06 二時間一緒に居る
「エインセル。やっと、会えた」
彼の声が今までにない切実さを帯びていたので、どこか嫌な予感がした。
アレク様の姿を見れば、長めの髪が少し伸びている気がするし……なんなら、首の後ろで軽く括れるまでになっている。
結構な時間が経った? もしかして。また、何かがあったの?
「あのっ……また、何かあったんですか?」
さっきまでのしんみりとした落ち込んだ気分は、どこかに吹き飛んだ。二人の間にある透明な壁がなければ、罪のないアレク様の豪華な服に掴みかからんばかりの私の勢いの良さに、彼は苦笑した。
「そうだ。僕は、またなかなか君に会うことが出来なかった……この前エインセルに会ってから、一ヶ月ほどの時間が過ぎた」
「えっ……一ヶ月? どっ……どういうことですか……? だって、あのことは、冤罪だったってすぐに証明されたって……」
私は怒濤の展開に驚き過ぎて、頭の中にある言葉を口に出すのが追いつかなくてまともには話せなかった。
混乱しきってしまった私を見て、アレク様は苦笑し、手振りで落ち着くように伝えてきた。
「はい。息を大きく吸って……吐いて。また、吸って……そうそう。上手だ。エインセル。どうか。落ち着いてくれ。詳しい話を聞いて。僕の今居る状況は、君が今思っているような悪い状況でもない」
「……え?」
彼の言う通りに私の頭の中をかすめたのは、アレク様に掛けられた兄王太子暗殺の冤罪が立証されたのではないかということ。
けれど、私が思っているような状況ではないとは……?
「実は……王太子である兄の暗殺未遂が、彼の自作自演だったのではないかと証言する者が現れたんだ。仲が悪い弟に、王族殺しの罪を着せるためではないかと」
「えっ……けど、お兄様は自分で自分を襲わせたということですか……? 弟のアレク様を……失脚させるためだけに……そんな、恐ろしいことを?」
ゾッとするほどに冷たいものが、背筋を通って行った。とんでもなく密度の濃い憎しみ、底の見えぬ井戸の闇のような真っ黒な感情を感じたからだ。
アレク様はこんなことになってしまっているのに、ただ厄介なことだとため息をついた。
「そうだ。そういうことになるね。以前、僕の部屋にいきなり入って来た護衛騎士が居たことを、覚えているかい? あの時。僕は彼に、ああしたことが起こらないようにと、改善策を練らせたと」
「はい。もちろんです」
アレク様には一月以上前になるのかもしれないけど、揶揄われた私はほんの少し前の出来事だ。質問に慌てて何度か頷いて、肯定を示した。
「彼はロディという名の僕の護衛騎士で、あまり融通が利かないというか……うん。とても、真面目な性格なんだ。あの時の改善策で、護衛対象である僕が寝室のような個人的な空間に入る際には、先んじて侵入者が居ないようくまなく調査しておくことと、危険がないように常に周囲を警戒していたらしい」
「えっと……アレク様がそういった場所に居る間、ずっとですか?」
アレク様の寝室の周囲を、ぐるぐると回る護衛騎士数人が浮かんだ。あ。天井からの侵入は、どうするのかな。
「ああ。説明が足りなかった。ロディは王族の護衛騎士に任命されるだけあって、特別に優秀なんだ。簡単な魔法を使うことの出来る、とても珍しい魔法騎士なんだ。だから、僕の寝室の周囲に結界魔法を張っていたらしい」
「え……魔法を使うことが出来るのに、その方は魔塔には所属していないんですか……?」
依頼時にも目深にフードを被り正体を明かしたがらない魔塔に所属する魔法使いは、破格の報酬を得られることも有名だ。
とは言え、自分が誰かという記憶のない私が彼らをどういう形で見たかは、出来事にもやがかかって思い出せない。そういった一般的な知識としての、魔法使いという存在がわかるだけ。
「ああ。あまり強い魔力を持たないことと……幼い頃から、騎士になることが夢だったらしい。あの時も早とちりをして、声掛けもせずに僕の部屋へと入って来ただろう? とても気は利かない性格でがあるが、王家への忠誠心に溢れ、僕とは付き合いが長いだけに気安い……まあ、それは良い。ここで大事なのは、ロディが僕の部屋の周囲に結界魔法を敷き、出入りがあればすぐにわかる状態にしていたことなんだ」
「だから、王太子暗殺の疑いが掛けられても、アレク様はすぐに解放されたんですね……寝室から、絶対に出ていないことが証明出来る人物が居たから」
私は彼の話を聞いて、すぐに冤罪であることが立証出来た理由に納得した。
統治者の血筋を害することは、国の存続にも関わる。だから、王族への暗殺は大罪で、未遂だとしても即処刑になるほどに重い罪だ。
「そう。そして、ロディは偶然警備を強化していたという理由で、僕があの時に寝室から出ていないという、間違いない確証を得ていた。だから、僕の姿を見たと証言をしていたメイドが怪しいと、彼だけはそれを知っていたようなんだ」
「それで、ロディさんは証言者に確認し、被害者である王太子の差金ではないかと……その証拠まで、突き止めたんですね……?」
おそるおそる口に出した言葉に、アレク様は頷いた。彼の言う、王太子の自作自演と言っていた意味が、これで理解出来た。
「なんて言うこと……酷いです。もし、それが上手くいっていたなら、アレク様は……」
その先は、口にしたくはなかった。
「ああ……でも、もうそれは、結果的に上手くいっていないから。それで良いよ。僕さえ何も言わなければ、何もなかったことになる」
アレク様はここ最近の一連の流れに、もううんざりしているようだ。けれど、私は不思議だった。もし、そういったことであれば、疑いのなくなったアレク様はこの前のように軟禁されたりはしないと思うのに。
一ヶ月間も彼が寝室に一人になれなかった理由は、何だろう?
