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鏡の中の令嬢は溺愛希望王子と、すれ違って魅せられる。  作者: 待鳥園子


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07 鏡越しのキス

「こんにちは。エインセル。ようやく……この鏡から出られるね。この場所から動けない窮屈な思いとはもうお別れだ」


 次の瞬間。すぐ近くで、アレク様はにっこりと微笑んだ。やめてやめて、心臓に悪いから。それに、私はこの場所から後退れないのだ。いわば、まな板に載っている魚の状態。料理されるのを待つだけ。


「あのっ……今……前の、次の日ですか?」


 これまで会えるまでに二回ほど一週間に一ヶ月と、アレク様側では、思わぬ時間が過ぎてしまっていた。


 だから、また予想もしていなかった出来事が起こって長い時間が経っていたのではないかと、私は心配した。


 見るからに不安そうな私を見て、アレク様は驚いた顔をしてからすぐに、明るく笑った。


「ああ。君の思った通りだ。二人で二時間を過ごした、次の日だよ。僕の事情で、何度も心配を掛けてすまない……もう、今日から全てのしがらみから解き放たれ……そんなくだらない悩みとは縁が切れると思うと、心の中には嬉しいという気持ちしかない」


 その言葉の通り、今まで見たこともない晴れやかな表情を見せるアレク様。そっか、そうしたら。鏡から出られれば、私たち二人はこの国から旅に出るんだ!


 彼の服装を確認すれば、今までのように王族らしさはなかった。生地は上質ではあるものの、裕福な平民が着ていてもおかしくない服を着ていた。とは言っても、育ちの良さは、どうしても隠せないから。見る人が見れば、彼の持つ高い身分はわかってしまうと思うけど。


「えっと……アレク様。今日は、お仕事の方は……?」


 通常ならば彼は、日中仕事をしている。だから、大体は夜の時間に彼は一人になり、私は鏡に現れる。けど、今は陽は高く、窓の外は明るい。


「今日は、一日休日を取った。たまには良いだろう。この国の第二王子として生まれた責務は、僕は既に果たしたと思う……十分にね」


 アレク様は肩を竦め、淡々としてそう言った。彼はこうして王族に生まれていなかったら、ただ一人の兄と上手くいったかもしれないのに。


 これまで長い間兄からの憎まれ耐えに耐えて、まるで逃げるようにして、この国から去らなければならないなんて……神様はきっと、彼が見えていないのかもしれない。


「……ええ。アレク様は、十分に果たされたと思います。私も、そう思います」


 私はそれを真面目に言ったんだけど、彼は苦笑した。


「はは。記憶がない君にもそう言って貰えると、僕も自信が持てるよ。自らの立場を捨て権力争いもせず、この国から出て行くことを選んだのだから。国の安寧にも協力していると言える……ただの僕側の、勝手な言い分だけどね」


 兄の王太子の次に継承権を持つ彼がその気になれば、貴族は王太子派と第二王子派に分かたれ、国は荒れに荒れてるだろう。そうなれば、国民はとても悲しむ。


 だから、彼はそれをせずに、何もかも捨てて身一つで国を出る。ちゃんと、流れは理解はしているけど……私自身は、どうにも彼の処遇に納得はいかない。


 でも……アレク様は、私ではないし。彼の道を決めるのは、彼だけだ。


「アレク様が国を出れば、国民はとても悲しむと私は思います。けど、そんなに良い笑顔が見られるなら、きっと許すと言ってくれるでしょうね」


 これまで兄との関係に、幼い頃から思い悩んでいたアレク様が、こんなにまで清々しい表情を見せるなら、その方が絶対良い。わかってくれるはずだと思う。


「父王も体が弱いとは言え、まだまだ健在だし、僕さえ居なくなれば、兄も憎しみを忘れ我に返るだろう。王位に付けば、不仲だった弟など忘れてしまうはずだ。そう願うよ。それでは、これで最後だ……本日の条件を、見てみようか」


 アレク様にそう言われたので、私はいつも通りに枠に刺さっていた四つ折りの手紙を取った。いつも思うけど、これってどうやってここに置かれてるんだろう。そう思うと、私が鏡の中に居ること自体、よく分からないけど。


