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鏡の中の令嬢は溺愛希望王子と、すれ違って魅せられる。  作者: 待鳥園子


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02 鏡越しに手を合わせる

「おはよう」


「おっ……おはようっ……ございます!」


 パッと場面が切り替わった。私の目に映るのは、窓から差し込む朝の明るい光に照らされている目の彼の寝室。


 私からすると、一瞬前には寝巻き姿だったアレクセイ様は、美々しく王族に相応しい服装に着替えていた。


 どうやら、私の方はこうして彼の前に現れている時だけ、時が流れるような仕様になっているらしい。驚きながらも、朝の挨拶を返した。


「ははは。なるほどな。とても、面白い……挨拶をするという条件に関しては、僕たちは昨夜見事に果たすことが出来た。それでは、今日はどんな条件なんだろう?」


 興味津々なアレクセイ様の視線の先には、昨日と同じ場所にある新しい四つ折りの便箋だ。クリームがかった便箋に書かれていた文字を、私はゆっくりと読み上げた。


「『鏡越しに、手を合わせる』?」


 誰ととは、書かれていない。けど、昨日の経緯を考えて目の前に居るアレクセイ様と私の二人が、鏡越しに手を合わせれば、すぐに達成となるだろう。


 私は戸惑いながらも、右手を上げ透明な鏡面へと手のひらを置いた。想像した通りに、それはヒヤリとして冷たかった。アレクセイ様は国民を代表する王族であれば、様々な公務を担当し、間違いなく多忙の身であるはず。


 二つ目の条件が、とても簡単なもので良かった。手を合わせる一瞬で済むので、彼の手を煩わせてしまうことはなさそうだ。


「いや。少し……待ってくれないか。そうそう。手を下ろして。僕は君と、話がしたい」


 上げていた右手を下ろすようにとアレクセイ様は身振りで伝えたので、私は指示通りに手を下ろした。


「話……ですか?」


「そうだ。大事な話だ。朝はどうしても慌ただしくなる。また、夜寝る前には、僕はここで一人になる。その時に、君が言った条件は達成することにしよう」


 アレクセイ様を見れば、身支度もきっちりと済ませている。きっと王族として、大事な公務の前だ。こんな時に、余計な話をさせている場合ではないということに、私はようやく思い至った。


「すっ……すみません! 殿下のお仕事前に、余計な時間を使わせました。お仕事の邪魔をしてしまって」


 自分がアレクセイ様の貴重な朝の時間を奪ってしまっていたことにようやく気がついた私は、慌てて頭を下げた。


「いや、待ってくれ。何の邪魔にもなっていない。僕が服を着替えている間には、君は出て来なかった。適切な時間を選んで鏡の中に現れてくれているのは、間違いないようだ」


 アレクセイ様の言葉に、私は疑問を覚えた。だって、私が鏡の中に現れる条件は、彼だって昨夜言っていた通りなのに。


「……えっと……殿下の身支度には、お付きの侍女などがお手伝いするのでは?」


 身支度をするために彼以外の誰かが居れば、私は出て来ることが出来ない。まるで小さな間違いを指摘しているようで、気を悪くしないかとおそるおそる口にした私の疑問に、彼は苦笑して頷いた。


「そうだ……僕が一人で身支度をする理由を君がそうして不思議に思うのも、もっともだ。王族は多くの者にかしずかれ、生活を送る者も多い。だが、僕は自分の服くらいは自分で着たい。夜会で人前に出る時や複雑な服は仕方ないが、侍女の手を借りずとも、自らの身支度くらいは出来るんだ」


「その通りですわ。憶測で物を言ってしまって……失礼しました」


 アレクセイ様の言う通りだと、不用意な発言に身を縮める思いだった私に、彼は首を横に振った。


「いいや、何も謝ることはない。君の想像通りの王族は多数派で、僕は珍しい少数派だ。王侯貴族は仕える者の仕事を自分でこなし、なくしてはならないという、良く分からない考えを持つ者も居る。僕から言わせれば何もせずに手のかかる怠けた犬の世話より、自分のことは自分で済ませる利口な犬の世話の方が楽だろうと思う。手の空いた者は、特に拘らずに別の仕事をすれば良い」


「ふふっ……それは、殿下の言った通りですね」


 自分を含めた王族を犬に喩えた彼は、どうやら私がこんな人ではないかと外見から想像していたより、おおらかでざっくばらんな性格の持ち主のようだ。


 アレクセイ様は私が微笑んだのを見て、満足そうに笑い返した。


「一時期、僕は訳あって旅にも出ていたことがあってね。その間は誰の手を借りずとも、見よう見真似で自分のことはこなすことが出来た。だから、今のように城に戻ったとて、服を脱ぎ着する程度は、自分でやりたいんだ。自分で何も出来ない年齢でもないからね」


