第七話 綻ぶ仮面と、専門外の宣告
その日のバンドの練習中、剛のスティックは一度もリズムに乗りきらなかった。何度もスティックを飛ばし、メンバーにも呆れられたほどだ。
心ここにあらず。ドラムセットの向こう側に、あの薄暗い六畳間に残してきた「美猫」の顔がちらついて離れない。
「……ワリィ、今日はここまでにしてくれ」
メンバーの困惑した視線を振り切り、剛は逃げるようにアパートへと走った。
胸騒ぎは、ドアを開けた瞬間に現実となった。
「……あ、綾……?何処へ行ったん?……。うちは……お師匠はん……お……」
部屋の隅、菊人は自分の身体を抱きしめるようにしてうずくまっていた。
その瞳は大きく見開かれているが、目の前にいる剛を映してはいない。焦点は虚空を彷徨い、何か目に見えない恐怖__「神無月の家」という巨大な呪縛に怯えている。
テーブルの上には空になったPTPシートが散らばっていた。中身は残っていない。それが、菊人の精神を繋ぎ止めていたものだという事を告げていた。
「おい、菊人!しっかりしろ、俺だ、剛だ!」
肩を掴んで揺さぶるが、危機とはガタガタとと震えるだけで、剛の言葉は上滑りしていく。
焦燥にかられた剛は、スマホの連絡先を狂ったようにスクロールした。
頼れる相手は、一人しかない。
「……もしもし、ナオ(直樹)か?頼む、今すぐ俺のアパートに来てくれ。お前の親父さん、医者だろ?薬のことがわかるヤツが必要なんだ。……頼む、ちょっと訳アリで……」
三十分後、キーボード担当の直樹が、困惑と警戒を隠せない表情でアパートに現れた。
彼は空のPTPシートを見て、スマホを検索した後にポツリと言った。
「……剛。これ、どこで手に入れた?」
直樹の声は、今まで聞いたことがないほど低く、硬かった。
「どこだっていいだろ、中身は何なんだよ? 代わりの薬、お前の親父さんの病院で出せないのか?」
「無理だ」
直樹は、突き放すようにいい、シートを置いた。
「……これ、一般の医療用じゃないぞ。……これの中身、本当に分かってんのか?……バンド界隈でも時々裏で回っている、一番タチの悪いヤツだぞ。表向きは強い安定剤だが中身は別物だ。神経を強制的に興奮させて、痛みも恐怖も全部飛ばしちまう……依存させたら、一生これ無しじゃ動けなくなる『毒薬』だ」
「……は?何それ……?」
直樹の声は震え、視線は剛の後ろで丸まっている菊人へと向かった。
「それにな、神無月って言う名前でピンときたんだが、お前このニュース知ってるだろ?」
直樹はスマホのニュース画面を検索する。
「剛……見てみろよ、今、ニュースで『家元・神無月 綾が失踪』って大騒ぎになってる。……神無月の『綾』っつったら、この業界じゃあ神様みたいなもんだろ?その神様が、なんでお前のボロアパートで、お前の服着て震えてるんだよっ」
剛は、菊人の背中をさすりながら低く答えた。
「……こいつは、『綾』じゃねえよ……そんな名前……関係ねぇだろ?」
と言いながらも、時折、菊人が何もない空間に向かって話しかける人物が『綾』なのだ。
キャラの設定だけはずいぶん昔のものです。
勿論、書下ろしですが。




