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世界の終わりで、きみと朝ごはんを作る~残響を読む少女と滅びた世界を旅する~  作者: 明石竜


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12/21

第十二章 雪の降る町で

 雪が降り始めたのは、昼過ぎだった。

 最初は粉雪だった。空から舞い落ちてくる白いものを、ノアが掌で受けた。

「雪だ」

「そうだ」

「初めて見た。実物は」

「寒くなるぞ。覚悟しておけ」

 ノアは掌の上の雪が溶けるのを見ていた。白いものが水になって、掌に滲む。その様子をじっと見ていた。

「冷たい」

「当然だ」

「きれいだね」

「進みにくくなる。きれいとは思わない」

 ルクがノアの肩の上で丸まった。

「ぼく、雪が苦手。足が冷える」

「荷物に潜り込んでいろ」

「そうする」

 ルクがユイのリュックのサイドポケットに滑り込んだ。頭だけ出して、外を見ている。

 雪は次第に強くなった。

 粉雪から、牡丹雪に変わった。空が白くなった。視界が狭まる。足元に雪が積もり始め、歩くたびに沈む感覚がある。

 ユイは地図を確認した。この先に、雪に埋もれた町があるはずだった。終末前は山間の小さな集落だったらしい。建物が残っていれば、屋根のある場所で休める。

「急ぐ。ついて来い」


 町は、地図より小さかった。

 十数棟の建物が、雪の下に埋もれていた。壁の上部だけが雪の上に出ている。屋根が見える建物は半数ほど。残りは崩れているか、雪の重みで潰れていた。

 ユイは屋根が残っている建物を選んだ。

 木造の古い民家だった。玄関の扉は雪で塞がれていたが、窓から入れた。中は暗く、埃が積もっていたが、屋根は無事だった。天井も落ちていない。床が抜けている箇所が一か所あったが、避ければ問題ない。

