12.溺れる二人、板は一枚。
暗いです。
誰にも聞かれないよう密やかに、耳元に口を近づけて囁く。
「お前、帰って来なくても良かったのにな、残念だよ。
思いあがって色々やらかしたようだが、『異世界』からまで返品されて来たか。
お前の代わりにこちらに来ていたジント君は、『托卵の雛』の筈なのにお前と違って、良い弟だったぞ。」
むしろカッコウの方がよほどマシだった。
『ジント』が誰なのか、その名は名乗っていたが実は浩輔は知らない。
使徒とやらは、ただの穴埋め要員に詳しい事情を説明する事も、引き合わせて紹介する必要性も無いと思っていたようだ。
父は交通事故で一昨年、祖父は癌で去年亡くなった。
祖父はあとの事を長男である賢亮に説明する必要性に駆られたらしいが、異世界からの魂だけの交換等と、耄碌したにしても祖父の年代には余りにもそぐわない、荒唐無稽な説明に全く信じてはいなかったが、祖父の説明にあったそのままに、自分が『夢』で語りかけられては信じない訳にはいかなかった。
広い個室は沢山の見舞いの花々に埋もれそうだ。
面会時間も終了して、病室にはベットに横たわる浩輔と、兄の賢亮の二人しかいない。
「聞こえているんだろう?お前。」
「あの冥府の神の使者殿に、概要と被害者人数を聞くだけにするか、より詳しく詳細が聞きたいかと問われて、迂闊に『詳細を』と返答したせいで三日間に亘ってお前の犯罪歴をつぶさに眺めることになったよ。」
遠距離からの防犯カメラ映像とは違って、まるで愚弟の背後について回っているような距離感で、コチラの世界で計画した最初の地下鉄放火の準備から、あちら側での最初の死亡事故から始まった連続強盗殺人、最後の(連続)処刑された時の悪足掻きぶり、地下鉄ホームの上空で使徒にも食って掛かる身の程知らずぶり、我が身可愛さに突き落とし犯を見捨てて、高電圧ケーブルの有るスペースに突っ込んでいくまで。
その合間合間のコチラとアチラの家族への暴力行為を見て、家族が不幸な目にあえば良いと、周囲を罵る独り言を聞かされた。
三日目の朝には、二重の意味で頭痛がしたものだ。
被害者の家族という立場のおかげで、報道のように編集されていない地下鉄会社の防犯カメラ映像を視聴させてもらう事が出来た。
それと照らし合わせても、この弟は確かに入れ代わった瞬間から、明らかに犯人を見捨てて自分だけが助かろうとしている。
それが使徒の最後の゛試し”だったのだろう。
罪を犯し続けた弟が、同じ地下鉄駅で、似たような事件を起こした犯人をどうするかを。
助けるか、見捨てるか。
結果として全身不随の弟が目の前に横たわっている。
日本の法律では普通なら『緊急避難』、二人共が助かるのは不可能と見なされて片方を見捨てるのもやむ無し、と判断される、かも知れない事例だろう。
直前まで『肉体的には』同一の人物が、渾身の力をふり絞って人命救助にあたっていた事でもあるし、映像を分析したマスコミは、犯人を見捨てたのではなく地下鉄車両に接触したせいで、配電スペースへ撥ね飛ばされた、という見解が主流だ。
だが、使徒はアレを緊急避難とは認めないという事だ。
皆が混乱して大騒ぎになったが、車両が進入して来た時、最初の被害者は実はホームの中程にいて結構な距離があった。
直ぐに非常停止ボタンが押され、運転手も車体を止めるべくブレーキを作動させ、スピードが落ちつつあった。
一人目の老人と二人目の男児は、確かにジント君のお手柄だ、ほぼ無傷で転落した三人目の男性はともかく、後からの評論家・専門家の説明では、脳挫傷で結局は死んだ突き落とし犯も、入れ代わった弟が背後に振り捨てたお陰で車両"には”轢かれずに済んだそうだが。
位置的には地下鉄車両側から老人(事件発生当時は背後に犯人)、男児、浩輔、犯人とサラリーマン男性と並び、犯人は車両の進行方向へ走りながら次々利用客達を突き落とそうとしていた。
直前までのジント君の奮戦もあって、結果論として冷静に分析すればどちらか片方しか助からないという程、大事では無かったようだ。
振り回されたのは犯人の頭部の傷には良くなかったろうとの事だが。
つまりジント君はそれと知らずに、突き落とし犯を感電させようとしていた訳でもある。
駅構内には確かに地下鉄車両に、電力を供給する為の高電圧ケーブルがあるが、もちろん当然のことながらキチンと絶縁処理がされている。
そうでなければ今回のような事件事故や、保線要員によるホーム下での作業が、人命の危険だらけになる。
それなのに『なぜか感電』して『全身不随の寝たきり状態』、実に分かり易いご都合主義だ。
「お前は知らないだろうが、私や大翼の子供達にとっては、お前ではない『浩輔叔父さん』は尊敬できる英雄だぞ、お前がしゃべれないのは幸いだ、おかしな事を口走られたら幻滅するからな。」
確かに声も出せず視線も動かせないが、聞こえてはいるらしい、血圧が上がり脈拍もふえている。
顔が紅潮して気のせいでなく、悔しがっているのが手に取るように良くわかる。
「さっきまでここにいた女性はジント君の婚約者の一之瀬薫子さんだ。美人だったろう?
