第4話 数える側がいない
修理拠点の屋根には、焼け焦げた跡が残っていた。
作業員たちは、その下から使える物を運び出している。
布。薬。水。携行食。
小さな槌と、車輪を外すための鉄棒。
長い鋸と予備の車軸は、壁へ立てかけたままになった。
「それは置け」
御者が抱えていた工具箱を、ローデンが指した。
「だが、途中で車輪が割れたら」
「必要な金具だけ抜け。箱ごと積めば、人を下ろすことになる」
荷車には既に負傷者が二人寝かされている。
一人は頭に布を巻き、もう一人は右脚を板で固定していた。
三人目の負傷者は、作業員の肩を借りて立っている。腹へ巻いた布の上から革帯を締めていた。
自分で歩けると言ったが、呼吸は浅い。
リゼは荷車の左右、六人の足元、積まれた水袋の数を見た。
「数えるぞ」
ローデンが声を上げる。
負傷者が三人。
作業員が二人。
御者が一人。
ミナ。セド。リゼ。
最後に自分の胸へ指を向けた。
「十人」
リゼも十人を見ていた。
誰が歩けるか。
誰が荷車を押せるか。
誰が水を持ち、誰が途中で止まりそうか。
「街道が使えなければ、白い岩場へ入る」
ローデンが全員へ告げた。
「分かれた時は、崩れた見張り小屋跡だ。小屋の影が入口へ届くまで待つ。それを過ぎて敵が来たら、戻らない者を待つな」
「殿は」
セドが聞いた。
「必要になってから決める」
「先に決めておいた方が早い」
リゼが言う。
白い岩場へ続く道を確認しているのは自分だ。だが、細い道で敵を止めるだけなら、役目は先導より明確だった。
「先に決めれば、そいつが負傷しても残すことになる」
ローデンは荷車の縄を引き、緩みがないことを確かめた。
「その時に決める」
リゼはそれ以上言わなかった。
◇
街道へ出て間もなく、人の流れが前から押し寄せてきた。
武器を持たない住民。
肩を貸し合う兵。
荷を背負った者もいれば、何も持たない者もいる。
「どこまで破られた」
ローデンが、腕から血を流した兵を止めた。
「分からない。丘の砦は落ちた。街道にも出たって話だ」
「数は」
「見てない。鐘が止まった。もう戻るな」
兵はそれだけ言い、流れに戻った。
遠くに煙が見えた。
警告の鐘が二度鳴る。
三度目は、途中で途切れた。
「街道を捨てる」
ローデンが言った。
「白い岩場へ入る。リゼ、先を見ろ」
リゼは返事の代わりに駆け出した。
街道脇の藪を抜け、乾いた土の道へ入る。
以前に途中まで歩いた道だった。
荷車が通れる幅はある。
ただし、崩れた木橋の手前で右へ折れなければならない。真っ直ぐ進めば沢へ落ちる。
分岐へ石を積む時間はない。
リゼは戻り、先頭に立った。
「最初の分岐を右だ。左は荷車が通れない」
「聞いたな」
ローデンが御者へ確認する。
御者は手綱を握ったまま頷いた。
◇
道は白い岩場へ近づくほど狭くなった。
車輪が石へ乗るたび、荷台が傾く。
横になった負傷者が呻いた。
歩いていた一人も、次第に作業員へ預ける重さを増している。
ミナが脇へ入った。
「荷車へ乗せます」
「もう二人いる」
御者が言う。
「このまま倒れれば、止まる時間が長くなります」
リゼは積み荷を見た。
「工具を下ろせ」
作業員が工具袋へ手を置く。
「必要な物だ」
「人よりは軽い」
返事を待たず、リゼは袋を持ち上げた。
ミナが中から金具と小槌だけを抜く。残りは道端へ置いた。
負傷者を荷車へ乗せる。
空いた場所を作業員二人が押し、止まりかけた車輪を進めた。
後方からセドが戻ってくる。
「足音が増えた。金属も聞こえる」
「距離は」
「走れば追いつく」
リゼは白い岩壁の間を見た。
先に細い切り通しがある。
一度に荷車と人は通れない。人を先へ入れ、荷車を押し込む必要がある。
背後の曲がり角へ、武器を持った人影が現れた。
一人ではない。
「荷車を先へ入れろ」
ローデンが剣を抜いた。
リゼも抜く。
「私が残る」
「お前は先へ行け」
「私が一番長く止められる」