「ここで休む」

「何日?」

「雪が収まるまで。状況次第だ」

 ノアが中を見回した。台所があった。竈の名残と、古い薪ストーブ。薪は残っていないが、木材を集めれば火が起こせる。

「火を起こせる?」

「材料を集めれば」

「一緒に集めてくる」

「まず荷物を下ろせ。私が行く」

「二人の方が早い」

 反論できなかった。二人で外に出て、雪の積もっていない軒下や、崩れた建物の内側から木材を集めた。濡れていないものを選んで、運んだ。

 薪ストーブに火を入れると、部屋が少しずつ温まった。

 ルクがリュックから出てきて、ストーブの前に陣取った。

「あったかい」

「離れすぎるな。毛が焦げる」

「大丈夫。この距離は計算済み」

「計算根拠は」

「感覚」

 ノアが笑いながら、濡れた上着を脱いだ。ストーブの側面に引っ掛けて乾かし始める。ユイも同じようにした。

 外では雪が続いていた。

 窓の外が白い。音が、雪に吸われて静かになっていた。


 一日目は、体を休めることに使った。

 ノアが食料を確認して、何日分あるかを計算した。水は外の雪を溶かせば作れる。食料は七日分ほどある。雪が七日以上続くなら、食料の調達を考える必要がある。

「廃病院があると聞いた。町の外れに」

 ルクが外を見ながら言った。

「薬が残っているかもしれない。行けそうなら確認した方がいい」

「雪が収まってから行く」

「うん」

 ノアが窓の外を見た。雪はまだ降り続けていた。

「ユイちゃん、雪の中を長く歩いたことある?」

「ある。去年の冬に、北の方角を偵察した」

「一人で?」

「一人で」

「大変だった?」

「体力が削られる。視界も悪い。ただ、敵対的な生き物は冬に動きが鈍くなる。一長一短だ」

「そっか」

 ノアがストーブの前に座って、膝を抱えた。

「去年の冬、わたしは温室にいた。外で雪が降ってるのは見えたけど、中は植物が保温してくれてたから、あんまり寒くなかった」

「温室は特殊な環境だ」

「うん。だから外の寒さを、あんまり知らない」

「今年は知ることになる」

「うん」

 ノアが少し笑った。

「知らなかったことを知るのって、怖いこともあるけど、面白いこともある」

「雪の寒さのどこが面白い」

「経験したことがないから。初めてのことは、怖くても面白い」

 ユイには、その感覚がよく分からなかった。

 ただ、ノアがそう思えるのは、ノアの持ち方の問題だと思った。同じ出来事を、どちらの面から見るかの。


 二日目の朝、ノアが体調を崩した。

 起き上がった時から顔色が悪かった。頭が重い、と言った。熱を測る手段はないが、触れると熱かった。

 ユイは状況を判断した。

 移動はできない。雪も続いている。薬が必要だ。

「廃病院に行く」

「雪の中を?」

「お前に必要なものがある可能性がある」

「でも、吹雪いてるし」

「問題ない」

「一人で行くの?」

「お前はここで待っていろ。動くな」

「ユイちゃん」

「約束した。置いていかない、と言った。ただし今日は行って戻ってくる。置いていくわけではない」

 ノアは少し考えてから、頷いた。

「気をつけて」

「ルク、ノアのそばにいろ」

「分かった」

「ストーブの火を絶やすな。水は雪を溶かして確保しておけ」

「全部やる」

 ユイは防寒具を重ね着して、外に出た。


 雪は深かった。

 膝まで積もっている場所もあった。ユイはルクに聞いた方角を信じて、真っすぐ歩いた。視界は三十メートルほど。それ以上先は白い。

 廃病院は、町の北端にあった。

 外壁は雪に埋もれていたが、建物の輪郭は残っていた。入口の扉は開いていた。中に入ると、雪がないだけで、外と大して変わらない寒さだった。

 薬品棚を探した。一階は診察室が並んでいた。棚の多くは空だった。誰かが以前に取っていったのかもしれない。

 二階に上がった。処置室があった。棚の奥に、密閉された引き出しがあった。開けると、薬が残っていた。解熱剤、消毒液、包帯。解熱剤は古いが、密閉されていた。使える可能性がある。

 全部持っていく。

 帰ろうとした時、廊下の突き当たりの窓に、光が滲んでいた。

 残響だった。

 ユイは足を止めた。

 近づかないつもりだった。しかし、その光の形が目に入った。

 人の形だった。

 小柄な人の形が、窓の前に立っていた。

 ユイには、残響の人影の顔は見えない。輪郭しか分からない。しかしその輪郭が、記憶の中の誰かに似ていた。

 背が低い。小柄。髪が短い。

 足が、動かなくなった。

 光の人影が振り返った。

 声がした。

 声ではなく、残響の音の層が、言葉の形に聞こえた。ユイの耳の中で、記憶と混ざって、言葉になった。

 ――また同じことをするの?

