第七章 地下シェルターの子どもたち
地下への入口は、崩れたショッピングモールの駐車場に隠れていた。
アスファルトの一角が不自然に盛り上がり、その下に鉄の扉がある。錆びているが、鍵はかかっていなかった。ルクが残響とは別の何かを察知して、扉の前で耳をぴんと立てた。
「人がいる。下に」
「何人だ」
「多い。子どもの気配が多い」
ユイはルクを見た。
「危険か」
「分からない。敵意は感じない。でも、警戒してる」
ユイは扉に手をかけた。
「私が先に入る。ノアとルクは、呼ぶまで待て」
「分かった」
地下は広かった。
かつては駐車場の地下フロアだったのだろう。天井が高く、柱が規則正しく並んでいる。その空間を仕切るように、板や布や廃材で壁が作られていた。簡易的な住居が、いくつも並んでいる。
明かりは太陽光を引き込む反射板と、廃材を燃やすランタンで賄われていた。暗いが、生活できる明るさはある。
人の気配がした。
ユイが立ち止まると、柱の陰から声がした。
「止まって」
子どもの声だった。しかし、迷いのない声だった。
「武器を持ってる?」
「ナイフと拳銃。ただし、使うつもりもない」
沈黙があった。
柱の陰から、一人の少女が出てきた。
十四、五歳くらいだろうか。黒い短髪で、目つきが鋭い。痩せた頬には年齢に似合わない疲れが残っていた。服は継ぎ接ぎだらけだが、清潔にしている。その後ろに、もっと小さな子どもたちが数人、顔を覗かせていた。
「一人?」
「外に二人いる。危害を加えるつもりはない」
「どうして来た」
「通りかかった。地下への入口を見つけた」
「それだけ?」
「それだけだ」
少女はユイをしばらく観察した。商人のような目つきだった。セナに少し似ている。ただしセナより固く、余裕がない。
「……仲間を呼んでいい。ただし、ここのものを無断で持っていくなら追い出す」
「持っていかない」
「約束して」
「する」
少女は小さく頷いた。
「わたしはミナト。ここのリーダー」
ノアとルクが地下に入ると、子どもたちの空気が変わった。
ルクを見た瞬間、一番小さな子どもが「光ってる」と言い、次の瞬間には数人が駆け寄っていた。ルクは最初耳を伏せたが、子どもたちの手が恐る恐る伸びてくるのを見て、渋々受け入れた。
「触っていいよ。ただし、尻尾は持たないで。光が消える」
ルクが偉そうに注意した。
「しゃべった」
「しゃべりますが何か」
子どもたちがざわめいた。
ミナトだけが、その様子を少し離れた場所から見ていた。細い腕を胸の前で組み、笑いかけそうになる口元を引き締めている。
ノアがミナトに近づいた。
「ミナトちゃん、ここに何人いるの?」
「……十二人。わたしが一番年上」
「大人は?」
「いない。去年の冬に、最後の大人が病気で」
ノアは何か言いかけて、止まった。
「ごはん、足りてる?」
「足りてはいない。でも、飢えてはいない」
ミナトが答えた。
「わたし、料理できるよ。よかったら一緒に作る」
ミナトはノアを見た。
「何かを求めるなら、先に言って」
「求めない。ただ、料理したい。人が多い場所で料理するの、初めてだから」
ミナトは少し間を置いてから、奥の方に目を向けた。
「食材は少ない。それでもいいなら」
「少なくても工夫できる」
ノアが荷物から缶詰とハーブの束を取り出した。
ユイはミナトに案内されて、シェルターの設備を確認した。
電気は通っていない。水は地下水脈から引いているが、浄水装置が劣化していた。食料は備蓄が残り少ない。医薬品はほぼない。
「浄水装置を見せろ」
「修理できるの?」
「やってみる」
装置は小型のフィルター式だった。フィルター部分が詰まり、接続部分が錆びている。交換部品はないが、構造を見れば応急処置はできそうだった。
ユイは工具を取り出して、作業を始めた。
ミナトが隣でそれを見ていた。
「……ユイさんは、一人で旅してたの?」
「最近まではそうだ」
「なんで一人だったの?」
「その方が動きやすい」
「仲間がいる方が、生き残りやすくない?」
ユイは作業の手を止めなかった。
「場合による」
「どんな場合」