「……えっと……ええっと」


 書かれていた内容を口にすべきか、少し迷って……私は口に出来なくなった。多分、顔は熱くて赤いけど、目の前の鏡は透き通っているので、もちろん確認は出来ない。


「……どうした? 言い難い内容なのか?」


 アレク様はこれまで、割とすんなりとその内容を口にして来た私が口籠もってしまったので、首を傾げて何があったのかと不思議そうだ。


「っ……ええ。とても……」


 アレク様が私の様子を見て思った通りなので、どう言ったものかと、私はうーんと考えた。


「……ならば、言わなくて良い。手紙を僕に見せてくれれば、それで」


 その言葉の通り、私は何も言わずに手紙を掲げて彼に見せた。


「『鏡越しのキス』……? なるほど。これはエインセルからは、言い難いね」


 アレク様はなんでもない様子で手紙の内容を読み上げ、平然と顎に手を当てていた。


「なんで……なんで、そんなに平気そうなんですか。良いですか。私はアレク様のように、色々と慣れている人とは違うんです。記憶はないけどっ! わかるんです!」


 アレク様にただ近寄られただけだとしても、心臓が口から飛び出そうなくらいに恥ずかしくなってしまう私が、男女関係に慣れている訳がない。キスもしたことないと思う。多分。わかんないけど。


 彼は羞恥心を我慢出来ない私の言い分を聞いて苦笑し、わかったわかったと言わんばかりに頷いた。


「……そういう訳でもない。だが、鏡越しというと、実際に皮膚に触れる訳でもないから。そこまでの激しい忌避感を見せられると……正直言えば、傷ついてしまうんだが」


 面白そうな表情から彼が揶揄っているというのは、理解出来たものの、それは否定せずにはいられない内容だった。


「ちっ……違います! 別にアレク様が、嫌なわけではないです! ……なんで、こんな条件……なんでしょう? それに、七つの条件全てが……まるで、私たち二人が仲良くなるために考えられたみたいで」


 最初挨拶をして、次は手を合わせる接触、目を合わせて見つめ合い、悩みや願い、心の内を打ち明ける、そして、極め付けのキス。


 まるで……付き合う前の男女がすることを、私たち二人は条件という強制に近い何かのために、順番にこなしているように思う。


「それは……実は、僕もエインセルと同じことを思っていた。段階を踏んで、徐々に心の距離が縮まっていったね。けど、別に何の支障はないだろう。僕がエインセルに好意を持ったとしても、特に悪いことはない」


「……そうですね」


 その時、何かが引っ掛かった気がするけど……これでもう最後だし深く考えるのは止めよう。私も彼の言葉に頷いた。


 鏡を出てそれから記憶さえ取り戻せば、色々とわかって来るはずだ。このまま鏡を出なければ、何も出来ない。記憶を取り戻す努力だって、出来ない。となれば、やるしかない。


「僕が思うに。この状態で互いに顔を近づけ合うと、思わぬ場所をぶつけたり危険だと思うんだ。なので、エインセルが唇を鏡に付けてくれれば、僕が後は引き受けるから……出来る?」


 私はとにかく早く、この最後の条件をこなしてしまおうと彼の提案に何度か頷いた。勢いを逃したくないと、余計なことは言わずに鏡に唇を付けて、目を閉じた。


 現在の自分がとても間抜けな状態にあることは、わかっているんだけど……これさえ終わったら、鏡から出られる。出たい。早く。鏡の中に閉じ込められて何も出来ないなんて、もう嫌。


 フワッとした柔らかな白い光が眼裏に見えて、私の体の肌はひんやりとした空気に触れた。


 閉じ込められていた鏡の外に出られたんだと察して、私は目をゆっくりと開いた。


「……やあ。エインセル。気分はどう? 寒くはない?」


 目の前には、美々しい容姿を持つ王子様。もちろん。知っている。この人は……。


「アレク様……」


 鏡を出たと同時に取り戻した記憶を踏まえて、私は非常に驚いていた。やだ。嘘でしょ。そんな。どうしよう。


「君の着替えも、もちろん用意してあるよ」


 アレク様はようやく私を鏡の中から出すための条件を七つ全てこなせたことに満足して、とても喜んでくれているようだ。


 微笑んだ彼が指差したベッドの上には、女性用の旅装に……旅行用のバッグ。彼は二人でこのまま、私の国を見つけに行く予定にしてて……そうだった。


 その時、コンコンと扉が叩かれて、アレク様の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「……すまない。例のロディの声だ。だが、ちょうど良かった。エインセルは、ここで着替えて、待っていてくれ。すぐに戻るよ……ああ。僕の寝室だけど、ちゃんとノックはするから、安心してくれ」


 アレク様は鏡から出たばかりの私が、物凄く挙動不審であることなんか、特に気にせずに扉を開けて出て行ってしまった。


 私は記憶を取り戻したことを、彼に言えなかった。言えなかったっていうか……言わなくて済むなら、一生そのままにしたいっていうか……。


「これで、気が済んだ? ……エインセル」


 私は背後から聞こえた面白がるような声に、顔を顰めて振り向いた。もう……いつも、こうなんだから。


「その名前で呼ぶの……止めてよ」

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