【第1話】
冥王裁判課に異動してから、初めての休みである。
「久々に現世へやってきた訳だが」
冥府転移門を使用して現世にやってきたキクガは、久々の現世の空気と賑やかさに少しばかり心が躍る。
あれほど現世に通っていたというのに、冥王裁判課に異動してからはめっきりと減ってしまった。今日は思い切って休暇を取得し、現世までやってきた訳である。休暇を取得することをオルトレイやアッシュに報告したら我が事のように喜んでくれた。休みを取るのがそれほど喜ばれるものなのか。
キクガは早速とばかりに中央魔法裁判所の入り口を潜る。見慣れた巨大な天秤のオブジェが真っ先に目に飛び込んできて、相変わらず圧倒される。
「お、キクガさん」
「キクガさんじゃんねぇ。久々ぁ」
「ユフィーリア君にエドワード君、息災な様子で何よりな訳だが」
いつも以上に賑やかな中央魔法裁判所の人混みで、ユフィーリアとエドワードの2人を発見した。彼らもキクガの存在に気づいて挨拶をしてくれる。
彼らが中央魔法裁判所を訪れる理由は、裁判を傍聴しに来た訳ではない。今日は冥府書記官の試験である。ユフィーリアは5回目の、エドワードは2回目の試験に臨もうとしていた。キクガは冥府書記官の資格合格に向けてオートマチックライターの指導をしたりしていたので、その応援として駆けつけた訳である。
ユフィーリアもエドワードも緊張した面持ちで、
「うわー、どうしよう。あれだけ面倒見てもらったのに落ちたら」
「それは仕方がない訳だが。問題文の運がなかったということで、次回頑張りなさい」
「俺ちゃんも指が動かなかったらどうしよぉ」
「君もよく練習していた訳だが。落ち着いて臨みなさい」
ユフィーリアとエドワードにそれぞれ激励の言葉を送るキクガ。
面と向かって会える機会は少なかったが、手紙のやり取りで冥府書記官の資格勉強の進捗は確認していた。彼らも毎日、冥府書記官の資格合格に向けて努力していたのは見ている。これ以上ないほど頑張ったのだから、あとは天に任せるのみである。
キクガはユフィーリアとエドワードの背中を押してやり、
「君たちなら大丈夫な訳だが。合格できるように祈っている」
「キクガさん、アタシらが合格するまでここにいてくれ。一生」
「一生?」
「何だったら首輪をつけて飼ってあげてもいいから」
「残念ながら私は犬猫ではないので遠慮したい訳だが。ほら行きなさい、べしょべしょ泣かないでシャンとしなさい。大の大人が情けない訳だが」
緊張のあまりおかしなことを口走るユフィーリアを叱責し、キクガは彼らを試験会場に送り出す。
人混みに紛れていくユフィーリアとエドワードの後ろ姿が消えてなくなるのを見計らって、キクガはそっと息を吐いた。彼らが合格をしなければ決意が揺らぐ。
すると、
「あら、キクガさん。ご機嫌よう」
「ルージュ君。今回も試験監督は君が?」
「いいえ、今回の試験は別の方にお願いしておりますの」
たまたま通りかかった中央魔法裁判所の最高裁判官、ルージュ・ロックハートにもキクガは変わらず挨拶をする。彼女はキクガの正体を知る数少ない人物である。手紙でのやり取りは何度かあったが、顔を突き合わせて会うのは久々のことだった。
「今日はどんなご用事でいらしたの?」
「ユフィーリア君とエドワード君が冥府書記官の資格を受験するとのことで、その応援に来た訳だが。今日で合格すれば、私はお役御免という訳だが」
「お役御免?」
こちらを見上げる真紅の瞳に見据えられ、キクガは「そうだが」と頷いた。
「彼らの合格を見届けてから、私は冥界の業務に注力する訳だが。現世の地を踏むことは、可能な限りないだろう」
これは、キクガが冥王裁判課に異動となってから密かに決めていたことである。
今後、キクガは冥王の裁判に関わっていくので業務量が増える。裁判を他人に任せる訳にもいかず、かと言って他の冥王の補佐官では誤審の恐れがあるので頼れない。現世に関わる暇がなくなるのと、甘い判決を下してしまう可能性もあり得るので、可能な限り関係を絶っておいた方がいいだろうと考えたのだ。
キクガの申告を聞いたルージュは、
「そうですの」
非常に、あっさりとした回答を示した。
「興味はあまりないかね」
「貴方と現世でお茶を飲む機会がなくなってしまうのは寂しい気もしますが、わたくしは中央魔法裁判所の最高裁判官として今後も冥府総督府とは関わるんですの。そのことを考えればどうということはないんですの」
「そうかね」
ルージュの言葉にキクガが納得したように頷くと、
「ですが、ユフィーリアさんとエドワードさんは悲しむのではないんですの?」
「おそらくそうだろう」
現代を生きるユフィーリアとエドワードと、冥界で獄卒として働くキクガでは生きる世界が違う。彼らには未来がある。キクガには永遠の停滞しか存在しない。冥界をのし上がることは出来るだろうが、その果てに待ち受ける未来は何ら変わらない。
移りゆく季節を楽しむこともなく、陽の光を浴びることもなく、月明かりの下で深呼吸をすることもなく、ただただ鮮血の空と漆黒の大地が存在する死後の世界で生きていくしかない。いずれ、法律が変わるその日まで。
キクガは「だから」と言葉を続け、
「彼らが今日、合格するのを見届けてから立ち去る訳だが」
「そんな簡単に合格できるとは思えないですの」
「彼らならやってくれるはずだ」
試験会場方面へと視線をやり、キクガは小声で呟いた。
「…………多分」




