第十九章 三人の帰る場所
南へ向かう街道の途中で、見覚えのある赤いペンキの印を見つけた。
廃屋の壁に残された、キャラバンが通った印だった。ルクが地面の轍を確認した。
「新しい。今日か昨日だ」
「追える」
「追えると思う。この方角だと、二時間ほど先に野営に適した場所がある。そこにいるかもしれない」
予測は当たった。
廃工場の跡地に、キャラバンが止まっていた。焚き火の煙が上がっていた。
セナが最初に気づいた。
車両の上に立っていて、三人が近づいてくるのを見て、地面に飛び降りた。
「生きてた」
「生きている」
「全員?」
「全員だ」
セナがノアとルクを順に見た。
「ルク、尻尾の光が弱い」
「弱くなった。色々あって」
「色々、ね」
セナはユイに向き直った。
「話を聞かせて。全部」
「今夜、話す」
「ごはんを食べながら聞く。座れ」
キャラバンの焚き火を囲んで、ユイが話した。
稜線ルートのこと。組織の人間と間一髪すれ違ったこと。塔に入ったこと。ハルカの映像記録のこと。ノアが接続したこと。ルクがデータを提供したこと。残響が整理されていること。
セナは黙って聞いた。
途中で口を挟まなかった。最後まで聞いた。
それから言った。
「無茶したね」
ユイが答えた。
「無茶ではない。手順を踏んだ」
「その手順が無茶だった、って言ってる」
「結果として全員戻ってきた」
「今回はね」
セナがノアを見た。
「ノアちゃん、大変だったでしょ」
「大変だったけど、できたから」
「怖かった?」
「怖かった。でも、ユイちゃんの声が聞こえてたから」
「そっか」
セナがユイを見た。
「ユイ、お前変わったね」
「昨日も似たようなことを言われた」
「ミナトに?」
「ああ」
「みんな同じことを思ってる、ってことだよ。変わった。いい方に」
「そうか」
「素直に受け取れ」
「受け取った」
「顔が受け取ってない」
「内側では受け取った」
セナが笑った。
ルクが焚き火の前で干し肉をもらって食べていた。セナの仲間の一人が、ルクの光が弱くなったことに気づいて、心配そうにしていた。
「大丈夫なの?」
「大丈夫。力が変わっただけ。ぼくはルクだから」
「しゃべれてるなら大丈夫か」
「しゃべれなくなったら、本当に大変な時だよ」
食事の後、セナとユイは少し離れた場所で話した。
「組織は今どうなってる」
「塔が動いたことを知ったら、混乱してると思う。世界を支配する手段にしようとしてた派閥にとっては、計画が崩れた」
「敵対してくるか」
「可能性はある。ただ、組織の中でも派閥争いがあったから、今頃内部がごたごたしてると思う。すぐに動く余裕はないはずだ」
「すぐに、ということは、いずれ動く」
「いずれ動く可能性はある。塔を目指した人間が他にもいる。目指した理由が消えたわけじゃない。世界の再生を望む気持ちは、誰にでもあるから」
「敵対してくる理由がなくなる可能性もある」
「そっちの可能性の方が高いと思う。世界が回復に向かうなら、それを邪魔する理由がない」
ユイは焚き火を見た。
「セナはこれからどうする」
「キャラバンを続ける。世界が変わっても、物が必要な人がいる。情報が必要な人がいる。あたしの仕事はなくならない」
「そうか」
「ユイは?」
「拠点を探す。三人で腰を落ち着ける場所を」
「どの辺に?」
「ミナトのシェルターとセナのルートの間くらいが、都合がいい」
「あたしの行動範囲に入れてくれるってこと?」
「そういうことになる」
セナが少し笑った。
「ユイにしては、珍しい」
「何が」
「人との繋がりを、意識的に保とうとしてる。前のユイはそういうことをしなかった」
「前は一人だったから必要なかった」
「今は三人だから?」
「三人だから、必要になった」
セナが空を見た。