「だから先へ行け」
ローデンは切り通しの先を指した。
「岩場の道を知っているのはお前だ。荷車を沢へ落とすな」
「セドに聞かせた」
「セドは車輪が止まった時に要る。ミナは負傷者から外せない」
「なら二人で残る」
「残す人数を増やす話ではない」
人影が近づいている。
盾の縁が見えた。
ローデンは剣の握りを直す。
「強い者を残すだけが、指揮ではない」
「お前より私の方が――」
「長く戦える。知っている」
否定されなかった。
「私は時間を決める。お前は道を決めろ」
ローデンはセドとミナへ顔を向けた。
「道と、その場の進退はリゼ。期限を過ぎた後に出るか決めるのはセド。負傷者が動けるかはミナが決めろ」
「お前は」
セドが聞いた。
「荷車が岩場を抜けるまでここで止める。合図を見たら、脇の乾いた沢へ下りる。沢沿いなら小屋跡へ出られる」
ローデンは切り通しの影を見た。
「小屋の影が入口へ届くまでには追いつく」
「戻っていなければ探す」
リゼが言う。
「探す者を増やして、負傷者を置くのか」
「セドとミナがいる」
「二人へ六人を押しつけて、お前まで消えるな」
ローデンは敵の方へ一歩出た。
「合流地点で数えろ。足りなくても、期限が来たら進め」
リゼは了承しなかった。
ローデンも返事を待たなかった。
「行け」
最初の敵が駆け込んでくる。
ローデンの剣が、その武器を受けた。
リゼは背を向けた。
◇
荷車の前へ戻る。
「押せ」
セドと作業員が車体の後ろへ肩を入れた。
御者が馬を引く。
車輪が切り通しの岩へ擦れ、甲高い音を立てた。
その向こうで、別の金属音が鳴る。
一度。
二度。
誰かの短い声。
リゼは振り返った。
曲がった岩壁が、ローデンの姿を隠している。
「右へ寄せろ。左の車輪を石から外せ」
前を向いて指示する。
負傷者の一人が荷台から身を起こした。
「残った人は」
「沢から来る」
ミナが答えた。
金属音が重なる。
ローデンの声が聞こえた。
「前へ――」
続きは分からなかった。
荷車がまた止まる。
腹を押さえた負傷者が足を止め、後ろを向いた。
「止まるな。岩場を抜けろ」
リゼが腕を取り、前へ向ける。
「だが」
「止まれば、あいつが残った時間がなくなる」
自分へ言ったのか、その男へ言ったのか分からなかった。
リゼが立ち止まれば、全員が後ろを見る。
先の道を知る者もいなくなる。
荷車を進ませる。
音は背後から追ってきた。
剣がぶつかる音。
岩へ何かが当たる音。
足音。
リゼは、そのたびに次の足場を選んだ。
◇
白い岩場を抜けると、道は低い斜面へ続いていた。
荷車を平らな場所へ移し、車輪へ石を噛ませる。
「合図を」
セドが言った。
ミナが荷の中から、白い布を取り出す。
リゼは受け取らず、御者の荷台に付いていた金属板を外した。
板を白布で包み、高い岩へ上がる。
傾いた陽光を反射させた。
一度。
二度。
三度。
切り通しから見える角度へ変える。
背後では、まだ金属音が続いていた。
合図を下ろす。
しばらくして、大きな音が一度した。
それから、何も聞こえなくなった。
リゼは岩を下り、切り通しへ足を向けた。
セドが前へ立つ。
「沢から来る」
「音が止まった」
「合図を見て離れたなら、あそこへ戻っても会えない」
「離れられたかは分からない」
「だから小屋で待つ」
乾いた沢から見張り小屋跡へ向かう。
ローデンが決めた道だった。
リゼは切り通しを見た。
岩の間に動く者はいない。
「行くぞ」
セドが言った。
正しい。
正しいから、リゼは剣を鞘へ戻した。
◇
見張り小屋は、屋根の半分を失っていた。
壁も崩れ、入口だけが残っている。
乾いた沢と白い岩場の両方を見渡せた。
護衛対象の六人が壁の内側へ入る。
ミナ。
セド。
リゼ。
それだけだった。
ミナは荷から水袋を一つ外し、布と薬を横へ置いた。
誰のためかは聞かなかった。
セドが沢の入口へ立つ。
リゼは白い岩場へ目を向けた。
誰も人数を口にしない。
