【第2話】
言われた通りに罪人を痛めつけていると、どこからか鐘の音が鳴り響いた。
――ごーん、ごーん、ごーん。
立て続けに12回。さながら除夜の鐘を彷彿とさせる、重々しい音が鮮血の空に消えていった。
熱した鉄製の棒を使って罪人の口腔内を蹂躙していたキクガは、その音を不思議に思って呵責の手を止める。
これは何かの合図だろうか。鐘の音を聞いた途端、同じ刑場で拷問に勤しんでいた獄卒たちは次々と武器を手放す。それからあの禍々しい空気を纏う冥王の居城に向かってしまった。何が起きたのか理解できない。
仕事を放り出す獄卒たちの背中を不思議そうに眺めるキクガに、アッシュが「おい」と声をかける。
「休憩時間だ、キクガ。飯食いに行くぞ」
「これは休憩時間の合図かね」
「当たり前だろ、今何時だと思ってんだ」
アッシュは当然だとばかりに言う。
時計がないので時間の概念をすっかり忘れて仕事に没頭していた。元の世界で仕事をしている際もよく時間の概念を忘れて没頭してしまうので、部下にもそこそこ迷惑をかけた記憶がある。この世界では時計が見当たらないので、余計に時間配分に気を使わねばならない。
キクガは慌てて拷問中だった罪人から立ち上がり、「すまない」とアッシュに謝罪する。罪人に謝罪することはない。罪を犯した奴に謝る言葉も下げる頭も持ち合わせていないのだ。
「まあ、初日だからな。飛ばしすぎるとバテるから小まめに休憩は取れよ」
「しかし、他の獄卒から信頼されていない分、働いて自分の価値を見せていかねばならない訳だが」
「そんなこと気にしなくていいんだよ。一部はテメェのことを恐れてるぐらいだし」
「何故?」
真面目に働いていただけで恐れられる理由が不明だったのだが、アッシュがごにゃごにゃ言って誤魔化したので余計な首を突っ込むのは止めた。
☆
どうやら冥王の居城に獄卒たちが使う食堂があるらしい。
「冥王とその側近が詰めている訳ではないのかね」
「冥王の城だけど、ここは冥府総督府の本部だからな。内勤の奴らが働いてる」
軽い説明を受けながらアッシュの背中を追いかけるキクガは、広く賑やかな部屋に足を踏み入れた。
等間隔に並べられた長机と長椅子は現場を担当する屈強な獄卒から明らかに事務作業を担当しているだろう獄卒たちまで幅広く占拠されており、それぞれお盆を片手に食事をしていた。お盆には彼らが選んだらしい昼食が大小様々な皿に盛り付けられていた。
部屋の入り口付近は調理場が併設されており、カウンターにはおかずを盛り付けた小皿や小鉢が所狭しと並べられていた。それぞれに値札のようなものがつけられている。獄卒たちはお行儀良く並び、お盆を手に取ってカウンターに並んだおかずたちをお盆に載せていった。どうやら自分で定食のようなものを作れる仕組みになっている様子だ。
どこぞの企業の社食を想起させる冥府総督府の食堂の風景に、キクガは感動した。
「おお、これは素晴らしい訳だが」
「そうかぁ?」
興奮気味のキクガの心境など知らず、首を傾げるアッシュは「そうだ」と言葉を続けた。
「キクガ、金持ってねえだろ。今日のところは奢ってやる」
「そんな」
キクガは弾かれたようにアッシュの顔を見上げ、
「課長に奢ってもらうのは悪いではないか。給金を前借りすれば」
「だから課長と呼ぶのは止めろっての。部下に飯を奢ることが出来ねえ甲斐性なしの上司にさせるつもりか?」
何と言うことだろうか、優しい上司でキクガは泣きそうになった。
ぜひアッシュの優しさにあやかろうとしたその時、キクガの横を見覚えのある男が躊躇いのない足取りで通過していく。反射的に視線で追いかけると、装飾品を徹底的に削いだ神父服を身につけた男がお行儀良く並ぶ獄卒たちを次々と抜かしていくではないか。
その小憎たらしい人物は、冥王第一補佐官と呼ばれている冥府総督府で2番目に偉い人物だ。名前は確か、キサラギだったか。
「おい、並んでただろ」
「最後尾に行け、最後尾に」
先に並んでいた獄卒たちから文句が飛ぶも、キサラギは眼鏡の向こうにある黒曜石の双眸を眇めた。
「うるさいぞ。僕は冥王第一補佐官だ、これから裁判も控えている。冥府総督府で冥王様に次ぐ僕が優先されるべきだろう」
キサラギはさも当然とばかりに言い放つ。
獄卒たちはぶちぶちと文句を言いながらも、それ以上はキサラギに何も言えなかった。冥界で2番目の権力者を相手に強く出ようものなら、確実にクビ待ったなしだから黙るしかないのだ。
少し考えてから、キクガはアッシュに振り返った。
「アッシュ、やはり昼食は奢らなくていい」
