトレイは呆れたような口振りで、
「全て魔法に決まっているだろう。鍵も魔法でかけるし、扉を開けるのも魔法だ」
「魔法とは便利なものだ。私も使ってみたい訳だが」
「使えばいいだろう」
さも当然と言わんばかりに返してくるオルトレイだが、まだキクガが魔法の技術も文化も存在しない異世界からやってきた事実を知らないらしい。元獄卒らしいのでキクガの情報が回ってこないのは当然のことだが。
ひとりでに開いた扉を平然と潜り抜けたオルトレイは、玄関先で立ち尽くすキクガへと振り返ると「入れ」と入室を許可してくれる。今度こそ、キクガは西洋風の見た目をした巨大な屋敷に足を踏み入れることが出来た。
コツン、と踵が大理石の床を打つ。扉を潜り抜けた先に待ち構えていたのは、屋敷の大きさに見合った広さを誇るロビーだった。すでに応接セットのような家財道具が用意されており、来訪客を待たせることに適した内装と言えよう。他にも壁には荘厳な油画や豪奢な柱時計、値段の分からない花瓶などが置かれている。
ふと天井を見上げると、
「シャンデリアまで」
「先程から何を言っている」
オルトレイは怪訝な顔で、キクガの視線に釣られるかの如く天井に視線を投げた。
3階までまとめてぶち抜いた吹き抜け構造となっているロビーの天井には、水晶で作られたらしい豪華なシャンデリアが煌々と明かりを落としていた。異世界だから電気の存在はないはずだが、果たしてどのようなエネルギーを用いて光っているのか。
照明器具まで豪華仕様だと、いくらキクガでも怖気付いてしまう。これでも金銭を取り扱う職業で働いていたのだ。この空間に果たしていくらのお金がかかったのかと脳裏によぎる。
しばらく一緒にシャンデリアを眺めていたオルトレイだが、
「何をしている。客間に案内するからついてこい」
「すまない。屋敷があまりにも広くて豪勢だから、ついどれほどの金がかかっているのかと」
「魔法を極めればどうということはない」
「また魔法」
大荷物を抱えたままロビーの左側に伸びる廊下へ姿を消すオルトレイを、キクガは慌てて追いかけるのだった。
☆
オルトレイに案内された客間も、それはそれは豪勢な見た目をしていた。
来訪客をもてなす為の食器類が収納された茶箪笥やふかふかすぎるソファ、ローテーブルには精緻な細工が施されている。部屋全体に敷かれた絨毯はふわふわで、床を踏んでいるという感触が全くない。まるで雲の上を歩いているかのようだ。
緊張気味に客間のソファに腰掛けて待機するキクガの前に、どこかへあの大量の荷物を置いてきたらしいオルトレイが姿を見せる。颯爽と歩く彼は真っ先に茶箪笥の前へと向かうと慣れた手つきで陶器製のティーポットを取り出した。
ティーポットに紅茶の茶葉を雑に投入しながら、オルトレイはキクガへ振り返ることなく問いかける。
「お前、名前は」
「これは申し訳ない」
キクガは居住まいを正し、
「昨日より地獄の刑場にて勤務を許された、アズマ・キクガだ。見ての通り、現場にて罪人を呵責する獄卒としての仕事に従事している」
「お前みたいな細身の奴が現場とは、世も末だな。それほど人手が足りていないと見た」
嘲るように言うオルトレイが人差し指を振ると、虚空から少量の水が生成されて陶器製のティーポットに注ぎ込まれる。手品のようにも見えるが、やはり魔法だろうか。
「キクガよ、時に聞くが」
「駄洒落かね。刺すぞ」
「いきなり何だお前」
自分の名前を揶揄われたのかと思って思わず鋭い言葉が出てしまったが、相手の反応を見る限りでは冗談の類ではないらしい。難儀なものである。
「誰かに何かを言われて、俺の屋敷に来た訳ではあるまいな?」
「誰かに何かとは」
「例えば冥王ザァトに、俺を説得して戻ってくるようにと言われたとか」
「何故?」
心の底から疑問に満ちた「何故?」の言葉が出た。
キクガがこの場所を訪れたのは、地獄の仕組みを知りたかったからだ。上司のアッシュに聞いたところでまともな返答はなく、詳しい人間を問えばオルトレイの元に案内された訳である。それ以外の人物の意思は絡んでいないし、ここに来たのはキクガの意思だ。
それは玄関先でも説明したが、どうやら今の今まで疑われていたらしい。オルトレイには「教えてやるから仕事に役立てろ」とまで言われたのに。
「すまんな、どうにもお前に対しては魔眼の力が上手く働かん」
「魔眼とは」
「俺には『感情感知の魔眼』というものが備わっていてな。他人の感情や心情がオーラ的なもので判別することが出来る」
用意できたらしい紅茶をカップに注ぎ入れ、オルトレイはキクガの前にカップを突き出す。反射的に受け取ったそれから、心の安らぐ花の香りが漂ってきた。
「魔眼で確認する限り、お前はここに来るまで『不安』を抱いていただろう。何かに失敗することを恐れていたのではないか?」
「それは確かにある」
キクガはカップの紅茶を啜りながら、オルトレイの質問に対して首を縦に振った。
「君からも地獄の仕組みについて分からんと言われれば、私は一体誰から話を聞けばいいのかね。仕事にならないではないか」
「お前、本気で地獄の仕組みについて学びに来たと?」
「本気だとも。知らないのであれば教えを乞うしかない訳だが」
上司のアッシュがまだ知識を持ち合わせていれば来訪することはなかったのだが、知識を持ち合わせていないのならば知っている人物に教えを乞うべきだろう。言われた通りに仕事をして日々を過ごすのは間違っている。そうすれば激務で身体を壊すだけである。
どこの業種でも言えることだが、最低限の知識は必須だ。知識がなければ隙を突いて悪さを画策することだって出来ない。まずは線引きを学ぶところからである。
キクガの回答にしばしポカンとしていたオルトレイだが、唐突に腹を抱えて笑い始めた。
「ふははははははははは!! 下心なしに本気で地獄の仕組みを学びに来る獄卒とは阿呆だな、他人に騙されるぞ!!」
「む、そうだろうか」
「知識のない阿呆はすぐに騙されるからな」
オルトレイは膝を打ち、
「だがいい、気に入った。俺はお前の真面目な姿勢を支持しよう。魔法使いは飽くなき知識欲に取り憑かれた馬鹿タレどもだからな、学ぼうという気概を持つ奴は何よりも好ましい」
「なる、ほど?」
言っていることは分からないが、とりあえずキクガの学ぼうとする姿勢にオルトレイはいたく気に入ってくれたようである。自らの意思で学ぶ姿勢を提示したのは、魔法使いにとって好印象らしい。
「そうと決まれば早速講義だな。待っていろ、俺の著書をいくつか貸してやろう。あとは参考になりそうな文献も見繕ってこようではないか。腕が鳴るぞ〜、俺はこう見えても教え方が上手いと評判だからな〜!!」
「何だか興奮気味な訳だが」
何故かめちゃくちゃ嬉しそうに部屋を飛び出したオルトレイを、キクガは困惑気味に彼の姿を見送るのだった。




