【第1話】
「おお」
キクガは社員寮に備え付けられている姿見で、自分の今の格好を再確認した。
つい昨日までは喪服を想起させる真っ黒なスーツ姿だったが、今回より冥王裁判課の制服である装飾のない神父服が支給された。胸元で揺れる錆びた十字架が死者の国に身を置く存在として強調されている気がする。装飾が削ぎ落とされた神父服もなかなか様になっている。
異動となった時には無事に制服が届くか心配だったが、杞憂に終わってよかった。この制服も総務課の獄卒が渡してくれたものである。破れているか汚れているかなどといった破損箇所も見当たらない。
新しい制服に袖を通したことで口元が緩みかけるキクガだが、頬をぺちぺちと叩いて思考回路を切り替える。
「仕事な訳だが。職務を全うせねば」
すると、社員寮の扉が叩かれた。「おぅい、キクガやーい」というオルトレイの声が扉越しに聞こえてくる。
「む、朝食の時間か」
キクガは最後に身だしなみが乱れていないことを確認してから、玄関先に向かうのだった。
☆
そんな訳で朝食を済ませてから始業時間に余裕を持って出勤したのだが、
「裁判の予定はない?」
「貴様が担当する裁判の予定はないと言った」
意地悪な冥王第一補佐官のキサラギは嘲笑する。
「まさか呑気に朝食を終えてから出勤したのか? 冥王裁判課の裁判予定の打ち合わせは始業開始時刻の1時間前にはすでに終えるものだ。打ち合わせ時刻に間に合わなかった貴様が悪い」
「聞いていない訳だが」
「知らんな」
キクガは胸中で舌打ちを漏らす。この腐れ外道はキクガのことが気に食わないから徹底的に排除しようと仕向けてくる。
普通の嫌がらせならば仕事を押し付けた上で手柄を横取りするものを予想するが、キサラギのやり口は真逆だった。仕事を取り上げて無能扱いをしようという魂胆だろう。どうでもいい仕事を押し付けてもキクガならば簡単に片付けてしまうことを踏んだ、卑劣な作戦とも言えた。
キサラギはキクガを追い払うように手を振り、
「とっとと法廷から出ていけ。これから裁判が始まるのだから」
「…………」
言葉の限りの罵倒をしようかと思ったのだが、冥王ザァトの前で揉めるのも癪である。今更、猫を被る訳ではないがキクガの暴言や暴力が今後の進退に関わってくると面倒だ。
勝ち誇ったような表情のキサラギが恨めしい。この程度の嫌がらせを予想できなかった自分にも落ち度はあるが、こんなのが冥王裁判課の課長だと先が思いやられる。これは何とか対策を練らなければならない。
その時、
「アズマ・キクガ。其方の担当する裁判資料は、すでに其方の執務室に届けてある。きちんと確認して備えておくように」
「え?」
「冥王様!?」
冥王ザァトの発言で、キクガとキサラギは同時に反応した。
よもやあのキサラギがキクガの為を思って仕事を割り振ったのかと思いきや、彼の態度を見る限りではそんなことはないようだ。キサラギの表情は目を見開き、口をあんぐりと開けていた。「そんな話は聞いていない」と言わんばかりの様子である。
キクガは冥王ザァトへと向き直ると、
「先程、キサラギ補佐官からは裁判の予定はないと説明を受けましたが」
「中央魔法裁判所の指示だ。アズマ・キクガ補佐官に判決の補佐をと指定されている」
冥王ザァトは色とりどりの眼球たちを靄の中で蠢かせながら、
「何でも最近施行された法律に関連する死者らしい。余は新しい法律とやらに詳しくない。新しい法律の施行に一役買った其方が補佐をせよ」
「中央魔法裁判所が補佐官を指定することは可能ですか?」
「補佐官によって知識の偏りが見られる場合、より造詣の深い者を中央魔法裁判所が指定してくる。今回もそれに倣った結果だ」
「なるほど」
新しい法律ということは、キクガが作り上げた『魔法使用倫理協定』に関連しているのだろう。なるほど、確かにキクガが指定されるのも頷ける。
補佐官の任命に関しては中央魔法裁判所にも報告する義務があるので、異動の辞令が降りると同時に中央魔法裁判所にはキクガの存在も知られているはずである。最高裁判官のルージュ・ロックハートが「任せるべき」と判断してくれたのだ。この仕事で失敗する訳にはいかない。
ところが、この結論に納得していない人物がいた。
「冥王様、その裁判は私めに担当させていただけないでしょうか?」
「キサラギ補佐官、まだ諦めないのかね」
「黙れ、俗人。貴様のような奴が冥王様の裁判を補佐するなどあってはならない!!」
喚き立てるキサラギにキクガは呆れた視線を向ける。そんな馬鹿みたいな主張が通るはずがない。そこまでして仕事を奪うことに躍起になるのか。
「キサラギ補佐官、これは余が取り決めたことではない。中央魔法裁判所が指定してきたのだ。余の一存で決めれば冥府総督府は解体を命ぜられることになるだろう」
「ですが」
「どうしても引き受けたくば、中央魔法裁判所に自らかけ合うがいい」
冥王ザァトは珍しく、キサラギを突き放すようなことを告げて黙ってしまった。これで話は終わり、ということだろう。
不満げにこちらを睨みつけてくるキサラギを無視し、キクガは冥王の法廷を辞去する。
一体どれほどの裁判が待っているのか不明だが、準備は念入りにしておかなければならない。誤審をしない為にも確認作業で忙しくなりそうだ。




