【第5話】
――冥界、5番街区。
ご婦人の説明通り、5番街とやらは住宅が多かった。
特に一軒家が多く、右を見ても左を見ても立派な一軒家が多い。しかもキクガの知るようなコンパクトな一軒家ではなく、ちゃんとそれなりの広さがある庭付きの平たい一軒家である。一気に海外みたいな空気感の街並みだった。
そして、件の魔法使いの屋敷は規格外だった。
「…………おお」
目の前に聳え立つ屋敷を見上げ、キクガは感嘆の声を漏らすしかなかった。
まず敷地が広大である。玄関ポーチに到達するまで子供が存分に駆け回れるほどあまりにも広すぎるし、何やら噴水まで取り付けられている。色とりどりの花々が咲き誇る花壇はよく手入れがされているようで、雑草も見当たらないほど整えられていた。
そして洋風のお屋敷の巨大さが目を引く。まるで宮殿かと見紛うほど立派なお屋敷は、果たして何人の使用人を抱えているのか。一軒家が建ち並ぶ住宅街に、こんな規格外の巨大な屋敷が収まっているのが異常である。
境界線であるかのように敷設された鉄製の門扉に指先を触れると、キィと何の抵抗もなく開く。これは入ってもいいのか。
「お邪魔する」
一応、礼儀として挨拶だけは忘れないキクガ。
広々とした玄関ポーチに足を踏み入れる。制服として支給された頑丈なブーツの底で踏み締める石畳の感覚は、西洋の古風な通り道を歩いているかの如くゴツゴツとしていた。そういう材質の石畳を使用しているのだろう。
ただ、見た目ほどかなりの広さがあるようだった。子供が十分に駆け回れるほどと評したが、噴水がある時点で広さを疑うべきだった。門扉を潜り抜けてから空間がやけに広がったのではないかと思いたくなるほど、玄関ポーチがあまりにも広すぎる。
たっぷり5分ほど歩いて、キクガはようやく洋風の屋敷の前に立った。扉の表面に取り付けられたドアノッカーを手に取る。
――コンコン。
とりあえずノックしてみた。
「…………ふむ」
ノックをして無反応な扉を見上げ、キクガは思案する。
もしかすると、ノックが聞こえていないのかもしれない。これほど巨大なお屋敷である、近くに使用人が通過でもしなければ気づかないだろう。
それならと再びノックをするも、コンコンという乾いた音が虚しく響き渡るだけだった。応答するような気配はない。
「むむ」
キクガは眉根を寄せる。
いくら何でも、客人のノックに対して使用人でさえも気が付かないのはおかしいではないか。一体この屋敷で勤務している使用人は何をしているのか。仕事をサボってお茶でも飲んでいるのか。
それなら随分と呑気な使用人どもである。親の顔ならぬ主人の顔が見てみたいものだ。使用人の教育さえ出来ない主人のアホヅラを目の前で拝み倒し、罵倒しまくってやろうとキクガは心の底で密かに決めた。
顰めっ面でドアノッカーを握るキクガは、半ばヤケクソ気味にノックを続けた。
――コンコンココッコンココココッコンココンコンコンコココンコココココンコココンコココンコンコンコン。
もはや叩きすぎて意味不明なリズムになってきた。
キクガはそれでもひたすらに、使用人たちに気付けと言わんばかりにドアノッカーを鳴らし続ける。気分は前職で債務者から貸した金を取り立てる時のようだ。あの時はひたすらインターフォンを鳴らして待っていた。
ここで、ふとキクガはノックを中断した。入り口が塞がっているのであれば他の道で作るしかない。窓でも割れば侵入は容易だろう。
手頃な石はないかと周囲に視線を巡らせた、その時だ。
「それ、楽しいか?」
「ッ!?」
背後から急に声が投げかけられた。
弾かれたように振り返ると、キクガの背後には数歩ほど間隔を開けて男性が立っていた。食材や日用品といった商品が大量に詰め込まれた紙袋を片手で抱えており、如何にも買い物帰りといったような雰囲気が漂っていた。
艶のある長い黒髪とサファイアを想起させる青色の瞳、精悍な顔立ちは20代後半から30代程度に見える。目鼻立ちは整っており、女性であれば誰もが放っておかない容姿をしていた。身長も高く筋肉質であるようで、シャツの布地越しに引き締まった肉体があることを感じ取る。
驚くあまり何も言わずに佇むキクガに、男は怪訝そうな顔で言う。
「先程から何をそんなにノックばかりしている。そんなものを楽器代わりにして演奏会か? 近所迷惑だぞ」
「すまない、ノックしても誰にも気づいてもらえなかった訳だが」
キクガはとりあえず謝罪をすると、
「実はオルトレイ・エイクトベルという魔法使いに話を伺いに来たのだが」
「俺がオルトレイ・エイクトベルだ」
「何と」
これまた驚きが隠せずに、キクガは口から驚愕の言葉が滑り出てきてしまう。
この若い男がオルトレイ・エイクトベルなのか。噂ではかなりの切れ者で長い期間を冥界で過ごしている魔法使いだと聞いていたので、てっきり老人の魔法使いだと思ってしまったのだ。
それがこんな年若い見た目をした男性だとは思うまい。聞いていた話とはだいぶ印象が違ってきてしまう。
黒髪碧眼の男――オルトレイ・エイクトベルは「はあぁ」とため息を吐き、
「お前たち獄卒と話すことなど何もない。帰れ」
「それは困る訳だが」
キクガはオルトレイへと向き直ると、
「どうしても地獄の仕組みについて学びたい訳だが」
「ん?」
オルトレイは不思議そうに首を傾げた。まるで「初耳だ」と言わんばかりの反応だった。
「地獄の仕組みだと?」
「ああ」
「そういうのはお前の上司の仕事だろうに」
「『知らない』と言われてしまった訳だが」
「はああぁ」
これまた深いため息を吐いたオルトレイは、ガックリと項垂れた。
「仕方がない、教えてやるからにはちゃんと仕事に役立てるように」
「よろしく頼む訳だが」
本当に仕方なさそうに受け入れてくれたオルトレイに感謝しつつ、キクガはようやくまともな知識を得られそうだと安堵するのだった。




