04 悩みを言い合う
「……こんばんは。エインセル」
「こんばんは。アレク様……あの、もしかして今とっても疲れていますか?」
私の姿が鏡に現れるのを待っているかのように鏡を覗き込んでいた様子のアレク様は、私と目を合わせて数秒してから挨拶をしてくれた。
彼と別れた途端にまたすぐに再会するという、瞬時に切り替わる光景を見ているだけの私にしてみれば、ずーっと長い時間アレク様に過ごしているかのような、なんて説明して良いかわからない、妙な気持ちだった。
アレク様は、その時々で違う。当たり前だけど、彼は変わらぬ日常を過ごしているので装いも違うし、取り巻く空気だって全然違う。
さっき、私に気がついてから挨拶してくれたアレク様は、窓を見ればとっぷりと日が暮れた夜だというのに、まだ仰々しい服装を身に纏っているし、今までに見せたことのないような憂うような表情だった。
そんな顔色の悪い彼を見れば、きっと誰もが思ってしまうはず。アレク様は現在、とても疲労している。
こうして何も出来ずに、鏡の中から彼を見ているだけなのが、言葉に出来ないくらいもどかしい。
出来るなら体が温まるような美味しいお茶を淹れてあげたり、彼の疲れが少しでも和らぐような、小さなことでも、何でも良いから。そんなことをしてあげたかった。
「こうしてエインセルに会えて、僕の疲れは吹き飛んでしまった。これまでに知り得ることのなかった感情だ。世界中で僕一人だけが認識出来る存在というのは、格別なものだ。まるで、女性一人を閉じ込めて独り占めしているような……とても不思議な気分だよ」
「すみません。それは……私も、どうすれば良いのか。わからないのですが」
私はどうしてだか、アレク様が一人の時にしか出てこられない。彼が前に言っていた通りに、魔法使いをも検知出来ない存在を何度も主張すれば、周囲におかしな目で見られるだろうという危惧してしまうことは仕方ない。
いわば、私という存在を誰にも言えずに自分だけで抱えて秘密にさせてしまうことを強いていること自体が、アレク様に悪いことをしているように思えた。
「はは。これから僕たちが何をすべきかは、良くわかっているだろう? エインセルが鏡の中から出るために、一つずつ着実に条件をこなして行こう。さあ、今日は何かな」
無理をした笑顔で朗らかにそう言って、アレク様は今日の条件が書かれた四つ折の便箋を指差した。敢えて私のために明るく振る舞っている彼の顔色が悪いように思えて、悪い予感に胸騒ぎがして仕方なかった。
かと言ってここで、今日落ち込むような何かがあったのかと、一歩踏み込んで聞けるような親しい関係性でもない。
何の義理も関係もない私のために、こんなに心を砕いてくれるただ親切な優しい人なのに……鏡から出ることが出来て記憶を取り戻した私は、アレク様に何を返すことが出来るんだろうか。
四つ折りの便箋を開いてその内容を見れば、少し驚いてしまった。それは今の私がしたかったことでも、あったからだ。
「……『お互いの悩みを言い合う』です」
私がゆっくりと口にした言葉を聞いて、アレク様は何故か大きく息を吸い込んで、そして吐き出した。
「そうか。わかった。エインセルの悩み事なら、僕は簡単に当てることが出来る」
「えっ」
悪戯っぽく微笑んだアレク様は、コツコツと鏡面を人差し指で叩いた。
「ここから出たい。記憶を取り戻したい……そんなところだろう」
「はい。その通りです……アレク様」
確かに、私は困っている。とても、困っている。不自由な鏡の中から、出ることが出来なくて。これまでの記憶はないし、悩みらしい悩みと言えばそれしかない。
今何かを悩んでいるように見えるアレク様の、力になりたい。けど、それも出来ないから。とても、困っている。
「次は、僕の番か……」
アレク様は視線は私に向いているのに、今ここにないものを見ているかのような、遠い目になった。