 ユイは壁に手をついた。

 声の質が、記憶の中のものと一致していた。明るい声。無鉄砲な声。怖いものがなかった頃の声。

 ――一人で全部抱えて、また誰かを遠ざけて。

 ユイは目を閉じた。

 目を閉じても、声は続いた。

 ――ユイ。あたしがいなくなったのは、あんたのせいじゃない。何度でも言う。でも、あんたが聞かないから、ずっとここに残ることになった。

 ユイは息を吐いた。

 残響は、死者の意思ではない。残った記憶と、場所の性質が作り出す幻だ。サヤが本当に言いたかったことを、これが伝えているわけではない。

 それでも。

 ――あんたが今そこにいる子を見ないなら、あたしはずっとここにいる。あんたの中に。

 ユイは目を開けた。

 窓の前の光の人影は、もう消えていた。残響の波が、薄れていた。

 ユイは廊下を歩いた。

 一歩一歩、確認するように。雪の積もった廊下を、出口に向かって歩いた。

 外に出ると、雪が少し収まっていた。

 空が、少しだけ明るかった。


 民家に戻ると、ルクが入口まで走ってきた。

「遅かった。心配した」

「問題ない。薬を持ってきた」

「ノアは?」

「どうだ」

「熱が上がった。眠ってる」

 ノアはストーブの前で毛布に包まれて眠っていた。顔が赤い。呼吸は規則的だ。

 ユイは持ってきた解熱剤の状態を確認した。古いが、密閉されていた。有効期限は終末前のものだが、完全な劣化はしていないはずだ。

 ノアを起こした。

「ノア」

「……ユイちゃん」

「薬を持ってきた。飲める?」

「うん」

 水で薬を飲ませた。ノアが飲み込んで、また横になった。

「温かかった? 病院」

「寒かった」

「そっか。ごめんね、行かせて」

「謝るな。必要なものを取りに行っただけだ」

「でも、吹雪の中を一人で」

「たいしたことではない」

 ノアが毛布の中から手を出した。ユイの手に触れた。

「冷たい」

「外を歩いてきたからだ」

「温める」

「いらない」

「もう触ってるから」

 ノアがユイの手を両手で包んだ。ノア自身が熱があるはずなのに、ユイの手の方が冷たかった。

 ユイは手を引こうとしたが、ノアが眠りかけていた。引いたら起こしてしまう。

 そのまま、少しの間、手を預けた。

 ルクが隣でストーブを見ながら言った。

「廃病院で、何かあった?」

「ない」

「顔が、少し違う」

「何も変わっていない」

「そう」

 ルクはそれ以上聞かなかった。


 翌日の夕方には、ノアの顔色が戻り、食欲も出てきた。 

「お腹が空いた」

「それは回復の証拠だ」

「何か食べたい。温かいもの」

「食料の状況を確認してから作る」

「手伝う」 

「寝ていろ」

「もう熱ないよ」

「確認してからだ」

 ユイが触れてみると、確かに熱は下がっていた。

「……少しなら起きていい」

「やった」

 ノアが毛布を持ったまま起き上がった。食料の確認をして、何が作れるかを考え始めた。

 乾燥豆と、乾燥野菜と、持ってきたハーブ。雪を溶かした水で、スープが作れる。

「ユイちゃん、さっき廃病院で何か見た?」

 ノアが鍋に水を入れながら、さりげなく聞いた。

「なぜそう思う」

「ルクが言ってたわけじゃないけど。ユイちゃんが戻ってきた時、少しだけ顔が違ったから」

 ユイはストーブに木材を足した。

「残響があった」

「誰の?」

「……分からない。確認できなかった」

 それは本当のことだった。残響がサヤのものだと、確認できたわけではない。記憶と混ざって、そう聞こえただけかもしれない。

「怖かった?」

「怖くはない」

「つらかった?」

 ユイは手を止めた。

「……少し」

「そっか」

 ノアはそれ以上聞かなかった。鍋をかき混ぜながら、ハーブの量を調整している。

 しばらくして、ノアが言った。

「廃病院に行ってくれてありがとう。雪の中を一人で」

「必要だったから行った」

「必要だったから、じゃなくて、ありがとう」

 ユイは返事をしなかった。

「ユイちゃんがいてくれて、よかった」

「……」

「熱があって、しんどかった時に、ユイちゃんが戻ってきたから、安心した」

 ユイはストーブを見ていた。

「それだけで、すごく嬉しかった」

 スープが煮立ち始めた。

 ノアが鍋の蓋をずらして、湯気を逃がした。ハーブの香りが部屋に広がった。

 外ではまだ雪が降っていたが、昨日より弱かった。明日には止むかもしれない。


 夜、ノアが眠った後で、ユイはストーブの前に座っていた。

 ルクが隣に来て、座った。

「ユイ」

「何だ」

「廃病院で、サヤを見たんでしょ」

 ユイは答えなかった。

「ぼくには分かる。ユイの残響への反応は、他の場所と違ったから」

「…………」

「サヤは、何て言ってた」

「残響が本人の意思を伝えるわけではない」

「でも、何かが聞こえた」

 ユイは火を見た。

「また同じことをするのか、と言っていた。一人で抱えて、誰かを遠ざけて、と」

「そっか」

「そうじゃないと思いたい。ノアを遠ざけようとしているのは、サヤの時と同じではない。状況が違う」

「でも、似てる部分がある」

「……似てる部分がある」

 ルクが少し黙った。

「サヤのことを、ノアに話した方がいいと思う。いつか」

「前にも言った」

「また言う。ノアはユイのことを知りたいと思ってる。ユイの過去も含めて」

「重荷になる」

「重荷かどうかは、ノアが決めることだ」

 ユイは返せなかった。

「ユイがサヤを一人で抱えてる間は、ノアはユイの隣にいても、ユイの全部には届かない」

 ルクは尻尾を揺らした。

「ぼくはノアの家族だから、ノアのことを一番に考える。だから言う。ノアには、ユイの全部の隣にいてほしい。一部だけじゃなくて」

 火が揺れた。

 ユイはしばらく、火を見ていた。

「……考える」

「うん」

「すぐには話せない」

「すぐじゃなくていい。いつかでいい」

 ルクが伸びをして、毛布の端に潜り込んだ。

「おやすみ、ユイ」

「……ああ」

 ユイはもう少し、火の前にいた。

 ノアの寝息が聞こえた。規則正しい。安定している。

 廃病院の残響が言っていた。

 今そこにいる子を見て。

 ユイには、その言葉がサヤのものかどうか、今も分からない。残響が作り出した幻かもしれない。

 ただ、言葉の内容は正しかった。

 正しいかどうかは、ユイ自身が一番知っていた。

 ノアの手が、毛布の外に出ていた。

 ユイはその手を、毛布の中に戻した。

 触れる時間は、一瞬だけにした。

 それでも、その一瞬は確かにあった。

 外の雪が、静かになっていた。

 明日は、晴れるかもしれない。


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