「は?」
「いい財布を見つけた訳だが」
そう言って、キクガは音もなく列から外れる。そしてお盆を手にしようとしたキサラギの背後を取ると、
「やあ、冥王第一補佐官殿。新人獄卒に昼食を奢りたくはないかね?」
「ぎゃあ!!」
ポンと肩を叩いただけでキサラギが食堂の床にひっくり返った。何だろう、これは。
「な、なななな、な、何故貴様が!?」
「それはもちろん、昼休憩だからだが」
食堂の床を這いつくばるキサラギと目線を合わせる為、キクガはその場に膝をついた。
「寛大な冥王第一補佐官殿。無一文な私に昼食を奢ってくれないかね。食事がなければまともに働けない訳だが」
「誰が貴様などに!!」
目を吊り上げて怒りを露わにするキサラギだったが、ニヤリと笑うと「ははーん」とキクガの顔を覗き込んだ。
「そうか、貴様は文無しか。貧乏人はさぞ辛いだろうなぁ?」
「おや、新人に昼食すら奢ってくれない甲斐性なしのくせに何か言っている訳だが」
想定内の回答である。やはり性格の悪さが滲み出ていた。
キクガはこんなところで取り乱したりなどしない。当たり前の回答を得られて満足した。
これで心置きなく略奪できる。略奪するなら悪人からやった方がいい。
そんな訳で、
「すまない、手が滑った」
棒読みとも取れる謝罪を口にして、キクガは近くにあった水差しを引っ掴むとキサラギの顔面めがけてぶち撒けた。
冷たい水を全身に浴びて、キサラギの口から悲鳴が漏れる。整髪剤で固めた髪も、冷たい印象を残す眼鏡も、何もかもから水が滴る。
幸いなのは、彼以外に被害がなかったことだろうか。温かな食事にも水はかからず、水差しを持ち上げた時点で周囲の獄卒は何かを察したように飛び退いていた。今はただ、唖然とした表情で全身を濡らしたキサラギと空っぽの水差しを突き出した体勢のまま動かないキクガを見守っている。
キクガは水差しを元の位置に戻すと、
「おや、すまない冥王第一補佐官殿濡れてしまったかこれは大変だ早急に衣服を乾かさねば」
「きゃーッ!?!!」
キサラギの口から甲高い声が迸った。
相手に行動されるより先に、キクガはキサラギの胸倉を掴んで力任せに引き裂いた。布は裂けなかったが止めていた神父服のボタンは見事に弾け飛び、あっという間にキサラギは中に着込んでいた肌着のみの状態となる。
手早く上着を脱がせたあとは下半身である。まるで手品のような速さで腰のベルトを抜き去ると、これまた力任せにズボンを引っこ抜いた。瞬く間に下着姿に剥かれ、キサラギの口からさらに悲鳴が上がる。
ズボンを奪うのに邪魔なので、キクガはトドメとしてキサラギを蹴飛ばしてすっ転ばせた。無様に転んだ隙を見計らって手早くズボンを回収し、恥ずかしい姿にお着替え完了させてやった。
「ああ、あった。財布財布、と」
濡れたズボンからキサラギの財布を強奪するキクガ。金銭がパンパンに詰まった財布はずっしりと重たく、振り回せば凶器になり得るだろう。
試しに中身を確認すると、硬貨ばかりだった。いや金貨や銀貨、銅貨など種類は多岐に渡る。加えて金貨の種類だけでも大きさが異なるものがあり、さらに白金の硬貨まであった。一体どれほどの価値があるのやら。
財布をひっくり返して硬貨を全て回収したキクガは、こちらを忌々しげに睨みつけてくるキサラギの顔面めがけて財布を叩きつける。「ぶへ」と間抜けな声が聞こえた。
「き、貴様ッ……!!」
「いやぁ、文無しの部下に気前よく奢ってくれるとは素晴らしい冥王第一補佐官殿だ。尊敬する訳だが」
「強奪と言うのだ、今の貴様の行動は!!」
眼鏡の奥に怒りの炎を漲らせて立ち上がるキサラギに、キクガはにこやかな笑顔で言う。
「ああ、下着も濡れてしまったか。乾かさねばならないかね?」
「――――ッ!!」
下着まで剥かれると思ったらしいキサラギは、慌てて食堂から飛び出した。下着姿のまま城内を駆け回る彼の羞恥を考えただけで笑えてくる。
現金だろう硬貨を強奪できたキクガは、アッシュのもとへ普通に戻った。列に並び直すことも考えられたが、周囲の獄卒が何故かキクガから次々と距離を取るのだ。
公衆の面前で裸同然までにひん剥くのはやりすぎだと言えよう。とはいえ、ああでもしなければあのプライドの塊みたいな男は潰れてくれない。ああでもして、もう二度と突っかからないと考えてくれればいいのだが。
「……テメェ、クビにされるぞ」
「ふふ、出来るものならやってみてほしい訳だが。困る人間など誰もいない」
「凄え根性だよ、本当に」
呆れたような口調で言うアッシュに、キクガは軽く笑い飛ばすのだった。