ああ、彼女は入れ替わりの事情を知っているからなお前のじゃないぞ、介護のお世話をして貰えると思うなよ」
今は婚約を解消していたそうだが、それは教えてやる必要は無い、あの二人は一定の期間で復縁したり離れたりを繰り返していたので、放っておいても再び婚約していただろう。
事情を知らなかった当時は呆れたものだが、いずれ文字通り世界を隔てる別離が来ると知っていたのなら、耐えられない気持ちは分からなくもない。
「お前の暮らしぶりを見ていたが、あちらのご家族も気の毒だな、連座と言うらしいがお前のせいで官憲に捕まっているかも知れない。
まあ、俺達も他人事じゃなかった、今現在の日本で、連座制等という非人道的な刑法は存在しない。
だが、犯罪者本人が死亡した後でも、怪我をさせられた被害者の損害賠償請求が犯人の家族に回って来るんだぞ、お前はそれを狙っていたんだから当然知っているよな。」
部屋の外から病院のスタッフが覗き込んでも良い様に、声は荒げる事無く耳元に静かに語りかける。
「それとは別に地下鉄の運行が滞った損害も請求される、5分~10分間隔で運行している過密路線は10分止まると数千万だそうだな。
日本国中からバッシングも受ける、気の毒に、今まさに死亡した突き落とし犯の家族がその状態だ。」
明日は我が身、ならぬ25年前の自分達家族がそうなっていた筈だ。
このバカはそれを承知の上どころか、残された私達家族が困る事を狙って、地下鉄駅にガソリンを持ち込もうとしたのだ。
『ざまあみろ』『困らせてやる』『いい気味だ』そんな呪いの言葉の数々。
事故直後入れ代わった事に気が付かず、『弟(ジント君)をなんとか助けて下さい』と医者に取り縋った自分がバカみたいじゃないか。
「お前が25年前のあの時に連れて行かれて、本当に助かったよ。
あの当時の俺は会社に入社したての平社員、大翼は大学に合格したばかり、二人で人生棒に振ってでもお前の存在が許せずに、殺す相談を大真面目にしていたよ。
爺ちゃんが止めてくれたけどな。」
昔気質の祖父が措置入院なんて、行政のお世話になる手段を選ぶとは思えなかった。
自分達が思い詰めたように、祖父も同じ決断を下すかも知れないと思いながら、日本を後にした。
両親と弟と共に、浩輔を殺す以外の考えつく全ての働きかけは行っていたが、糠に釘とはあの事を言うのだ。
社会人二年目ぐらいの自分なんぞ本当に無力だった。
「普通は入社二年目で海外赴任なんてないんだけどな、自分から志願して行かせてもらった。
当時は退職目前の窓際上司が、首都クルンテープに形だけ事務所を置いて自分は全く働かなくて、俺は地価の安い田舎の現地工場で、人件費の安い工員を集めて働いてもらって、名ばかり管理職、一人責任者状態だったよ。
経理として支えてくれた、現在の女房が居てくれなかったら、サービス残業で過労死していたかもな。」
会社名だけ聞けば、弟は自分の事を勝ち組だと思っていただろうが、実状はそんな物だ。
「管理職として本社に居られたはずの親父は砂漠の建築現場、大翼は準備無しでいきなりの海外留学と生活費稼ぎのアルバイトで言葉が不自由、みんな苦労させられた。
それでも日本にとどまって、目の前にお前がいたら我慢が出来ずに殺していたな、あの当時の俺達にとって『逃げずにお前と向き合う』というのはそういう事だ、家族の方が憎しみは深いぞ。」
人を殺す、それも血の繋がった弟を殺す。
その決意を固めきれずに、それでも衝動的に実行しそうな自分自身が恐ろしくて、逃げ出した。
あの鮮明で理路整然とした『夢』が、本当にただの夢では困る。
『あちら側の家族』が連座制のせいで身の危険があるのではないかと話しを振っても反応は無いので、ジント君が知らずに彼なら怒らない話をして、反応を伺う。
「俺と殴り合ったのは覚えているか?俺にとっては25年前だけれど、お前にとっては家を追い出される直前、大翼の共通一次試験が終わった頃だ、日本一の大学に手が届きそうだって父さんと母さんは喜んだけど、お前は大荒れに荒れたな。」
心電図モニターの音がうるさくなっている。
「体重にモノを言わせて借家の壁に穴を開ける、家具を壊す、物に八つ当たりしているだけならともかく母さんに暴力をふるう、大翼と二人掛かりで抑え込んだら、二対一は卑怯だと言うから俺一人で相手をしてやったら、結局負けていただろう?豚!」