「ユイ。ノアちゃんと、うまくいってる?」
「何がうまくいく、という意味だ」
「そのままの意味」
ユイは少し間を置いた。
「うまくいっている、と思う」
「思う、じゃなくて?」
「確認する方法が分からない」
「本人に聞けばいい」
「聞いた場合、答えが返ってくることは分かっている。それが怖い部分がある」
「いい答えが返ってきたら?」
「それでも怖い」
「なんで」
「受け取り方が、分からない」
セナがユイを見た。しばらく見て、それから笑った。笑い声は立てなかったが、笑った。
「ユイらしい」
「笑うな」
「笑ってない。かわいいな、と思っただけ」
「その感想はいらない」
「ノアちゃんに言っておく」
「余計なことをするな」
「言わない、言わない」
セナが立ち上がった。
「ユイ、拠点を探すのを手伝う。あたしのルート上に、使えそうな場所がいくつかある。情報を提供する」
「代金は」
「出世払い。もう恒例だから」
「いつか払う機会を作る」
「そん時はちゃんと払ってよ。出世払いって言葉を本当に出世してから払う人間、なかなかいないから」
「払う」
「信じる。ユイが言うなら」
翌朝、キャラバンと別れた。
セナが荷物に食料と情報を追加してくれた。近くの集落の地図と、使えそうな建物の目星をいくつか。
「気をつけてね。三人とも」
「世話になった」
「また世話になりにきて。あたしの仕事はそれだから」
ノアがセナに言った。
「セナさん、ありがとうございました。最初から、ずっと」
「あたしは商人だから、見返りがなければ動かない」
「見返りがあったから動いてくれたとしても、助かったことは本当だから」
セナがノアを見た。
「ノアちゃん、強くなったね」
「そうかな」
「うん。最初に会った時とは違う。まあ、最初から芯は強かったけど」
「芯、ありましたか?」
「あった。絶対あった。ユイが見逃してただけで」
ユイは何も言わなかった。
セナが笑った。
「行きな。また会おう」
「また会いましょう」
ルクがセナに向かって耳を立てた。
「セナ、またね」
「またね、ちび」
「ちびって呼ぶな」
「じゃあルク。またね」
「うん。またね」
ユイたちはキャラバンを後にした。
街道を外れて、セナから教えてもらった集落を目指した。
道は歩きやすかった。雪解けで緩んでいた地面が少しずつ固まってきていた。植物が、あちこちで自由に育っていた。残響に従って育つのではなく、ただ育っている。
ノアが道端の植物を見ながら歩いた。
「また新しい花が咲いてる」
「前回と違う種類だ」
「うん。昨日の黄色いやつとは違う。白い花だ」
「白か」
「きれいだよ。見て」
ノアが立ち止まって、道端の白い花を見た。
小さい花だった。群れて咲いていた。葉が細く、花びらが薄かった。
「名前、分かる?」
「図鑑を置いてきた」
「あ、そうか。残念」
「ルクなら分かるかもしれない」
「ルク、この花は?」
ルクがユイの肩から覗き込んだ。
「……分からない。観測端末の記録を参照できなくなったから」
「そっか」
「ただ、毒じゃないと思う。匂いがしないから」
「食べられる?」
「それは分からない。試したくない」
「試さないよ」
ノアが白い花を一本摘んだ。
「これも押し花にする。名前は後で調べる」
「どこで調べる」
「集落に行ったら、図鑑を持ってる人がいるかもしれない。いなければ、自分で記録していく」
「記録?」
「うん。見た植物を、自分でメモしていく。名前が分からなくても、形と色と場所を書いておけば、いつか誰かが教えてくれるかもしれないし、自分で調べられるかもしれないし」
ユイはノアを見た。
「それは、旅の記録になる」
「そうなるね」
「続けていけば、この世界の植物の記録になる」
「大げさかな」
