第6話 守る側の数
川面は暗く、対岸の木々は影にしか見えなかった。
両岸へ渡した太い綱が、水の上で弧を描いている。
船頭が綱を引くと、平底船が石段へ寄った。
「一度に四人だ」
船頭が住民たちへ言った。
「荷は膝へ載せられる分だけにしてくれ。沈めば誰も渡れない」
十二人の住民が、自分の荷を抱えて並んでいる。
袋を二つ持つ者。
毛布へ鍋を包んだ者。
背負い籠へ衣服を詰めた者。
ミナが四人ずつ、三組へ分けた。
住民が十二人。
船頭が二人。
ミナ。セド。リゼ。
「十七人」
リゼは船を見た。
十七人は乗れない。
一度に渡れる住民は四人だけだ。
「傷を見せてください」
ミナが言った。
リゼは外套の前を開き、左脇腹の布を見せた。
新しい血はない。
深く息を吸えば、まだ内側が引かれる。歩くことも走ることもできる。剣を振る動きも確かめてきた。
「走れる。剣も振れる」
ミナが布の端へ触れた。
「強くひねる動きを続けないでください。二便目が戻ったら、セドと交代を」
「必要ならな」
「必要かどうかを、傷が開いてから決めないでください」
リゼは外套を閉じた。
傷を隠したわけではない。
下流側には葦原が広がり、細い獣道が船着き場へ続いている。
あそこから来る者を止めるなら、自分が立つ方がいい。
リゼは葦原へ向かった。
◇
一便目の四人が船へ乗った。
大きな袋を二つ抱えた男へ、ミナが一つを置かせる。
「まだ沈んでいない」
「途中で水が入ってからでは遅いです」
男は袋を石段へ置いた。
船頭の一人が船へ乗り、もう一人が岸から船首を押す。
平底船が石段を離れた。
船に五人。
岸に十二人。
リゼは葦原を見る。
セドは上流側の道に立っている。
水音のほかには何も聞こえない。
船は綱をたどり、対岸へ着いた。
四人が下りる。
船頭だけを乗せた船が戻ってくる。
「四人、着きました」
ミナが紙へ印をつけた。
船頭が岸へ上がる。
こちら側には十三人。
対岸に四人。
まだ終わっていない。
◇
二便目を出した直後、上流で枝の折れる音がした。
セドが身を低くし、道の先へ入る。
しばらくして戻ってきた。
「靴跡がある。新しい。少なくとも五人」
「ここへ向かっているか」
「道はここにしか出ない」
ミナが対岸へ向かう船と、リゼの位置を見た。
「戻ったら交代してください」
「葦の中では剣の長さが邪魔になる」
セドの剣は、リゼのものより長い。
「私はここで近づいた者を止める。お前は上流と倉庫裏を見ろ」
船着き場の脇には古い倉庫がある。上流の道と下流の葦原、どちらから来ても、その裏を回れば船へ近づける。
セドが全体を見る方がいい。
「配置はそれでいい」
セドは言った。
「交代しないことと、最後まで一人で残ることは別だ」
「敵が来てから位置を替えれば、死角ができる」
「そこまでは反対してない」
二便目が対岸へ着いた。
渡った住民は八人になった。
空の船が戻り始める。
葦原の奥で、葉が揺れた。
◇
一人目は腰を低くして出てきた。
その後ろに、もう一人いる。
リゼは船着き場へ通じる獣道の中央へ立った。
「船を寄こせ」
先頭の男が言った。
「向こうへ行く」
「先に並べ」
「待つ時間はない」
男が刃の欠けた剣を抜いた。
リゼも剣を抜く。
「なら渡れない」
男が踏み込んだ。
葦の間では、剣を横へ大きく振れない。
リゼは刃を受け流し、柄を胸へ打ち込んだ。
二人目が脇を抜けようとする。
身体を半歩ずらし、肩からぶつかった。
脇腹が引かれる。
痛みはある。
布はずれていない。
「傷は開いていない!」
船着き場へ向けて声を上げた。
「聞こえました!」
ミナの返事が来る。
上流側でも剣の音がした。
セドが一人を倉庫の壁際へ追い返している。
二便目の船が石段へ戻った。
リゼは目の前の二人を葦原へ押し戻した。
「三便目を出せ!」
残る住民四人が動き出した。
◇
最後の住民四人が船へ乗る。
船頭一人も乗り、船を動かす。
岸に残ったのは、もう一人の船頭、ミナ、セド、リゼの四人だった。
三便目が対岸へ着けば、住民十二人は全員向こう側へ渡る。
船頭だけが船を戻し、最後に五人で渡る。
リゼは葦原側から倉庫の外を回り、裏の通路を通って船着き場へ戻る。
セドは上流側から順に下がる。
「船首が石段へ触れたら、倉庫裏の通路から戻れ」
セドが言った。
「それより後は待てない」
「分かった」
リゼは答えた。
三便目が岸を離れる。
上流側の声が増えた。
葦原にも、先ほどの二人とは別の影が見える。