表情筋も動かせないのがいささか残念だ、叫ぶ代わりに口から涎が垂れてくるだけでは汚らしいだけだ。
今だけで良いから、テレパシーとやらは使えないものか・・・
「足を引っ張る厄介者の屑ニートじゃない、元国盟職員(※)の高村浩輔の存在がどれ程立派で、俺達の助けになったか、お前に分かるか?」
「アッサルの石油プラントの建築現場で、親父がテロリストの人質にされた時、現地の部族の長老がたが交渉の仲立ちをしてくれたのは、みんなジント君の人脈だ。」
正直に言えば、
縁もゆかりも無い他人の、しかも外国の人々の為に我が身を投げ打って、金銭にならない仕事に熱心な弟を苦々しく思っていたし、難民支援の為の寄付金を求められた時は、詐欺を疑い、結局こいつは変わってないのか?と思ったが、
あの一件で見直したのだが、やはりこいつに正直なところは告げない。
「入学早々せっかく合格した大学を休学させられて留学した大翼も、今では立派な弁護士様だ。
難民の亡命申請訴訟でマスコミにも露出している有名な人権派弁護士だぞ。」
下の弟は、ある意味では人生の視界が開けたのかも知れない。
やはり悔しいらしい、ウ~ウ~唸り声が聞こえる。
喋れない、動けない、自分自身の肉体と言う牢獄の中に閉じ込められて、それがいつまで続くのかも分からない。
なのに、視界は正面のみだが目も見える、耳も聞こえる。
そして不幸を願った兄弟達の、成功を聞かされているのだから。
全くあの使徒様は、いい仕事をして下さった。
「"寝ていても暮らせる生活”がしたいそうだな、安心しろ妻子のいないお前を、兄である俺が責任持って面倒を見てやる、家族には扶養義務が有るからな。」
賢亮の口許に嘲笑が浮かぶのを、至近距離の浩輔にははっきり見えているはずだ。
弟が望んでいたのが『寝たきりの介護生活』ではなかったのは百も承知だ。
なに大の男を一人死ぬまで養うと言っても、昔よりははるかに楽だ。
母親に暴力を振るえない、家庭内で金を盗んだり恐喝したりしない、ネットで高額な買い物もしない。
持ち出した金で競馬やパチンコ果ては非合法カジノに出入りして、やくざが集金に付いて来たり警察に捕まったりしない。
声を張り上げ口汚く罵る事すら出来ない。
必要なのは介護のみ。
金さえあれば介護を専門家に任せられる介護企業も経営しているし、ロボットも傘下の会社で開発している。
「お前がいない25年の間に、俺は大企業であるM社S社H社の三社が合併した、巨大複合企業の最高経営責任者に就任したぞ、お前一人ぐらいが寝たきり状態でも養うのは訳も無い。
これもひとえに、ジント君の人脈のお陰だ、かつて開発途上国だった国の首相・大統領クラスは軒並み知り合いと来たもんだ。」
浩輔の身体状態を計測している医療機器が、アラーム音が大きくなっている、そろそろナースステーションでも把握して動きがあるだろう。
「使徒様が回復の余地は残して下さったそうだぞ、悔しかったら、リハビリを頑張ってみるんだな。」
賢亮がセリフの後半を口にした時に、医師と看護師達が駆けつけて来た。
「高村さん、どうされました?」
「ああ、医師、どうやら弟は、私の声が聞こえて理解しているようです。」
たった今まで浩輔を煽っていたのをおくびにも出さず、しれっと賢亮が答えた。
「え?、意識が戻ったんですか?」
「いえ、寝ている弟に私が一方的に、昔の事や今回の事件の事を話しかけていたら、反応が返ってきている気がするのです。」
噓は言っていない。
「確かに心拍数と血圧が上昇していますから、興奮している様ですね、喜ばしい事です、
ですが今の彼の身体には負担になりますので、お兄様はもうお帰り下さい。」
医療スタッフがテキパキと、モニターは?呼吸器は?と機械を確認して、点滴に加える薬剤の準備をしている、確かにこれでは自分は彼らの仕事の邪魔だろう。
「それでは医師、弟をよろしくお願いします。」
医師に頭を下げて、後は任せて辞去することにしよう。
「はい、もう遅いですからお兄様もお気を付けてお帰り下さい。
先は長いですが彼ならきっと回復します、リハビリにまで移れるようになれば、きっと自身の努力で復活出来るでしょう。」
先程の話しかけていた声が聞こえていたらしい。
★ ★ ★ ★
ちくしょう、ちくしょう!