「大げさではない。終末後に何が育っているかを記録した資料は、ほとんどない」
「そっか。じゃあ、ちゃんとやってみよう」
ノアが白い花を荷物に入れた。
ルクが言った。
「ノアが植物の記録者になる」
「記録者は大げさだよ」
「でも、それが積み重なれば、誰かの役に立つ」
「そうだといいな」
ユイは前を向いて歩いた。
ノアが植物を記録していく。ユイが道を探す。ルクが観察する。
それが、これからの旅の形になるかもしれなかった。
集落が見えてきたのは、午後だった。
小さかった。十数軒の建物が、川沿いに並んでいた。畑の痕跡があった。使われていない畑だったが、土の状態は悪くなかった。川が近いから、水は確保しやすい。
「人がいる?」
ルクが耳を立てた。
「いる。少ない。五、六人くらいかな」
「敵意は」
「感じない。ただし、警戒はしてると思う。見慣れない人間が来たから」
「近づく。ゆっくりと」
三人は集落に近づいた。
最初に気づいたのは、老人だった。畑の跡地で、土を確認していた。三人を見て、立ち上がった。
「旅人か」
「そうだ。通りかかった」
「どこから来た」
「北から」
老人が少し目を細めた。
「北から。塔の方角から」
「塔に行ってきた」
「……行ってきた、というのは」
「入ってきた。起動させてきた」
老人が黙った。
しばらくして、言った。
「昨日から、空が違う。残響が薄くなってる気がしてた。お前たちが」
「私たちが起動させた」
「そうか」
老人はユイを見つめ、それからノアとルクへ、ゆっくり視線を移した。
「若いな」
「若くても、できた」
「そうだな。若いからできたかもしれない」
老人が集落の方を向いた。
「中に入れ。話を聞かせてくれ。礼はできないが、食事くらいは出せる」
「礼はいらない。話はする」
集落には、七人が暮らしていた。
年齢はばらばらで、老人が三人、中年が二人、若者が二人。もともとはもっと多かったが、終末後に散り散りになって、残った人々が集まっていた。
集落の中心に、大きな建物があった。かつては集会所だったらしい。その中で、七人と三人が向き合った。
ユイが塔のことを話した。
七人は黙って聞いた。
話が終わると、中年の女性が言った。
「世界が回復するなら、畑が使えるようになるかもしれない」
「ゆっくりとだ。一夜で変わるわけではない」
「それでいい。急には要らない。少しずつでいい」
老人が身を乗り出した。
「残響が薄れれば、土の状態が改善する場所がある。ここの川の水は、どうだ」
「飲める。残響の影響を感じたことはない」
「土はどうだ」
「去年まで少し育てていた。今年は試していない」
「試す価値がある。水があって、土の状態が悪くなければ、畑は作れる」
「お前たちは、どこへ行く」
「拠点を探している」
「拠点」
「三人で腰を落ち着ける場所が必要だ。旅を続けるにしても、帰る場所が要る」
老人が集落を見回した。
「ここに来てもいい」
ユイは老人を見た。
「ここに人が増えれば、集落として機能しやすくなる。若い人間が必要だった。仕事があれば、礼もできる」
「仕事は何だ」
「道の修理、建物の補修、物資の調達。それから」
老人がノアを見た。
「料理はできるか」
ノアも老人を見返した。
「料理はできます。植物の世話もできます」
「畑を任せられるか」
「任せてもらえるなら、やります」
「ルクとかいう生き物は、何ができる」
ルクが耳を立てた。
「なんでもできる」
「具体的に」
「耳がいい。観察力がある。名前を覚えるのが得意」
「役に立ちそうだな」
「当然。ぼくは優秀だから」
老人が少し笑った。
「決めるのは急がなくていい。見てから決めろ。ここがどんな場所か、見てから」
「そうする」
その日の夕方、三人は集落の外れに座っていた。