……彼は、何かを思い出している? 苦しみ悔いるような表情になってしまったので、私は慌てて言った。
「あの。ごめんなさい。私のせいで、こんなことになってしまって……今日すぐにこれをこなせなくても、私は構いません。アレク様が信頼して悩みを自ら打ち明けたいと思うような存在になるまで、それはしなくても構いません。ですから……」
そんなに辛そうな顔をしないで欲しいと私が言いかけたところで、アレク様は片手を上げた。
「待って……落ち着いて。ほら、ゆっくり深呼吸して……」
彼の言う通りに従って深呼吸を繰り返せば、気持ちも落ち着いてきた。感情を抑え切れずに先走り過ぎた子どものようで、とても恥ずかしい。
でも、こうしてずっと俯いている訳にはいかない。なけなしの勇気を出して目線を上げれば、アレク様は優しく微笑んでくれた。
「ごめんなさい……」
「君は何も悪くない。だから、ここで謝る必要なんてない……僕の悩み事と言える問題は、あまり聞いていて楽しい話でもないから。どうやって伝えた方が良いのかと考えただけで、別にエインセルに話すことに抵抗があった訳でもない」
アレク様の端正に整った顔が、とても近い。こうして思い悩んで憂い顔だとしても、まるで絵画に描かれるような美形振りだ。
彼ならば……もしかしたら、女性関係なのかもしれない。
「あの……もしかして、女性に言い寄られすぎて困っていますか……?」
私はほぼこれだろうと踏んでそう言ったんだけど、どうやら全くの見当違いだったようで、アレク様は楽しげに笑った。
「はははっ。エインセル……残念ながら、僕は訳有りなんだ。産まれながらに王子の身分を持っている事は、嘘ではない。だが、ある事情があり、常に美しいご令嬢に囲まれていると言う訳でもない。これから言う僕の悩みを聞いて、それでも良いと思うなら……鏡を出て落ち着いたら、交際することを検討してくれないか。鏡を出た協力をした対価は、それだけで良いから」
「もちろんです」
難しい表情をしたままの彼からの願ってもない申し出に即答した私に、アレク様は苦笑した。
「もしかしたら、エインセルは聞き逃していたかもれないんだが……僕は、訳有りの王族なんだ。思った人と違うと、君がガッカリしないことを祈ってるよ」
ようやく気分を持ち直して来たような彼に、私はほっと息をついた。
「アレク様は王子様でなかったとしても、こんな状況で困っている私に対し、とても親切にしてくださいました。それに、まだアレク様とは出会って四日しか経ってないし、短い時間しか過ごせていません。けど、貴方が何もかもを持つ世の理想に近い男性であることは、既に理解しています」
明らかに元気のなかったアレク様を褒めれば自然と気分が上向いてくれるのではないかと、私が期待した通りに彼は嬉しそうな照れくさそうな表情になってくれた。
「……うん。まあ……そうだと良いな」
「そうなります。アレク様さえ良ければ、私に悩み事をお話ししてもらえますか……?」
彼が不安に思っている事は、全く何の問題もないのだとわかって欲しくて、とにかく話を聞きたいと思った。それを聞いて、私が今も同じように振る舞うのなら、安心して貰えるだろう。
まだ短い間だけど、このアレク様が、世界でも希少価値のある美形の王子様であることに、私はなんとなく気がついていた。
訳ありであるなら、その訳を知りたい。そうそうの理由だったとしても、気持ちが揺らがない自信ならある。
私の迷いのない眼差しをどう解釈したものか、アレク様は大きく息をついて話し出した。
「第二王子の僕には王太子の兄が一人居るんだが、その人にとてもとても嫌われている。憎まれていると言っても過言でもない。僕自身は王位には全く興味がないし、それはあちらも知っているんだが。幼い頃から敵視されて、長い」
「まあ……お兄様に? でも、あちらがそう言う態度なのであれば、アレク様は嫌いじゃないんですか?」
誰かに嫌われて嫌な態度を取られたら、こちらも嫌いになるはずだ。