「失った時に、動けなくなる場合がある」
ミナトは黙った。
ユイは接続部分の錆を削りながら、ミナトの顔を横目で見た。その黙り方が、何かを知っている人間の黙り方だった。
「大人が亡くなった時、お前はどうした」
「……続けた。他の子がいたから」
「それだけか」
「それだけ」
ミナトの声は平坦だった。感情を排した声だった。ユイにはその声が、よく分かった。
「全部、自分で抱えているのか」
「誰かに頼める状況じゃなかった。わたしが一番年上だから」
「誰かに頼んだことは」
「ない」
「頼めなかったのか、頼まなかったのか」
ミナトは少し間を置いた。
「……頼んで、うまくいかなかった時のことを考えると」
「頼めなくなる」
「そう」
ユイはフィルターの詰まりを取り除きながら言った。
「それは正しい判断かもしれない。ただし、一人で抱えたら守れるものも守れなくなる」
ミナトが静かになった。
ユイは詰まりを取り除いたフィルターを、黙って元の位置へ戻した。
ノアの料理は、シェルターの空気を変えた。
缶詰の豆と、乾燥野菜と、ユイたちが持っていた携帯食の一部を解体して、大きな鍋でスープを作った。ハーブを加えると、地下に香りが広がった。
子どもたちが鍋の周りに集まってきた。
「いい匂い」
「お腹空いた」
「もうすぐできるよ」
ノアが鍋をかき混ぜながら、子どもたちに話しかける。名前を聞いて、覚えて、名前を呼んで答える。子どもたちが少しずつほぐれていくのが、ユイには見えた。
ルクは子どもたちに囲まれて、尻尾の光り方を変えてみせていた。
「明るくできる?」
「できるよ。見て」
尻尾がランタンより強く光った。子どもたちが歓声を上げた。
「消すこともできる?」
「できる」
光が消えると、その分だけ地下が暗くなった。子どもの一人が「怖い」と言ったので、ルクはすぐに光を戻した。
「脅かしてごめんね」
ルクが珍しく素直に謝った。
スープが配られると、シェルターは静かになった。
食べる音だけがある。それが十二人分重なると、小さいが確かなにぎやかさになった。
ミナトは自分の分を受け取って、他の子どもたちが食べているのを確認してから、自分も食べ始めた。
ノアがミナトの隣に座った。
「どう?」
「……おいしい」
ミナトは短く言った。感情を込めない言い方だったが、スープの椀を両手でしっかり持っていた。
「よかった」
「ノアさんたちの分は?」
「ユイちゃんと後で食べる。先に子どもたちに食べさせたかったから」
「自分たちの分を削ったの?」
「少しだけ。でも、じゅうぶんある」
ミナトはノアを見た。
「なんで、そうするの。見返りもなく」
「見返りを求める習慣がなかったから」
「温室では、一人だったんでしょ」
「ルクがいた。でも、人間は一人だった」
「一人なのに、誰かに与える習慣が?」
ノアは少し考えた。
「博士たちが、残響の中でそうしてたから。誰かに何かを作ること、渡すことが、当たり前の顔をしてたから」
ミナトは椀を見た。
「大人が、いなくなる前は」
「うん?」
「ここにいた大人が、そういう顔をしてたか、たまに考える。もう覚えてないから」
ノアはミナトを見た。
何も言わなかった。ただ、ミナトの隣に座ったまま、動かなかった。
ミナトはスープの続きを飲んだ。
翌日、部品を取りに行く必要が生じた。
浄水装置の応急処置はできたが、接続部分の金属部品が一つ、完全に劣化していた。近くの廃ビルに同型の設備があるかもしれないとルクが言った。
「取りに行く。ノアはここにいろ」
「一緒に行く」
「子どもたちがいる。ここにいてくれた方がいい」
ノアは少し考えてから、頷いた。
「分かった。早く戻ってきて」
「一時間以内だ」
ユイとルクで廃ビルへ向かった。ミナトが「わたしも行く」と言って、ついてきた。
「一人で来なくていい」
「わたしが地形を知ってる。案内した方が早い」
それは正しかった。ミナトの案内で、廃ビルへの道は二十分もかからなかった。
廃ビルの地下設備室に、目当ての部品があった。ユイが外して、状態を確認した。使える。
戻る途中、ミナトが少し先を歩きながら言った。
「ユイさん」
