第7話 帰る場所を決める
旧修道院の壁には、三本の道が描かれていた。
炭で引いた線の一つを、治療所の責任者が指す。
「負傷者は五人です。二人は担架。三人は支えがあれば歩けます。治療師が二人と、炊事や荷を見ている者が一人」
リゼは壁の線を見た。
「集合場所は」
責任者の指が止まる。
「果樹園を抜けた先の石灰焼き窯です。そこで別の部隊が引き継ぎます」
「来なければ」
「北の尾根を越えた二本松。後方の道と合流します」
リゼは石灰焼き窯から二本松までの線をたどった。
間には乾いた導水路がある。
果樹園が使えなければ、修道院裏の墓地から導水路へ下りられる。窯に入れなければ、西の葡萄畑を横切って北尾根へ向かう。
「分断されたら、ミナが負傷者を窯へ進ませる」
セドが言った。
「俺は遅れた者を拾う。リゼが敵側へ残るなら、導水路か葡萄畑から離れる」
「合図は金属板を二度」
ミナが紙へ書く。
「経路を捨てる時は三度です。窯で待てるのは、煙突の影が壊れた井戸へ届くまで」
「その後は二本松へ進む」
リゼが確認する。
「はい」
セドが壁から目を離した。
「今度は、残る者を勝手に決めるな」
「必要になってから三人で決める」
「お前の戻る道もだ」
リゼは二本松の印を見た。
「今度は私も数に入れておけ」
セドは頷いた。
それ以上は何も言わなかった。
◇
中庭へ八人が集められた。
担架に横たわる者が二人。
腕や肩を借りて歩く者が三人。
治療師が二人。
食料と水を分ける作業員が一人。
ミナ。セド。リゼ。
「十一人」
リゼは担架の持ち手を見た。
治療師と作業員だけでは、二台を二本松まで運べない。
歩ける負傷者のうち一人は、片腕なら持ち手を握れる。
セドとリゼも交代に入る。
「最初は私が一台目を持つ」
リゼが言った。
「墓地へ着く前に交代します」
ミナが順番を紙へ書き込む。
「戦う者が二人とも担架を持つ時間は作りません」
「分かっている」
「傷も見せてください」
リゼは外套を開いた。
左脇腹の布に血はない。
深く身体をひねると引かれるが、剣を振る動きは戻っている。
ミナが布の端を確認し、外套を戻した。
中庭の鐘が鳴った。
一度。
二度。
出発の合図ではない。
防衛線からの退却を知らせる、短く続く音だった。
「早すぎる」
責任者が中庭の入口を見る。
まだ陽は高い。
夕刻までは保つという話だった。
門から兵が一人、壁へ手をつきながら入ってきた。
「東が破られた。防壁の内側へ入られてる」
「引き継ぎの部隊は」
「分からない。道が切れた」
責任者がリゼたちを見る。
「報酬は増やします。だから――」
「八人は今すぐ出せるか」
リゼが聞いた。
ミナは五人の負傷者を順に見た。
「今なら出せます。これ以上待てば、担架二台は運べません」
セドが門の外を確認する。
「ここで契約を切れば、俺たち三人は抜けられる」
できるかどうかを言っただけだった。
リゼは担架の二人と、立っている三人を見た。
「もう引き受けた」
「分かってる」
セドが剣帯を締めた。
「出るぞ」
◇
果樹園へ続く道の手前で、十一人を石垣の陰へ止めた。
リゼだけが先へ出て、果樹園との分かれ道を確認する。
道には、既に人があふれていた。
兵と住民が同じ方向へ流れている。
荷を捨てる者と、拾おうとして立ち止まる者がぶつかる。
その向こうで、敵の旗が一度だけ見えた。
担架二台を入れれば、動けなくなる。
リゼは後方の石垣へ向け、金属板を掲げた。
陽光を三度返す。
主経路を捨てる合図だった。
石垣の陰で、セドが担架の向きを墓地側へ変える。
リゼは十一人のもとへ戻った。
「果樹園は使えない」
セドとミナへ言う。
「墓地から導水路へ下りる。担架は一台ずつだ」
「俺が下で受ける」
セドが答える。
「身体を固定します。リゼは上で縄を」
ミナが担架へ向かった。
三人の言葉を聞いてから、リゼは先頭の向きを変えた。
◇
墓地の石段は、人が二人並べないほど狭かった。
一台目の担架へ縄を回す。
リゼが上で縄を支え、セドが下から持ち手を受けた。
「下ろす」
「まだです」
ミナが負傷者の胸と脚へ布を回す。
治療師が頭を支えた。
「いいです」
リゼは縄を少しずつ緩める。
担架が一段下がる。
セドが足場を変える。
もう一段。
一台目が下へ着くと、作業員と歩ける負傷者が水と薬を運んだ。
二台目も同じ順で下ろす。
最後にリゼが石段を下りた。
セドが手を差し出す。
「交代だ」
「まだ持てる」