「えっと……けど、アレク様は別に……閉じ込められていた訳でも、ないですよね?」
どうしてこの一ヶ月間も一人になることが出来なかったのかと、暗に聞いた私に彼は大きく息を吐いた。
「うん。そういった訳で、ロディは兄が僕に罠を仕掛けたという事実を握っていた。さっきも言ったけど、彼は融通の効かない真面目な性格でね。父である王へと報告して、この事実を大々的に公表するべきだと僕に訴えたんだ……けど、僕はそれに反対した。ここまでのものは、確かに今までにされたことはなかった。だが、あと二回エインセルに会えれば、君の国を探して、この国を出ると決めているから……」
「……アレク様は、それで良いんですか。お兄様は、もうとうに一線を越えて……許されないことをしたと思います」
「きっと僕が居なくなれば、元の兄に戻ると思うよ。それに、僕は国を治める王になりたいと思ったことは、これまでの人生の中で一度もない。一度もだ」
切なそうに呟いたアレク様の言葉は、嘘ではないと私は感じた。きっと、彼は兄が王になった時に、役に立つ右腕になるつもりで……だけど。こんな。
「私の、勝手な意見ですけど……国民は、アレク様が王位につかれることを望んでいると思います。何の罪もない弟に罪を着せ……自分への暗殺を自作自演してまで、殺そうとするなんて。私には、信じられません」
私は敢えてはっきりと、弟である彼を殺そうとしたと口にした。けど、それはすべきではなかったかもしれない。
アレク様は、本当に辛そうな表情になってしまったからだ。彼にとってはこんなことをされても、家族として大事な兄なのだろうか。
「ロディも……そう言っていたが、王位継承権を争う骨肉の争い自体はどこの国でも良くあることだ。一番重要なことだが、僕は王位に就く気はない。もしそう思っているのなら、既に全てを表沙汰にしている」
「……そうですね。もし、アレク様自身がそう思われるのなら、このことは黙っていた方が良いのかもしれません」
私は現在記憶もないし鏡の中に閉じ込められ、二人の兄弟がどんな付き合いをしているのかも、わからない。
アレク様が王位を要らないものとしているのなら、口出しすべきではないとは理解出来た。一国の王であることは、私なんかが想像がつかないほどの重責を負うことになる。
「僕の思っている理由の他に、何か……兄との良くない誤解があるかもしれない。だが、僕がこの国から居なくなれば、関係は終わりだ。兄は僕とまともに話そうともしないし、父は知らない。彼の地位をおびやかす者は居なくなり、この後は安泰だ」
「……アレク様」
彼はこんなことまでされても、自分が兄のために全てを捨てれば良いと思っている。王族の身分も、王位継承権も。
この後の人生を選ぶのは、アレク様だ。他でもない、彼自身のことだもの。
けど……本当に、それで良いの?
「だから、ロディにはこの一件は胸に秘め、黙っているように言ったんだ。真面目な彼は、それに納得いかないようでね。ロディを説得するのに手間取ったのと、この状況では僕を一人には出来ないと、寝ずの番で僕の寝室には必ず一人は居るように押し切られてしまった。事情が事情だけに、強硬に止めろとも言いづらいし……エインセルの事は、誰にも言えないから。これまで、時間が掛かってしまった」
「私は……私は鏡を出るのは、いつでも構いません。けど、アレク様がそんな状況になっていたなんて……何も出来ずにごめんなさい……」
鏡を出ることが出来たって……私には、彼に何もしてあげられないかもしれないけど……それでも、透明な壁に阻まれて何も出来ないより良い。
「最悪の状況だと言うのに、唯一の楽しみは君に会うことだった。泣かないでくれ。エインセル。君の家族がどんな人たちかわからないが、僕のように……険悪でないことを祈るよ」
頬に手を当てて、涙を拭う。アレク様が一番辛いのに、私が泣いてどうするんだろう。
彼に促されて見た手紙には、本日の条件『二時間一緒にいる』が書かれていた。
私たちはその後、王太子のことは何もかも避けるようにして、なんてことのない他愛もない話をした。
そして、話に夢中になっていた途中で、私の目の前は暗くなった。