「……この気持ちは、言葉にし辛い。母を早くに亡くして、幼かった僕は身近な家族の兄に嫌われたと言う事実を、受け入れ難かった。だから、彼に好かれたいと努力した。自慢の弟だと思われれば、良いのではないかと。それもまた悪循環になり、より憎まれた。今では僕に縁談が来ても、不機嫌になるようになってしまった」
「アレク様……」
悩みの経緯を聞けば、彼の顔に浮かぶ悲しそうな表情はもっともだ。身近な家族に憎まれ、幼い頃から何もかもが悪循環に陥った。どれほど、辛かったのだろう。
「だから、僕にはこの国では、貴族のご令嬢も近づかない。兄は、いずれ王となる。次代王に嫌われたいなど、仕える身分であれば誰も思わない。他国から僕へと縁談が来ることもなくもないのだが、縁談相手の女性側の家柄が良ければ良いほど、兄は気に入らないようなんだ。この前も、大国の王家筋の女性との縁談も、僕に話が来る前に勝手に断られてしまった」
勝手に、弟の縁談を断る……? 何様なのって、確かに王太子なんだけど。弟を憎んでいるとは言っても、そんな子どもような悪意が許されていることが信じられない。
「あの……お兄様は、何をしたいのでしょうか? アレク様を憎んでいると言うのなら、お兄様の心の平穏のためにもお互いに離れて暮らす方が良くはないですか?」
アレク様から聞く兄からの弟への執念は、常軌を逸していると言って過言ではないと思う。憎いけど自分の傍からは、離したくないの……? それは、あまりにも自分勝手な言い分過ぎる。
「……父は多忙の上に体調も良くない。知られる前に解決出来るならと動いてみたが、どうやら僕がそろそろ限界のようだ。再度持ち込まれた縁談に、僕が何かをしたんだろうと言われ何を企んでいると言われた。兄は僕が幸せになる要素があること、何もかもが気に入らないんだ。僕も流石に会ったことのない女性と彼への謀反は、企めない」
「言い掛かりです。アレク様は、こんなに素敵な人なのですもの。周辺国に噂だって、回っているでしょうし、縁談が持ち込まれても全く不思議ではないです」
彼の話を聞いて、どうしても眉が寄って気に入らない顔になってしまう。自分がどうしても納得しがたいと言えど、やって良いことと悪いことがある。
「だから、そろそろこの国から……出ようと思っている。兄は僕をこのまま飼い殺しにしたいのだろうが、僕ももう何も出来ない子どもでもない。この国を出ても、生きていくことも出来るだろう」
「あのっ……!」
思わず声を上げた私に、アレク様は首を傾げた。
「エインセル。どうした?」
「私の国を探すのは、どうでしょう?」
「……うん。まあ……きっと、暑い国だろうな。エインセルの着ているドレスは、見るからにこの国では寒そうだ」
私の着ているドレスは、彼と会ってからずっと変わってない。着替えることも出来ないから、当たり前だけど。アレク様と約束して会う前だったら、ドレスに迷いに迷ってしまうことだろう。自分のことだけど、目に浮かぶよう。
「アレク様だったら、どこでも上手くやれますよ」
「……そうかな? 兄にも嫌われる男だよ?」
アレク様は、嬉しそうな悲しそうな複雑な笑顔を見せた。
ただ兄弟間の相性が悪かっただけだろうに、彼にとってそれは心の棘のように刺さっているのかもしれない。
「私は好きなので、大丈夫です」
その言葉を聞いて、アレク様は呆気に取られた表情になった。
私の顔は多分だけど、赤くなっていると思う。けど、構わない。落ち込んでいる彼の気持ちが少しでも上向くなら、恥ずかしいことでもなんでも大丈夫。
「そっか……僕は兄との確執のせいで誰かと結婚することも、出来ないのかと思っていた。この国を出れば、意外と簡単に出来るのかもしれないね」
多分、これがアレク様が持つ今までに誰にも言えなかった、深刻な悩みだったのかもしれない。
これで今日の条件は達成されたのか、私の視界はまた黒く塗り潰された。