リゼは船着き場から離れ、倉庫の外側へ出た。
ここで止めれば、船へ向かう道を塞げる。
一人を退ける。
二人目の剣を受ける。
傷をかばう必要はない。足も動く。
ただし敵は、リゼだけを見ていなかった。
上流から来た一人が倉庫裏へ入る。
もう一人が続く。
リゼと船着き場の間へ回った。
約束した通路が塞がれる。
敵を突破すれば戻れる。
だが、その間に船へ別の者が向かう。
下流へ引けば、敵も船着き場から離れる。
リゼは葦原の奥へ一歩下がった。
三便目は対岸へ着いている。
住民十二人は渡った。
船頭だけを乗せた平底船が、こちらへ戻ってくる。
◇
船首が石段へ当たった。
鈍い音がする。
「戻れ!」
倉庫の向こうからセドが叫んだ。
リゼは敵の剣を弾いた。
「出せ!」
「五人で乗る話だ!」
「岸を離れれば追われない!」
「お前が残る!」
「私なら抜けられる!」
敵を引いたまま下流へ進む。
葦原の先にも川岸は続いている。
どこかで浅瀬を探せばいい。
見つからなければ、さらに下る。
「どこで合流する!」
答えはなかった。
「どこを渡る!」
まだ決めていない。
「それは計画じゃない!」
セドの声が近づいた。
「来るな!」
リゼは叫んだ。
◇
「どれだけ待てる」
倉庫の向こうから、セドの声が聞こえた。
「二度です」
ミナの声が返る。
「船首が、あと二度石段へ当たるまで。それ以上は綱か船底が保ちません」
何か重い物を石へ引きずる音がした。
「戻る時は、縄を!」
続いて、ミナが叫んだ。
船首が石段へ当たった。
一度目。
◇
倉庫裏から現れたセドが、リゼと船着き場の間にいる敵へ斬り込んだ。
一人の剣を払い、通路の壁へ押しつける。
「船へ戻れ」
リゼが言った。
「戻る。お前もだ」
「私を拾うために持ち場を離れるな」
「住民は渡った。待つ時刻も決めた。今の持ち場はここだ」
セドが倉庫側を受け持つ。
リゼは葦原側から来た敵を押し返した。
下がる。
一歩ずつ、倉庫裏へ戻る。
暗い通路の地面に縄がある。
セドが伸ばしてきた縄だった。
曲がり角の先に船は見えない。
リゼは縄をつかんだ。
二人で敵を牽制しながら、縄をたどる。
船首が石段へ当たる音がした。
二度目。
「早く!」
ミナの声がする。
倉庫裏を抜ける。
船頭一人が綱を握り、もう一人が船の中から手を伸ばしている。
ミナが先に乗った。
セドが続く。
リゼは最後に石段を蹴った。
船頭が腕をつかむ。
平底船へ身体が落ちた。
倉庫裏から敵が一人、石段へ飛び出した。
岸に残っていた船頭が、係留柱の結び目から垂れた縄を引く。
輪が柱から抜け、縄が石段へ落ちた。
岸の船頭も乗り込む。
五人を乗せた船が岸を離れる。
敵が振り下ろした剣は船へ届かず、石段の角を削った。
◇
対岸では、十二人の住民が待っていた。
ミナが船から下り、一人ずつ見る。
住民が十二人。
船頭が二人。
ミナ。セド。リゼ。
「十七人」
全員いる。
ミナがリゼの外套を開いた。
脇腹の布に、新しい血はない。
「開いていません」
「言った」
「はい。今回は聞いています」
リゼは外套を戻し、セドを見た。
「私を拾うために、船を岸へ残すな」
「五人で乗る計画だった」
「通路が塞がれた。状況が変わった」
「変わった後、お前が一人で決めた」
「住民は渡った。お前たちも渡れた」
「お前だけが残る」
「私なら抜けられた」
「どこからだ」
リゼは答えなかった。
「傷を隠していたとは言わない。あの場所にお前が立つのが間違いだったとも言わない」
セドは声を上げなかった。
「なら何だ」
「お前が俺たちを仲間だと思うなら、俺たちがお前を守る権利まで奪うな」
仲間ではない、と言えばいい。
その言葉は出なかった。
ミナが十七人の到着を紙へ記した。
◇
空が白み始めていた。
住民たちは、対岸の道を次の避難地点へ向かう。
船頭二人も綱と船底を確認している。
セドがリゼの隣へ来た。
「次も危険な役はある」
リゼは川を見たまま聞いた。
「お前が一番向いているなら、お前が立てばいい」
「なら、今と同じだ」
「同じにするな。戻る場所と時刻を決めろ」
川の向こうに、倉庫と石段が見える。
「俺たちが迎えに行く余地を残せ」
リゼは答えなかった。
「次は全員で戻る。お前も数に入れろ」
ミナが次の移動経路を書いた紙を広げた。
「ここから北へ向かいます。途中で道が二つに分かれます」
リゼは紙を見る。
敵の数も、運ぶ荷も聞かなかった。
「集合場所は」




