はじめての商売と、動き出した卵
数日後の朝、孤児院の食卓には湯気が立っていた。
麦粥はまだ薄い。でも、底の方に干し肉の欠片が沈むようになった。アズリルの花の売り上げと、森の採取が積み重なって、食卓は少しずつ変わってきている。セルが「おにくあった!」と報告し、ニナが自分の椀を覗き込み、カインが「俺のにもある」と張り合っていた。
俺はそれを眺めながら、考えていた。
花は、いつでも採れるわけじゃない。森の恵みは季節で変わる。だったら、採れるものを全部、無駄なく金に換える道を知っておくべきだ。角も、魔石も、毛皮も。アイテムボックスの中には、売り先を知らないまま溜まっているものが、結構ある。
今日は森に行かない日で、リーナは食堂でいつもの本を開いていて、セルはカインと追いかけっこを始めていた。アリア姉に「ベックさんのところ」と告げると、「気をつけてね」といつもの返事があった。行き先を言ってから出かける、という約束は、森以外でもなんとなく続いている。
商業地区は今日も賑やかだった。店先の塊肉の下で、ベックさんが包丁を磨いていた。
「おう、来たか」
「おはようございます」
「今日は何だ、解体はこの前ので一通り終わっただろう」
「聞きたいことがあって」
俺は籠から布の包みを出した。中身は、これまでの採取でアイテムボックスに溜まっていたものの一部だ。角ウサギの角が三本、小さな魔石が二つ、乾かした薬草の束。
「これ、どこに売れば、いくらになるのか知りたいんです」
ベックさんが包丁を置いて、俺の顔と包みを交互に見た。
「……これはお前、冒険者にでもなる気か」
「孤児院を食わせる分だけあればいいです」
ベックさんがしばらく黙って、それから短く息を吐いた。
「……そうか」
*
ベックさんの講義は、解体のときと同じで、口は悪いのに丁寧だった。
「いいか、角ウサギの角はな、薬の材料と細工物の二通りの使い道がある。傷のない上物は細工師、欠けてるのは薬屋。お前のこれは——」
角を一本つまんで、光にかざす。
「全部上物だ。仕留め方がいいと角が傷まねえ」
「いくらになりますか」
「細工師に直接持ってけば一本で銅貨八枚。だが子供が行っても相手にされん。うちを通せば手数料を取って六枚だ」
「お願いします」
「……そうか」
講義の途中で、客が来た。恰幅のいいおかみさんで、店先の肉を指して何やら値切り始めた。ベックさんは包丁を磨く手を止めずに「うちは朝挽きだ、その値なら夕方の店に行きな」とだけ返した。おかみさんはぶつぶつ言いながら、結局言い値で買っていった。
「……いいか、坊主。値切られて慌てて下げるのは三流だ。自分の品の値打ちを自分が知ってりゃ、堂々としてられる。お前の角は上物だ。上物だと知ってる顔で持っていけ」
「品の値打ちを、自分が知ってる」
「そうだ。お前は手間を惜しまねえから、ちゃんと教えてる」
魔石は道具屋、毛皮は服屋、薬草は基本オスカルさんの薬屋。それぞれの店の場所と、店主の人柄と、足元を見られないための言い方を、ベックさんはひとつずつ教えてくれた。
俺は頭の中に全部書き留めた。リーナに教えるときのために、できるだけベックさんの言葉のまま。
ベックさんは角と魔石をまとめて買い取ってくれた。
手のひらに乗った銅貨は、思ったより重かった。自分で稼いだ金、というものを、この体で持つのは初めてだった。
*
帰りに、オスカルさんの薬屋に寄った。
アリア姉から預かっていた乾燥薬草の束を届けるためだ。店の奥は薬の匂いで満ちていて、オスカルさんは作業しながら、こちらを見た。
「いらっしゃい、どうした坊主」
「アリア姉に頼まれて、薬草を持ってきました」
「そうか、坊主は孤児院の子か。じゃあそれ、そこのカウンターに置いてくれ」
「はい、置きました」
「ありがとうよ。アリアによろしく言っといてくれ」
*
帰り際、市場の端で、ちょうど飴売りの屋台を見つけた。
少し迷ってから、銅貨を二枚使った。小さな飴が紙の包みにひとつかみ。孤児院の人数分には少し足りないけれど、半分こにすれば回る。
残りの銅貨は、家計に入れる分だ。アリア姉に渡すときに何と説明するかを考えながら歩いていると——
とん、と。
胸の奥で、何かが跳ねた。
俺は足を止めた。違う、胸じゃない。ディメンションルームの中だ。意識を向けると、卵が脈打っていた。今までの「気配」なんてものじゃない。はっきりとした、規則正しい鼓動。とん、とん、と、小さな心臓が動いている。
路地の陰に入って、誰もいないことを確かめてから、鑑定をかけた。
【???の卵】
孵化条件:魔力の継続供給
状態:活性
推定孵化期間:間近
※鑑定Lv不足のため詳細不明
——間近。
初めて、「不明」以外の言葉がそこに並んだ。
俺はしばらく路地の壁にもたれて、その二文字を見ていた。嬉しいような、落ち着かないような、変な気分だった。何が生まれるのか、いまだにわからない。わからないものを、俺はもう何ヶ月も毎日温めてきた。
飴の包みを握り直して、歩き出した。
*
孤児院に戻って、飴を配った。
セルが「あめ!」と飛び上がり、ニナが目を真ん丸にして、ミコとルカが取り合いになりかけてハナに仲裁された。トーマは自分の分を半分に割って、テオの口にそっと入れていた。
「どうしたの、これ」
アリア姉が聞いた。
「角ウサギの角が売れた。これ、残り」
銅貨の包みを渡すと、アリア姉は中を見て、少し黙った。
「……ベックさんのところ?」
「うん。売り方も教わった」
「そう」
アリア姉は銅貨を仕舞って、それから俺の頭にぽんと手を乗せた。何も言わなかったけれど、その手は少しの間、乗ったままだった。
*
夕方、食堂の隅で、リーナにベックさんの講義を伝えた。
角ウサギの角は傷のない上物なら細工師行き。魔石は道具屋。毛皮は服屋。薬草はオスカルさんの店。リーナは古い帳面の端に、小さな字でひとつずつ書き留めていった。俺が「品の値打ちを自分が知ってれば、堂々としてられる」とベックさんの言葉をそのまま言うと、リーナはその一行だけ、文字を少し大きく書いた。
「いい言葉」
「ベックさんの言葉だけど」
「うん。でも、覚えてきたのはレイ」
隣で聞いていたセルは、値段の話が始まって三分で飽きて、床で寝ているニナの尻尾の毛づくろいを始めていた。それでいいと思う。役割は人それぞれだ。
*
夜、布団に入ってから、俺はディメンションルームに手を入れた。
卵はまだ、とん、とん、と脈打っていた。日中より少し速い気がする。手のひらを当てて、いつものように魔力を流す。
すると。
とん、と。
内側から、押し返された。
俺は思わず手を引きかけて、もう一度当てた。魔力を流す。とん、と返ってくる。流す。返ってくる。まるで、こちらの呼びかけに応えるみたいに。
「……おまえ、聞こえてるのか」
囁くような独り言に、返事の代わりに、とん。
隣でトーマが寝返りを打った。俺は手を当てたまま、目を閉じた。
もうすぐだ、と思った。
何がもうすぐなのかは、わからないけど。