 尊き身分を持っている王族ならば、生活の何もかもを侍女やお付きの人に手伝って貰っているだろうと、アレクセイ様のことを何も知らずにただ思い込んでいた私は恥ずかしくなった。


 そして、立場上蝶よ花よと甘やかされたであろう王族だというのに、しっかりとした自立した考えを持つ彼に好感を持った。


「いいえ。確かに殿下の言う通りです。きっと、殿下のお付きの方たちは、いつも感謝していると思いますわ」


 私が同じ立場であっても、そう思うことだろう。びくびくしながら怯えて気を使う暴君なんかより、こんな論理的思考を持つ王子様に仕えたい。


「そう殿下殿下と、何度も言わないでくれ。君は礼儀に忠実だし、これは僕の勝手だから気を悪くしないで欲しいんだが、その敬称はあまり好きな呼ばれ方でもない」


「まぁ。それでは……私はなんとお呼びすれば、よろしいですか?」


「アレクで構わない。君が記憶を取り戻してどこの誰だったとしても、どんなに頑張ってもこれから六日は付き合いがあるんだ。出来ればその間は親しくしてくれれば、僕は嬉しい。美しい令嬢と、こうして親しく出来る機会もそうそうないものでね」


 彼の身分や容姿を考えれば、それはわかりやすい嘘だ。だけど、迷惑をかける側の私に気を使わせないように、お世辞を言って貰えて嬉しくない訳でもなかった。


「アレク様。ありがとうございます」


 私が照れつつ微笑み名前を呼べば、彼の中で及第点の対応を取ることが出来たのか、満足そうに大きく一度頷いた。


 そして、迎えの者の合図だろう。部屋の扉が控えめに何度か叩かれて、アレク様は肩を竦めてから私に言った。


「残念だが、もう仕事の時間だ……それでは、夜に」


 アレク様は私が頷いたのを確認してから振り返り、扉の向こう側の人へと声を掛けた。



◇◆◇



「やあ。こんばんは」


 次の瞬間。アレク様の髪は若干濡れているようで、楽な格好になっていた。


 公務などの彼の日常を終え、湯浴みを済ませて寝巻きを着替えたところで、私は鏡の中に現れたらしい。


「わっ……こ、こんばんは」


 ただ少し髪が濡れているだけだと言うのに、容貌の美しい人が放つ漂う色気にあてられて私は慌てた。


 私の感覚ではほんの数秒前に、何時間の前の朝のアレク様と話していた。つまり、鏡の置かれたこの部屋に、彼が居なければ私の意識は閉ざされてしまう。


 二人の関係を突き詰めて考えれば、あまり良くない思考に引き摺られてしまいそうで、慌てて首を横に振った。


 いけない。いけない。私はあと六つの条件さえこなしてしまえば、ここから出ることが出来るんだから。


 余計なことなんて、何も考えなくて良いの。


「どうした? 何か気になることでも?」


 挨拶していきなり妙な行動を見せた私に、アレク様は不思議そうだ。


「いっ……いいえ。それでは、アレク様の話したいこととは?」


 彼は何か私と話したいことがあるからと、数秒で済んでしまう今日の条件をこなすことを夜に延長したのだ。


「そうそう。これから、君の呼び名を決めよう。いつまでも、君というのもおかしい。これから僕たちは、鏡から出られないということと、記憶喪失についての問題を二人で共に解決していく訳だからね。いわばお互いに同志という訳だ。鏡の中から出られるのは、条件を考えて最短で六日になるとしても、記憶喪失の方は分からないから」


 アレク様は現状こうして鏡の中から出ることの出来なくて困っている私に対し、とても優しく言ってくれた。


 私の中にある王族という人たちに対しては、偉そうで人を人とは思わないような尊大な印象を持っていた。けれど、アレク様はそれとはまるで正反対だった。


 自分の寝室の鏡の中に突然居た初対面の不審人物に対し、彼は信じられないくらいにとても親切にしてくれた。記憶がないというのも私の自己申告にしか過ぎないというのに、特に疑うこともなくすんなりと受け入れてくれた。


「……アレク様。当の本人の私がこんなことを言うのもおかしな話ですが、そんなに私の言うことを簡単に信じてしまっても……大丈夫ですか?」


 アレク様にそうやって、信じて貰えることは本当に嬉しい。けれど、どうしてこんなにも良くしてくれるんだろうと、段々と不安にはなった。


 私と彼の二人の間に何か信じるに値すると判断されるような長い時間だったり確たる理由だったり。そんなものがあれば、私だって彼の親切な申し出も当たり前のように受け入れられたはずだ。