「順番を決めた」
リゼは縄を渡した。
先頭へ回り、乾いた導水路を見た。
◇
導水路の半ばで、壁にもたれた兵を見つけた。
太腿に布を巻き、片足を引きずっている。
剣は持っているが、鞘へ収めたままだった。
「石灰焼き窯へ行く部隊か」
セドが聞いた。
兵は頷いた。
「途中で敵とぶつかった。窯へは行けない。散って後方へ下がってる」
「一人か」
「ここまでは」
リゼは後方を見る。
追ってくる姿はまだない。
「歩けるか」
「遅いが、歩ける」
ミナが太腿の布を開き、傷を確かめた。
「担架は使えません。杖代わりになる物を渡します」
作業員が荷から短い棒を出した。
兵は受け取る。
担架が二台。
歩く負傷者が三人。
治療師二人。作業員一人。
負傷した伝令。
ミナ。セド。リゼ。
「十二人」
数が一人増えた。
引き継ぐ者はいなくなった。
「二本松まで行く」
リゼが言った。
伝令を列の中へ入れ、十二人で導水路を進んだ。
◇
石灰焼き窯が見える手前で、土埃が上がった。
煙なら、風に崩れる。
土埃は低い場所を横へ動いている。
リゼとセドは担架をミナへ預け、導水路の縁から窯を見た。
武器を持つ者が、窯の入口と壊れた井戸の周囲を調べている。
引き継ぎ部隊ではない。
「何人だ」
「見えるのは七人。裏にもいる」
「抜ける場所じゃないな」
二人は列へ戻った。
「窯へは入れない」
リゼが全員へ言う。
「西の葡萄畑へ向かう。窯では待たない。二本松まで進む」
ミナが紙の線を引き直した。
「治療は葡萄畑の石壁裏で行います。合流期限も窯ではなく、北尾根へ着くまでに変更します」
「私が敵側へ残る場合は、葡萄畑の西から乾いた沢へ下りる」
リゼが復唱する。
「合図は二度」
セドが続けた。
導水路の分岐には、白布を結んだ短棒を残した。
後から来る者が、窯へ向かわず西へ曲がれるようにするためだった。
◇
葡萄畑の石壁を一つ越えたところで、歩いていた負傷者が膝をついた。
治療師が肩を支える。
「立てますか」
男は返事をしたが、足へ力が入らなかった。
額が熱い。
担架二台は埋まっている。
作業員と治療師で両側から支えれば歩かせられる。ただし速度は半分以下になる。
「背負う」
リゼは剣をセドへ預け、男の前へしゃがんだ。
「脇腹は」
セドが聞く。
「開いていない」
ミナが葡萄畑の先を見る。
石壁が低く三列続いている。
「石壁を三つ越えるまでです。その先は交代します」
「分かった」
男を背負う。
重さが左脇腹へかかる。
痛みはあるが、足は動いた。
一つ目の石壁を越える。
二つ目。
三つ目の裏へ入る。
リゼはしゃがみ、男を下ろした。
作業員と治療師が両側へ入る。
「まだ運べる」
「三つまでです」
ミナが言った。
リゼはセドから剣を受け取った。
男の体重は、別の二人へ渡された。
◇
葡萄畑の上端から、北の尾根が見えた。
二本松へ向かう本道に、人影が並んでいる。
味方の装備ではない。
背後の導水路からも声が近づいていた。
東には崩れた防衛線がある。
南へ戻れば石灰焼き窯の敵とぶつかる。
西は浅い谷へ落ち、その先に乾いた沢が続いている。
「北西に岩の切れ目がある」
負傷した伝令が、葡萄畑の先を指した。
「一人ずつなら通れる。尾根の裏へ出る」
担架を横へ向ければ、ぎりぎり通せる幅だった。
「入口を押さえる必要がある」
セドが言う。
リゼは敵の位置を見た。
次に担架を見る。
「ミナが先へ入れ。担架二台と、歩けない者を通す」
「俺は列の中ほどだ。止まった者を前へ出す」
セドが続ける。
「私は後ろを見る」
リゼは言った。
「切れ目へ着いて、残る者が必要なら三人で決める」
「それでいい」
三人で役割を決めた。
◇
葡萄畑の最後の石壁へ、十二人が身を寄せた。
ミナが担架の布を締め直す。
水袋を一つ、歩ける負傷者へ渡す。
治療師二人が、歩けなくなった男の腕をそれぞれ肩へ回した。
作業員は担架の後ろへ入る。
伝令は棒を支えに立っている。
まだ動ける。
セドが一人ずつ見た。
担架の二人。
歩く者と、支えられる者が三人。
治療師が二人。
作業員。
伝令。
ミナ。
リゼ。
最後に自分。
「まだ、全員いる」
敵の声が近づく。
リゼはその数を数えなかった。
一台目の担架。
二台目。
支えられる者。
治療師と作業員。
伝令。
ミナ。セド。
自分も戻る道を見る。
岩の切れ目。
葡萄畑の西端。
乾いた沢。
その先に、二本松がある。
リゼは剣を抜いた。
「行くぞ」




