第十九話 毒を食らわば、皿まで
京都・山の奥深い場所、神無月家の重厚な門をくぐった瞬間、空気は一変した。
都心の騒音を遮断した静寂の中、どこからか冷え冷えとした御香の香りが漂ってくる。
「剛ちゃん……剛ちゃん、うちは大丈夫やから。本来は……あんひとには絶対に……逆ろうたらあかんのやけど……」
そう言いながらも菊人は、剛のシャツを強く握り締め、青白い顔で震えている。車を降りた菊人は、剛のダブついたグレーのスウェット上下姿で、相変わらず隣にいる剛の服を握りしめている。
門の先には、神無月の紋が入った黒い着物に身を包んだ門下生たちが、微動だにせず、まるで葬式のように左右に並んでいる。
「大丈夫だ……大丈夫」
剛は菊人を片腕で抱き寄せ、神無月の重圧を跳ね返すように、ドカドカと土足に近い足取りで砂利を踏みしめた。その横を、志野がしゃなりしゃなりと悠然と通り過ぎていく。
「……お帰りやす、お母はん……『綾』も」
玄関先に居たのは、どうも菊人の母親のようだった。
彼女は、剛に抱き寄せられた菊人を、一人の息子として見ることはない。ただ神無月家の看板、それを汚した「欠陥ある至宝」を見るような、冷ややかな視線を投げた。
「よくもまぁ、そんな薄汚い格好でぬけぬけと……恥ずかしくないんどすな?」
「……ババァ……」
菊人に対する親の言葉に、剛が低く唸るが、志野の鋭い一喝が場を鎮める。
「あんさんは黙っとり。こちらのお方はうちが招いた客人やで。……瀬戸、瀬戸、……そこにおるんやろ?出てきなはれ」
「へえ」
門下生の中から、音もなく瀬戸が姿を現した。
彼は志野の前で恭しく膝をついたが、その瞳は剛の腕の中の菊人を、あたかも獲物を値踏みする蛇のような光で射抜いていた。
「……お呼びですか、大奥様。この不肖の弟子を、私が責任もって『再教育』させて頂きます」
「そうやね。……瀬戸、あんさんに菊人を預けます。……剛はんの目ん前で来ているその服、脱がせて神無月の装束に整えなはれ……あんたのやり方でな……ええな?」
志野の意味ある言葉に、瀬戸の口角が、歪んだ愉悦に吊り上がる。
「いややっ!……剛ちゃん、嫌っ、行きとうないっ……!」
一旦は、落ち着いていた菊人。だが、瀬戸を見るなり、態度を変えて再び暴れだした。
菊人の悲痛な叫びが響くが、志野は剛の胸元を扇子で強く押し留めた。
「浜崎はん、あんたがこの子を一生背負う覚悟があるなら、まずはうちと膝を突き合わせて話すのが筋やろ?……菊人を信じなはれ。これは、あの子が自分自身で決着つけなあかん事なんや」
剛は、自分に縋ろうとする菊人の震える身体を断腸の思いで預ける。
「……菊人。大丈夫だ……ちょっとお話してくるだけだからな……大人しく待ってろよ」
瀬戸は剛から嫌がって泣きじゃくる菊人を奪い取るように引きはがし、御香が立ち込める廊下の奥へと引きずり込んでいった。