 けれど、昨夜会ったばかりの二人の間には、まだ何の信頼関係もない。


「ははっ……変なことを気にするんだな。君にとっては、こうして僕の協力が得られれば、何かと好都合なのでは?」


 アレク様は私が心配していることが彼にとっては意外だったのか、面白そうに微笑み顎に手を置いた。


「こんなことを聞いてしまって、すみません。アレク様のご親切には、とても感謝しています。けど……貴方のような方が、何の考えもなく……そうしてくれるとは思えなくて」


 ただ、王族だというだけではなくて、アレク様は言葉のはしばしから感じることだけど、彼は理知的で落ち着きがあり頭が良い。


 私のことをすんなり受け入れてくれたのは、彼には何か特別な考えがあるのではないかと、そう考えるに至ったのだ。


「いいや。訳のわからないものに対し警戒し、その理由を知りたがるということは、とても大事なことだよ。最初の違和感が、後々になって起こる悲劇を事前に防いだりするものだから。君は……僕が寝室に現れた不思議な君に対し、親切で鏡から出ることも協力しているというのが、不思議なんだよね?」


「はい。そうです」


 こくこくと二回頷いた私に、アレク様は目を細めて頷いた。


「僕がそうする理由には、いくつかの要因が重なっている。まずは君は僕が一人の時にしか出て来ない。再度鏡の中に人が居る騒いでしまえば、いよいよ妙な幻覚でも見たのかと、心配されてしまうかもしれない。だから、出来れば君のことをこのまま誰にも知られずに、一人で解決してしまえるならそうしたい。これはある意味、僕の自己保身の理由だと、言えるかもしれないね」


 そう彼は悪戯っぽく笑って、鏡面に大きな両手を置いた。私が閉じ込められた鏡は、そんなに大きな物でもない。彼の手の肌色で、こちらから見える鏡面は大部分を占めてしまった気もした。


「ふふっ……その理由は、私にも理解出来ます。魔法使いにもわからなかったことですし。これまでの経緯から、私の存在を誰かに説明することは、叶いませんからね」


 魔法で検知することも出来ないし、アレク様が寝室で一人で居ないと出て来ない存在を、信じてもらうことは、確かに難しいだろう。


「そうだ。そして、二つ目はこんな風に鏡に閉じ込められ記憶を失ってしまった女性に親切にすることは、誰が聞いたとしても、反対されることはないだろう。かよわい女性に対し常に親切でありたいという、僕なりの紳士的な理由もある」


「それも、理解出来ます。アレク様は優しいですね」


「そして、三つ目だ。もし、君が僕に害意を持つような輩なら、最初に呼び出した魔法使いが検知しているはずだ。確か彼は『この鏡には、何の魔法も掛かっていない。絶対に安全だ』と断言していた。つまり、君は魔法の力で鏡の中に居るわけでもない。だから、魔法使いには検知出来ないような方法で、そこに居る。だから、君の記憶を戻してどんな方法かを知りたいという、知的好奇心も理由だ……そして、」


「あのっ。三つも理由があるのに、まだあるんですか?」


 まだ続きそうな話に驚き、思わず彼の言葉を遮ってしまった私は、慌てて両手で口を塞いだ。いけない。彼が身分の高い王族であるとか、それ以前に自分が質問した事柄に対し、これは大変な失礼をしてしまった。


 明らかな私の不作法にも彼は寛大な態度を示し、頷いた。


「君は考えていることが、とてもわかりやすい。そうだ。驚いても無理はない。理由はまだ、あるんだ……変わったドレスを着たご令嬢がとても可愛らしい容姿を持っていることも、理由のひとつとも言える。好みの外見を持つ異性に対し、対応が甘くなってしまうのは、仕方ないと思わないか? 僕も王族であるとは言え、元はと言えばただの人なのだから」


「えっ」


 アレク様の麗しい青い眼差しは、すぐ傍から向けられていた。


 彼の端正な顔立ちは、乙女の心臓を高速で高鳴らせて、まだ余りあるくらいの抜群の威力があるものなので、どうか異性に軽率に顔を近づけたりすることは自重して欲しい。


 みるみる私の顔には熱が集まり、おそらく今は真っ赤になってしまっているはずだ。何を口にして良いものかも、わからない。


 そんな私の様子を見て、アレク様は楽しそうに笑った。


「はははっ……君が僕を狙う組織の者だとするのならば、ハニートラップの授業は残念ながら落第点だろうな……ああ。すまない。馬鹿にした訳ではないんだ。あまりに可愛らしい反応なので、つい笑ってしまった」


 微笑ましい顔をした犯人のアレク様は、私の心をかき乱したことなどお構いなしだった。


 彼に指摘されたこと全てが恥ずかしく、とにかく一刻も早くこの場から離れたい。けど、私の下半身は全く動かない。


 だとすると、この状況を打破するためには……と、私はしばし考えた。


 条件さえ果たせば、私は彼の前から姿を消すはずだ。そして、楽しげな様子を見せている彼の両手は、透明な硝子の上に置かれていた。


 サッと大きな手の上に自分の手を置いた私に、一瞬だけ見えた彼の顔は、とても驚いていたようだった。


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