「何だ」
「昨日言ってた。一人で抱えたら、守れるものも守れなくなる、って」
「言った」
「それって、ユイさん自身も、そう思ってるの?」
ユイは歩きながら答えた。
「……思ってはいる」
「でもできてない?」
「できていない部分がある」
「わたしと一緒だ」
ミナトは前を向いたまま言った。
「だから言えたの? 自分に言い聞かせるみたいに」
ユイは答えなかった。
答えの代わりに、ミナトの歩調に合わせて歩いた。
ミナトはそれ以上聞かなかった。
シェルターに戻ると、ノアが子どもたちに植物図鑑を見せていた。
絵を指さして、外にある植物の名前を教えている。子どもたちが次々に質問して、ノアが一つずつ答えていた。
ルクが膝の上で丸まって、補足情報を挟む。
「それは食べると苦い。でも毒はないよ」
「どうして知ってるの?」
「ぼくは賢いから」
「すごい」
「そう。すごい」
ユイは入口から、その様子を見た。
ミナトがユイの隣に並んだ。
「ノアさんって」
「何だ」
「強いね。別の種類の強さだけど」
ユイは答えなかった。
ミナトが言いたいことは、分かった。
ノアの強さは、ユイにはない種類のものだ。戦えないし、判断は甘い。それでも、あの場に座っているだけで、子どもたちの顔が変わっていく。ミナトの声から、少しずつ力が抜けていく。
そういう強さを、ユイは持っていない。
だから最初に、荷物だと思った。
今は、そう思わない。
ユイは部品を手に、浄水装置の前に戻った。残りの作業を終わらせる必要があった。
部品を取りつけて、浄水装置を起動すると、きれいな水が出た。
子どもたちが集まってきた。ミナトが確認して、小さく頷いた。
「……ありがとう」
「礼はいらない」
「言いたかった」
ユイは道具を片付けた。
夕食の準備をノアが始めると、子どもたちがまた集まってきた。今日は食材を少し多く出せると、ミナトが倉庫から持ってきた。
「一日分、余分に出せる」
「いいの?」
子どもがノアを見上げた。
「ユイさんたちが修理してくれたから、水の節約ができる。その分」
ノアが料理をして、みんなで食べた。
ルクが子どもたちの名前を全員覚えて、一人ずつ呼んで得意そうにした。子どもたちがそれを喜んで、ルクがさらに得意になった。
ミナトは今日、少し早くスープに手をつけた。
ユイはそれを見て、心が満たされた。
翌朝、出発の前にミナトがユイに言った。
「また来る?」
「分からない」
「正直だね」
「来られるかどうかは、先のことによる」
「そっか」
ミナトは少し黙って、それから言った。
「昨日ユイさんが言ったこと、考えてた。夜に」
「どれだ」
「頼む、ってこと。うまくいかなかった時のことを考えると、できなくなるって言ったけど」
「ああ」
「ノアさんを見てたら、少し思った。頼むのが上手い人って、うまくいかなかった時のことを考えてないんじゃなくて、それより先のことを見てるのかもしれないって」
ユイはミナトを見た。
「それが分かったのか」
「分かったわけじゃない。そうかもしれないって思っただけ」
ミナトは子どもたちの方に目を向けた。
「でも、試してみる」
ユイは頷いた。
言葉はそれだけでよかった。
シェルターを出る時、子どもたちが入口まで見送りに来た。
ルクが一人ずつ名前を呼んで別れを告げた。子どもたちが笑った。ノアが手を振った。
ユイは振り返らずに歩き始めた。
背後でミナトの声がした。
「気をつけて」
ユイは歩きながら、小さく手を上げた。
振り返りはしなかった。それがユイの別れの仕方だった。
ノアが小走りで追いついてきた。
「ユイちゃん」
「何だ」
「ミナトちゃん、最後に笑ってた。少しだけど」
「そうか」
「ユイちゃんが装置を直したから」
「お前が料理をしたからだ」
「二人でやったから」
ユイは前を向いたまま歩いた。
ノアも並んで歩いた。
ルクが二人の間で、尻尾を揺らしながら言った。
「はいはい。二人とも、いいことした顔をしてるよ」
「してない」
「してるよ。ぼくには分かる」
北の空は、今日も灰色だった。
それでも三人の足は、昨日より少し軽かった。




