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拾弐話:青天の霹靂 前編

長くなるので、前後編で分けます。

もしかしたら前編、中編、後編、になりうる可能性も……。

 


 胸の奥で鳴ったものは、動悸とも痛みとも違っていた。


 次の瞬間にはこれまで意識したことのなかった何かが自分の奥深くでほんのわずかに身じろぎしたような感覚だけが残っていた。

 意図的にそれを掴もうと意識すると、輪郭は霧のように薄れるが、完全に消えるわけではない。


 その正体を確かめようとーー気づけば俺は、薄暗い空間を塞ぐ古びた天井を見上げていた。


 それを直接窺える手段や手立てもないけれど、意識を頭上へと向けた途端にすっと胸に落ちる何かがある。


 腑に落ちる、ともで言えばいいのだろうか。


 俺自身の直感を信じるならば、腕を伸ばすことすら必要ないほど近く、されど感知しようとしなければ途方もなく遠くへ、巨大な何かが静かに息づいているような感覚がある。


「葛城さん」


 名前を呼ばれ、視線だけを向けた先に、九重さんの鮮やかな紫紺の瞳が俺を映していた。


「今、何かをお感じになりましたか?」


 こちらが尋ねる前に放たれた問いに答えようと口を開き、あまりに漠然としたこの感覚をいったいどう伝えることができようかと口閉する。


 実際、何か音を聞いたわけでもなく、誰かの気配を感じたというのも少し違く……ひどく抽象的でいて、曖昧模糊(あいまいもこ)とした、それでも確かに引っ掛かる『何か』を、他人の理解へ及ぶ範囲で言葉に変換する術がどうにも見つからなかった。


 考えて、考えて……探せば探すほど、適切な表現はかえって遠ざかり、それが歯がゆく、まどろっこしく、気づけば俺はたっぷり十秒ほど黙りこくっていた。


 九重さんはそんな俺を急かそうとはしなかった。


 それどころか、


「では、質問を変えましょう。葛城さんはそれをどちらからお感じになりましたか?」


 と、発想の転換をもって俺の思考を柔軟にしてくれる。


 何を感じたのかではなく、どこから感じたの、か。

 ヒントを与えられたような形で問われ直し、俺は改めて胸の奥に居座る感覚を再度辿り始める。


 迷ったのはほんの短い時間。


 気づけば自然と右手が持ち上がり、おもむろに指先は古びた天井ーーいや、その先へと広がる空を指し示めしていた。


「お二人とも、少々よろしいでしょうか」


 そう言って会話に割って入ってきたのは、こちらのやり取りを少し離れた位置から聞いていた橘さんだった。

 彼は俺の指先を追うように一度だけ天井を見上げたあと、すぐに探るような視線を向けてくる。


「何やら話し込んでいるところ申し訳ない。ですが、手掛かりとなるもの、またはそれに該当する取っ掛かりになりうる考えが思い浮かんだのならば、私たちにも共有していただけないでしょうか」


「申し訳いたしません」


「いえ、謝罪は結構」


 善は急げ。橘さんの視線が求め答えは明白。

 橘さんの意を汲んで先に口を開いたのは、当然の如く瞬発力に自信が皆無な俺ではない。


「こちらとしても未だ整理できていない状態であり、お伝えできることは少ないのですが……」


「構いません」


「分かりました。では端的に申し上げます。現状我々は、その手かがかりとなりうる術をこれから得るようとしている段階になります」


「ほう、そいつは随分と面白そうな展開じゃねえか」


 手詰まりの現状に辟易していた人物が橘さんの脇から好奇心旺盛な笑みを浮かべて参戦。無論、御堂さんである。そして臨戦態勢もかくや、その右手はとうに右脇へ差した物騒な一振りの柄へと伸びていらっしゃる。人は見かけによらぬものとは云うが、事この人に関してその慣用句はまるで当てはまらないといえよう。


「面白いかはさておき、暗礁に乗り上げた現状をどのような手段で打開しうるのか、一退魔師の端くれとして興味を抱かざるを得えないことは同意します」


「では葛城さん、この絶望的な状況を打破するため、私からお願い事がございます」


 大人二人の関心をこれでもかと惹きつけたそのお願いとやらがどういった類のものなのか、まるで予想もつかないけれど、願わくば常識的な範囲に収まる要望であってほしい。


 そう内心で祈りつつも俺に断る理由も選択もありはしない。俺は三人の視線を一身に受け、こくりと小さく頷いた。


「ありがとうございます。では、少々お付き合いいただけますか」


「……どこに行けばと?」


「屋上です」


「あ? 屋上だと?」


 そんな場所に今さら行って何ができるんだと言わんばかりに、御堂さんは無精髭の生えた顎を撫で、口をへの字にする。


「では、行きましょうか」


「って、うおいっ! 俺の疑問は華麗にスルーかよ」


「時間が惜しいと考えたうえでの意味のある黙殺です。御堂、大人になるのはこの場合あなたの方でしょう」


「……おいおい、疑問を口にしただけの俺に何の非があるんだぁ?」


 何やら背中越しに聞こえてくる会話が少しだけ面白い。聞き耳を立てているわけでもなく鼓膜を震わせる会話の内容から二人の関係性も窺えてくる。察するに突っ込み担当が橘さんが担い、ボケとその後始末担当が御堂さんといった役割分担。


 そんなことを考える俺の背後から割と大きめのため息が吐かれた。


「まあ、お前がドライなことは今になって始まったもんじゃねえし、酷くどうでもいいんだが……九重、お前が先ほど口にしていた手がかりってのはなんだ。それだけは教えろ」


「……」


「おいおい、この場にきてだんまりとはちと寂しいじゃねえかよ。 情報は共有し、効率良く活用してなんぼだろうが。両者の目的が同じもんである以上、その取っ掛かりとなり得る情報を一人健気に抱えたところで早期解決が望めるかよ」


「はい、そのことについては重々に承知しております」


「つまり承知した上でお前は口を割らないわけか。はっ、俺たちもみくびられたもんだぜ」


「私は決してお二人を侮ってなどおりません。どうか、皮肉とはお取りになりませんよう」


「ほう? ならどういう訳があってその取っ掛かりを出し渋る。ただでさえ現状は火急を要する不測の事態の連続だ。早期解決が望まれる状況下においてそれでも出し渋るってことは、相当に深いーー」


 そこまで口にして、御堂さんの声が不意に途切れた。何事かと肩越しに振り返れば、御堂さんは時が止まったかのようにその場に固まっていた。いや、厳密に言えばその背後に立つ橘さんもその場で縫い止められてしまったみたいに停止しているのだが。


「いや、まさか……」


「いえ、彼女の所属を鑑みれば十分に……」


 二人は揃って何やら呟いているが、その声量は蚊の鳴くような声すぎてうまく聞き取れなかった。

 それでも強いて何かを察するとすれば、何か重要なことに気づいたことによる思考のショート。それがもたらす影響が言動までに及んだことによる無意識下の停止、といったところだろうか。


 そうして思考が再び現実に追いついた二人から俺は、揃って視線を向けられる。

 ここはユーモアをもっておかえりと出迎えてあげたいところであるが、俺を捉える二人の視線がさも得体の知れない『何か』を見るような目であったことだけは予想だにできず、返す言葉もなく男三人の視線が交差する誰得の緊急事態。


 しかし、その緊急事態宣言は不幸中の幸いなことに、背後から「先を急ぎましょう」と淡々と告げる九重さんの促しにより、そう長くは続かなかった。



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