【第7話】
急遽舞い込んだ裁判をこなし、キクガは自分の執務室に戻った。
「すまない、エミール君。急遽仕事を頼んでしまった訳だが」
「とんでもございません、アズマ補佐官のお力になれて光栄です」
執務室まで裁判資料を運んでくれた紳士然とした獄卒から、預けていた裁判資料と裁判記録を受け取る。裁判記録も簡潔にまとめられていて、清書がしやすい。急に頼んだにも関わらず、ここまで精度の高い成果を出してくるとは相当な努力を重ねたのだろう。
裁判の仕事が舞い込んでから、キクガは道すがら記録課に立ち寄った。記録係を手隙の獄卒に依頼し、記録課課長のミハイルに裁判予定の死者の冥王台帳を出してもらった。緊急ということで持ち出しの許可証は後日提出ということにしてもらった。
執務室に戻ると、執務机の上に空白の許可証が置いてあった。「ちゃんと書いて提出をお願いします」とのことだろう。
キクガは記録係を依頼した獄卒に「すまない」と謝罪し、
「少し待っていてもらえるかね。許可証を作成するから、ミハイル君に持っていってもらいたい訳だが」
「構いませんよ」
「助かる」
紳士然とした獄卒を執務室のソファに座らせて待機させ、キクガは急いで許可証の作成に取り掛かる。
とはいえ、今回の持ち出しは1冊だけだ。冥王台帳の人物名を記載し、裁判に使用するという目的を書き込む。もう使用は終わったので、許可証と共に持って帰ってもらおう。
使用した冥王台帳と合わせて作成したばかりの許可証を、キクガは待機させていた獄卒に手渡した。
「すまない、これで頼む訳だが」
「お預かりします」
獄卒の彼は丁寧に許可証と冥王台帳を受け取ると、表紙に書かれた人物名と許可証に書かれた人物名が一致していることを確認する。次いで使用用途をきちんと確認してから「確かに」と頷いた。
「それにしても、アズマ補佐官のお書きになる文字は綺麗でいらっしゃる。許可証の作成をしてからすぐだと言うのに」
「ああ、速読だけではなく速記も得意な訳だが」
あっけらかんとキクガは言う。
文字を綺麗に書くのは書道を習っていた影響だろう。自慢ではないがこれでも段位持ちである。亡き妻にも文字の綺麗さを褒められたのが少しばかり誇りであった。
さらに速く書くこともキクガは得意としている。聞いたものをそのまま書き写すので、書記係としては非常に優秀だったと自負している。裁判記録を作成するのも大いに役立った才能だ。
「なるほど。自分も見習わなければなりませんね」
「何事も修練が大事だと言っておく訳だが」
「肝に銘じておきます。ではこれで失礼いたします」
紳士然とした獄卒は丁寧に一礼すると、キクガの執務室を颯爽と立ち去った。
気品のある立ち振る舞いは、キクガとしても見習わなければならないところである。闇の世界で生きてきた人間だからか、何でもかんでも暴力と謀略で解決しようとしてしまう。そんな暴力的な人間はいずれ他者から見捨てられかねないので、なるべく穏便に済ますことを心がけようとキクガは決めた。
さて、溜まった書類仕事をせねばとキクガが執務机に向かうと、
――コンコン。
扉がノックされた。
「?」
キクガは首を傾げる。
誰か尋ねる予定でもあったか。それとも獄卒たちによる突発的な頼み事だろうか。今は第二補佐官が担当の裁判が執り行われている最中なので、キクガの担当する裁判はしばらく先である。
少し考えてから、キクガは「入りなさい」と告げた。
「…………」
執務室に姿を見せたのは、冥王第一補佐官のキサラギだった。憮然とした表情で、のしのしと執務室に足を踏み入れてくる。
「何か用かね」
「よくも僕から裁判を取り上げたな」
キサラギは恨みのこもった眼差しでキクガを睨みつけて、
「何のつもりだ」
「今に始まったことではない訳だが。以前も君に代わって裁判を担当したこともある」
「僕を冥王第一補佐官から引き摺り落とす気か?」
「当然だが」
キクガは隠さず告げる。
冥王裁判課に属することがゴールではない。冥王第一補佐官の椅子も狙ってはいるが、あくまで通過点だ。キクガが狙うのはその先である。
つまり、
「冥王第一補佐官を通過し、私は冥王を目指す。その為に味方は必要だし、他の補佐官は蹴落とす所存だ」
「そんなこと許されるはずがない!!」
「果たしてそうかね」
激昂するキサラギに対して、キクガは音もなく目を眇めた。
「すでに現場の獄卒は私の味方だ。冥王様に相談するより先に私へ相談が来る。きっと彼らは私を後押ししてくれるはずだが」
「奴らを洗脳したのか」
「洗脳? そんな姑息な真似など誰が使うか。人身掌握には誠実な態度と仕事の結果、話術が必要な訳だが」
現にキクガは、現場寄りの補佐官だった。
裁判の仕事は完璧にこなすが、それだけではない。現場にも足繁く視察を繰り返して獄卒たちの抱える望みや願いを先回りして予測し対処し、積極的に相談に乗り、迅速に結果を出す。かつて現場で働いていたからこそ環境はよく理解しているので、現場の獄卒たちから信頼を得るのは簡単だった。
冥界にやってきてから冥王第一補佐官に命ぜられたキサラギには出来ない仕事を、キクガは淡々とこなしてきた訳である。
「現場の目線に立てないのであれば、上層部として失格な訳だが。信頼は得られまい」
キクガは固まるキサラギを見据え、
「傲慢は身を滅ぼす訳だが」
「…………!!」
キサラギは唇を噛み締め、それから何も反論することなく執務室から飛び出した。
バタン、と荒々しく扉が閉ざされる。寄り添うことは間違いだ。彼は引き摺り下ろすべき敵なのだから、塩を送るような真似はしない。
キクガは小さく息を吐くと、書類仕事を片付ける為に羽ペンを手に取った。
――そして、審判の日がやってくる。




