第二十話 神無月 志野の鍵、浜崎 剛の決断
神無月の奥座敷。
張りつめた静寂の中、廊下から菊人らしい短い悲鳴が断続的に響く。
(……菊人)
剛が反射的に立ち上がろうとしたその時、志野が、懐から一本の古びた真鍮の鍵を取り出し、畳の上に滑らせた。
「……浜崎はん、丁度良い頃合いや、これを……」
「……?」
剛は差し出された鍵を拾い上げる。
「あんたが菊人を救ってくれると言うなら、自分の手でやってみ。但し、一度開けたら、もう後戻りは出来へんよ。覚悟しいや。……場所は、奥の衣裳部屋やで、ええな?」
「……上等だ」
剛は鍵をひったくるように掴むと、菊人が連れ去られた廊下を、床が抜けんばかりの勢いで疾走した。
密室の着替える部屋。瀬戸は、菊人の震える肩を組み伏せて、執拗に耳元で囁いている。
菊人は固まり、瀬戸のされるがままだ。涙で顔が濡れていた。
「……お前は、何にも考える必要ない。この屋敷で私の言う事だけ聞いとけばいいんや。お前を最高に輝かせるのは私だけや。あの男は、お前ことを何も分かっとらん。お前を腐らせるだけや」
瀬戸の手が菊人の首筋にかけられたその時。
ガチャンッ!!
金属音が響き、固く閉ざされていたはずの扉が、外側から勢いよく撥ね飛ばされた。
「……てめえっ……誰が、誰を腐らせるって?」
入り口に立ち塞がっていたのは、志野から渡された鍵を握り締め、静かな怒りを全身から発する剛だった。
「……か、鍵……?……どうして……」
瀬戸が驚愕し、床に倒れていた菊人が涙に濡れた瞳で見上げる。
剛は無言で、一歩、また一歩と瀬戸を追い詰めていく。
「婆さんから許可が出たぜ。『害虫退治』のな。……俺のやり方は、婆さんよりもずっと野蛮だぞ」
「……ふっ、ふざけるなあっ!神無月の至宝に触れる権利があるのは、この私……」
瀬戸が言い切るよりも早く、剛の太い腕が瀬戸の胸倉を掴みあげた。
そのまま、瀬戸の身体は、鏡張りの壁へと叩きつけられる。
「菊人が震えていたのは、あんたの芸術が凄いからじゃねえだろ?……あんたが醜い『バケモノ』だったからだよ」
剛の拳が、瀬戸の歪んだプライドごと、その顔面を粉砕した。
崩れ落ちる瀬戸を見向きもせず、剛は膝をつき、震える菊人の肩に剥ぎ取られたスウェットをそっと羽織らせた。
「……っく……ごう……ちゃん……怖かった……よう」
「……ああ、もう大丈夫だ。この鍵、婆さんが渡してくれた」
開け放たれた扉の向こうでは、志野たちが門下生たちを引き連れ、ゆっくりとこちらを見据えていた。
志野は、剛の手にある鍵と、守られた菊人の姿を確認すると微かに満足げに笑った。
「……瀬戸。……あんた、うちが与えた『鍵』が、まさかあんたを追い出すためのモンやったとは、思わんかったやろな」
志野のその一言で、神無月における瀬戸の地位は、完全に終わりを告げた。