ふざけやがって、バカにしやがって!
俺が何をしたって言うんだ?!
★ ★ ★ ★
「リハビリか・・・ そんなものあのバカがするものか。」
駐車場の車の中で、一人になった賢亮の口から苦笑が零れる。
あの怠け者の弟なら、リハビリの苦しさにも直ぐに負けてしまうだろう。
連日のマスコミ報道で担当医の知っている『高村浩輔』こと、ジント君であればあの状態からでも回復するだろう。
「あいつは回復なんてしたくない筈だ、比べられるからな。」
社会的にも経済的にも成功者になった兄弟はもちろん、この25年間活躍していた『立派な高村浩輔氏』ともだ、過去の功績を自分のものにするのは簡単だが、その後は彼と同じぐらい『立派な高村浩輔』になり切って、それを維持し続ける事を、周囲に期待され要求されるだろう。
特に今回の事件で随分とマスコミに持ち上げられた、全身不随で同情もされている。
期待される重圧はいかばかりか。
元々日本ではあの野生児を『人権活動家』とか高く評価されていた。
(しかし、欧米では既に死んだかの様な扱いで『聖人』というのは何事だろうか?)
分かっていなくても、よくよく説明してやろう。
多大な功績に比べて、知識というカタチの無いものしか持ち帰れない、彼の名誉に泥を塗るのは恩知らずのする事だ。
自分達家族だけの問題でなく、ジント君に命を助けられて彼を慕っている若者たちはたくさんいるのだから。
精神的に徹底的に叩きのめして、甲羅に閉じ籠る亀の様に、思う存分自分の肉体に引きこもってもらおうじゃないか。
何しろ数多いた『器』の候補者の中で、何故あの使徒が浩輔を選んだのかと理由を聞いたら、『高村浩輔を殺したい動機を持つ、自分達家族が居たからだ』と、驚くべき返事が返ってきた。
彼女は冥府の神に仕える存在で、浩輔の肉体に収まっている別人の魂を取り戻す為には、一度肉体的には死なせなければならない。
だから、学びを終えた適当な頃合いに殺されても、周囲に納得されてしまうような人間を選び。
殺人を実行しそうな人間を、(つまり父か、自分か、下の弟か、祖父か、何と四人もいるじゃないか)心に働きかけて唆して、魂を取り戻す予定だったそうだ。
そこまで包み隠さず正直に教えてもらえるとは思わなかったが、別段利用されたかも知れない怒りも、恐ろしさも感じない。
日本を離れている間、何度も何度もアイツのしでかした事を反芻して怒りを燃やした、相応しい罰が無いのは許せなかった、妻が傍らにいなかったら自分はそのように動いただろう。
25年前に一度逃げていて偉そうな事は言えないが、それは自分がするべき事だったのだから。
愚弟は実際に地下鉄にガソリンを持ち込んだし、異世界とやらでも自分も気軽にホイホイ死んだが、他人を殺す事にも躊躇いの無い異常者だ。
弟は、浩輔は、罪人として牢の中に入れられた。
自分は牢番として選ばれた、むしろ良くぞ自分を選んでくれた。
私は自ら望んで、務めを果たそう。