一人。
二人。
三人。
四人。
五人。
六人。
ミナ。
セド。
自分。
「九人」
最後に自分を数えた。
十人にはならなかった。
仕事は終わっていない。
小屋の影は、崩れた壁の内側を伸びていく。
乾いた沢には何も現れない。
風が通るたび、入口に置かれた布の端が動いた。
水袋は膨らんだままだった。
負傷者の一人が咳をする。
作業員が肩を貸して座らせた。
リゼは沢から目を離さない。
足音は聞こえなかった。
◇
影の先が、入口の石へ触れた。
リゼは剣帯を締め直す。
「探してくる」
「期限だ」
セドが言った。
「まだ陽は残っている」
「出るための陽だ」
「一人なら戻れる」
その時、ミナが低く呼んだ。
歩いてきた負傷者の腹を巻いた布に、濃い染みが広がっている。
ミナは革帯を緩め、傷へ新しい布を当てた。
「止まりきっていません。ここで待ち続ければ、次の中継地まで保たないかもしれません」
リゼは白い岩場の先を見た。
第二の中継地へ下る斜面は、明るいうちでも車輪を取られる。暗くなれば、負傷者を乗せた荷車では通せない。
別の尾根に光が動いた。
金属が短く鳴る。
一つではない。
三つの人影が岩の間に見えた。
乾いた沢とは違う方向だった。
ローデンなら、決めた沢を使う。
呼べば、相手にもこちらの位置が分かる。
「出る」
セドが言った。
「期限後はお前が決める。それだけで決めるのか」
「期限だけじゃない」
セドは負傷者と斜面と尾根を順に見た。
「今戻れば、あいつが残った意味を消す」
意味ではなく、本人を連れ戻せばいい。
その言葉は口に出なかった。
六人がいる。
ここに敵が来れば、歩けない三人を連れて逃げられない。
自分が沢へ戻れば、道を決める者がいなくなる。
ミナが、ローデンのために置いた水袋へ手を伸ばした。
だが、持ち上げずに止まる。
「持っていけ」
リゼが言った。
ミナが顔を上げる。
「次の場所までだ。置いていけば、戻った時に使えない」
「はい」
ミナは水と布と薬を荷へ戻した。
捨てたのではない。
次へ運ぶだけだ。
◇
九人で小屋を離れた。
セドが前方を見る。
ミナは荷車の横を歩き、負傷者の呼吸と布の染みを確かめる。
リゼは最後尾へ立った。
「代わる」
セドが一度だけ言った。
「前を見ろ。敵が来れば知らせろ」
「後ろから来ても同じだ」
「なら私が知らせる」
セドは答えず、先頭へ戻った。
白い岩場から続く斜面を、一つずつ下りる。
作業員が車体を支え、御者が馬を引く。
車輪が滑ればリゼも押した。
そのたびに背後を見る。
追ってくる人影はなかった。
乾いた沢から現れる者もいなかった。
暗くなる前に、第二の中継地へ着いた。
負傷者三人を屋内へ運ぶ。
作業員二人と御者も入る。
ミナ。セド。リゼ。
ローデンは、別の道からも来なかった。
剣も、防具も、血の跡も見ていない。
何があったのか、確かめた者はいなかった。
◇
夜、リゼは中継地の外へ立った。
焚き火は低く、壁の内側に隠されている。
ミナは火の近くへ、水袋と畳んだ布を置いていた。
使わなかった一人分だった。
交代の時刻を過ぎても、リゼは動かなかった。
暗闇の先には、斜面と白い岩場がある。
さらに向こうに乾いた沢がある。
「交代だ」
セドが隣へ来た。
「まだいい」
「時刻は過ぎた」
「眠くない」
セドは剣を渡せとも、休めとも言わなかった。
隣に立ち、同じ暗闇を見た。
しばらくして、遠くで石の転がる音がした。
二人とも剣へ手をかける。
それきり、何も続かなかった。
風だったのか、獣だったのか分からない。
ローデンの足音でもなかった。
セドが剣から手を離す。
「次の交代には起こす。今度は勝手に延ばすな」
「まだ立てる」
「次も立つなら、今は寝る」
セドは返事を待たず、壁の内側へ戻った。
リゼは暗闇を見続けた。
戻る道が残っている限り、ローデンが来ないとは決められない。
次に最後へ残る者を、見送るつもりはなかった。