川の音が聞こえた。水が流れる音。ゆっくりとした音だった。
ノアが川を見ていた。
「いいとこだね」
「まだ決めていない」
「うん。でも、いいとこだと思う」
「何がいい」
「川がある。畑ができそう。人がいる。でも多すぎない」
「多すぎない、が基準か」
「わたし、大勢が得意じゃないから。温室に一人でいたから」
「シェルターでは大勢と話していた」
「あれは短い時間だったから。ずっとは疲れる」
「そうか」
「ユイちゃんは?」
「私は、どこでも同じだ」
「どこでも同じ?」
「慣れれば、どこでもやれる」
「じゃあ、ここでもやれる?」
「やれる。お前がいいなら」
ノアが川を見たまま言った。
「ここがいいと思う。ユイちゃんがやれるなら、ここがいい」
「決めるか」
「決める」
ルクが草の上で伸びをした。
「ぼくも賛成。川の水がきれいだから、魚がいるかもしれない」
「魚を取るつもりか」
「取れるならね。ぼく、魚が好きだから」
「食べたことがあるのか」
「ない。でも好きだと思う」
「食べてから判断しろ」
「食べる前から好きな予感がするんだよ」
ノアが笑った。
「ルクらしい」
「ぼくはいつでもルクらしい」
夕日が川面に反射していた。
橙色の光が、水の上を揺れた。
ユイはその光を見た。
拠点が決まった。
帰る場所が、できた。
それが何を意味するのか、まだ完全には理解できていなかった。ただ、悪くないと思った。
夜、三人は川の近くで眠った。
集落の建物を借りることもできたが、今夜は外がいいとノアが言った。
「最後の野宿をしたい」
「最後?」
「しばらく、という意味で。また旅に出たら、野宿するけど」
「旅に出るのか」
「出る。ここを拠点にして、また出る。ユイちゃんが海に連れていくって言ったから」
「言った」
「約束だよ」
「約束だ」
ノアが毛布を出した。ルクがノアの隣に潜り込んだ。
ユイは少し離れた場所に座った。
「ユイちゃん」
「何だ」
「こっちで寝たら? 寒いでしょ」
「問題ない」
「問題なくても、こっちで寝ればいい」
「……」
「ルクも来ていいって言ってる」
「ぼくは関係ない。でも来てほしい」
ユイは少し間を置いた。
それからノアの隣に座った。
「今夜だけだ」
「うん。でも、明日も言う」
「そうだろうと思った」
「毎日言う」
「毎日困る」
「毎日困ってくれていい」
ルクが毛布の端から顔を出した。
「二人とも、声が大きい。眠れない」
「お前が余計なことを言うから会話が伸びる」
「ぼくのせい?」
「お前のせいだ」
「理不尽だ」
「理不尽ではない。明確な因果関係がある」
「ノア、ユイが理不尽だ」
「ユイちゃん、ルクが眠れないって言ってる」
「自業自得だ」
「自業自得だよ、ルク」
「ノアまで」
三人の声が、川の音に混ざった。
川は静かに流れ続けた。
夜空に、星が出ていた。昨日より多かった。雲が少なかった。
ユイは空を見た。
終末後の空で、これだけの星が見えるのは久しぶりだった。
残響が薄れたから、空が変わってきているのかもしれない。あるいは今夜だけかもしれない。どちらでも構わなかった。
今夜、見えている。
「ユイちゃん」
「何だ」
「星、きれいだね」
「ああ」
「多い。ユイちゃんが言った通り、予想より多い」
「そうだろう」
「前に、写真より多く見えるって言ってたから、楽しみにしてた」
「覚えていたのか」
「覚えてる。ユイちゃんが言ったことは、大体覚えてる」
「大体か」
「全部は難しいから。大体」
「大体でじゅうぶんだ」
ノアが空を見ていた。ルクも空を見ていた。ユイも空を見た。
三人で、同じ空を見た。
川の音がして、草が揺れて、星が瞬いた。
世界は、まだ完全には戻っていない。
戻らない部分は、あるかもしれない。
それでも今夜、三人がここにいた。




