第二十四話 契約の儀
剛は、差し出された契約書とマンションの鍵を睨みつけたまま、絞り出すように言った。
「……なあ、婆さん、いや……志野さん、正気か?……得体の知れないこの俺に大事な孫を預けるってのか?こいつは神無月の至宝……なんだろ?あんた達にとっちゃ、代わりの利かないお人だろ?」
剛の言葉は、彼なりの誠実さであり、同時に志野への反抗でもあった。自分を信用しすぎるなという警告。
しかし、志野は、氷のような微笑を浮かべて言い放ったのだった。
「……うちがそんな事するわけないやろ?興信所使うて、全部調べさせて貰いましたわ。あんたの身元から、日々の行いから、全てや」
「……」
剛の言葉が、喉の奥で凍り付いた。
「あんたがバイト先で客と揉めてクビになったことも……ああ、仲間庇うたらしいわな。ほいから、自分の食い扶持削って、菊人に食わせてたことも……ぜーんぶ知っとるよ。あんたは『あの子を利用しようとは思っとらん』と確信したから、うちはこうしてあんたを呼んだんや」
志野は、剛の顔のすぐ側まで歩み寄り、静かに耳元で囁いた。
「あんたは自分一人の力であの子を隠し通せたと思っとったんか?……めでたい男や。あんたがあの『犬小屋』で菊人と肩寄せ合っとる間、うちはずっと待っとったんやで」
剛は全身から血の気が引くのを感じた。自分が必死に守ってきた「二人だけの生活」は、志野にとってはいつでも潰せる箱庭の中の出来事に過ぎなかったのだろうか……。
「……だったらさ、もっと早くに迎えに来てやれば良かったんだ……」
「まさか……。あんたがいつ、その安っぽい自尊心を捨てて、うちに頭下げに来るか……それを待っとった。けれど、あんた、最後まで来んかったなぁ。……しょうがないから、うちのほうから折れてやったわ。あんたのその馬鹿正直な『覚悟』……うちは嫌いやあらへんえ」
志野は再度マンションの鍵を剛の手に押し付けた。
「……興信所の報告書、見たかったら、いつでも見せてあげるわ。あんたが自分で気づいてないような、あんたの『弱点』までしっかり書いとるからな」
剛は、自分の全てを握り潰されたような屈辱を感じながらも、その「上手」過ぎる志野の計略にただ沈黙するしかなかった。
志野という女は、情で動く剛が逆立ちしても勝てない、本物の「怪物」であったのだった。




