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幻の薬草アズリルと、はじめての大金

リーナと森に行くのは、週に一度と決まった。


 院長先生の「一度だけ」は最初の日かぎりで、リーナが何事もなく帰ってきたあとは、なし崩しに続いている。セルのときと同じだった。子供の「またくる」は、いつのまにか日常になっていく。


 今日はその日だった。


 リーナはもう籠の持ち方にも慣れていて、本を一番上に乗せて、潰れないように布をかけている。俺の半歩後ろを、静かについてくる。


「リーナ」


「うん」


「ちょっと奥に行きたい場所がある」


 リーナが足を止めた。


「奥って……」


「入口から見える範囲ぎりぎり、川の上流の方」


 リーナはしばらく考えてから、頷いた。


「手、繋いでれば」


「うん」


 俺たちは川沿いをのぼっていった。



 木の根がごつごつ張り出した、地面の湿ったあたり。前に一人で来て、見つけて、取らなかった場所だ。


 あの青い草は、まだそこにあった。


 淡く青みがかった葉。少し長めで、縁が波打っていて、茎が透き通っている。記憶のままだった。


 リーナが、それを見た瞬間、息を呑んだ。


「……レイ」


「ん」


 リーナは籠を地面に置いて、本を取り出した。慌てているのに、手つきは丁寧だった。ページを何枚かめくって、ある場所で止まる。


「もしかして……アズリルの花」


 俺は内心で、もう一度鑑定をかけた。


 【アズリルの花】解熱効果(強) 希少 


 ……出た。前は「???」だったのに、今度はちゃんと名前が出た。


 リーナが名前を口にしたからなのか、リーナの本がそこにあるからなのか、それとも俺の鑑定のLvが少し上がったのか。理由はわからない。でも、名前を知ると、世界の解像度が上がる。それは止血草のときに、もう経験したことだった。


「アズリルの花は、強い解熱効果がある」


 リーナが本を見ながら、ゆっくり言った。


「希少な薬草で、薬屋に持って行ったら、高く売れるみたい」


「……そうなんだ」


「うん」


 リーナが本から顔を上げて、俺を見た。


「アリア姉さんが、私の熱を下げてくれた時の薬……たぶん、これが主成分。本に、そう書いてある」


 俺たちは、しばらく青い花を見つめていた。



「採ろう」


 俺が言うと、リーナが頷いた。


「茎の下から、根を傷つけないように」


「うん」


 リーナは本に書いてあったとおり、慎重に茎をつまんだ。俺も隣で同じようにする。


「全部は、採らない」


「うん、何本か残す」


 リーナが本のページを指でなぞった。


「来年も、ここに咲くように」


 俺たちは数本だけ取って、残りはそのままにした。籠の中に、青い花が静かに並んだ。日の光に透けて、茎の中を細い影が通っているのが見えた。


「……きれいだね」


 リーナが小さく言った。


「うん」


 俺は、きれいだと思う気持ちと、これが食べ物に変わるという計算を、同時に抱えていた。四歳の体でそんなことを考えているのが、自分でも少しおかしかった。


* * *


 孤児院に戻ると、アリア姉が玄関先で洗濯物を取り込んでいた。


 俺が籠の布をめくると、アリア姉の手が止まった。


「これ……どこで」


「森で、レイと一緒に」


 リーナが答えた。


「リーナが見つけた」


 俺はそう付け足した。鑑定のことは、やっぱり言わなかった。


 アリア姉は青い花をじっと見て、それからリーナを見た。


「リーナ、これがアズリルだって、よく分かったね」


「本に載ってた」


 アリア姉が、ふっと笑った。それから、表情を少し引き締めた。


「院長先生を呼んでくる」



 院長先生は、青い花を見て、しばらく動かなかった。


「……少し久しぶりに見るわね、前にリーナに使った時以来ね」


 手に取って、葉を裏返したり、光に透かしたりした。


「昔は、簡単に手に入って、よく使ってたの」


 その言葉の中には、今の孤児院しか知らない俺には想像できない時間があった。院長先生の声は、昔を懐かしむような感じだった。


「でも今は手に入らなくなってしまった」


 院長先生はそう言って、花を籠に戻した。


「これを、売れば……」


 アリア姉が言いかけて、止めた。それから少し考えて、続けた。


「私が、薬屋に持って売ってきます」


「アリア」


「レイやリーナが、こんな珍しい物を持って行ったら、子供がどこで手に入れたんだって、疑われます」


 アリア姉は、籠の青い花を見ながら言った。


「孤児院の名前で、私が売ってきます」


 院長先生は、しばらくアリア姉を見て、それから頷いた。


「……オスカルさんによろしくね」


「はい」



 アリア姉は、買い物用の籠に青い花を移して、布をかけた。普段、麦粉や塩を買いに行くときと同じ籠だった。


「行ってくるわ」


「いってらっしゃい」


 子供たちが、なんとなくそわそわしていた。アリア姉が出かけること自体は珍しくない。買い物はいつもアリア姉の仕事だ。でも今日は、何か特別なことが起きているのを、小さい子たちも感じ取っているらしかった。


 俺は、玄関から出ていくアリア姉の背中を見ていた。


 自分が森で見つけたものが、アリア姉の手に渡って、町に運ばれて、お金に変わって、戻ってくる。その流れの中に、自分がいる。



 ——あとから、アリア姉が話してくれたことだ。


 薬屋の扉を開けると、オスカルさんは奥で作業していたらしい。五十を過ぎた、商業地区で長く店をやっている人だ。普段、店は雑貨も扱っていてアリア姉はここで麦や塩などを購入しているのだという。


「おう、アリア」


「こんにちは、オスカルさん」


「今日はどうした、塩はこの前買っていっただろう」


「今日はね、これを買い取ってほしくて」


 アリア姉が籠の布をめくると、オスカルさんの手が止まった。しばらく、何も言わなかったらしい。


「……アリア、これ、本物かい」


「本物です、孤児院の子が、森で見つけてきました」


 オスカルさんは青い花を手に取って、葉を裏返し、茎の切り口に鼻を寄せて匂いを確かめた。それから、低く唸った。


「本物だ。よく見つけたな」


「いくらで、買ってくれますか」


「相場で言やあ、一本で銀貨三枚は固い。これは五本あるから……」


 アリア姉は、内心でほっと息を吐いたという。


 ただ、とオスカルさんは続けた。花を布で包みながら、声を少し落とした。


「出どころは、伏せておく。最近、領主のところが薬草の市場を締め付けててな。誰がどこで採ったとか、そういうのを嗅ぎ回ってる。目立たねえ方がいい」


「……はい、お願いします」



 数時間が経った。


 アリア姉は、大きな袋を抱えて帰ってきた。


「みんな、見て」


 袋を食堂の床に下ろして、口を開けた。中から出てきたのは、パン、野菜、干し肉、調味料、それに布の切れ端まであった。


 子供たちが歓声を上げた。


「ぱん!」


 ニナが手を伸ばした。セルが「すごい!」と猫耳を立てて、トーマが黙って袋を覗き込んだ。カインが「肉だ」と短く言った。


 院長先生が、袋の中身を見て、少し涙ぐんでいた。角ウサギを持って帰ったときよりも、もっと深いところで、何かが緩んだような顔だった。


「思ったより、高く売れたわ」


 アリア姉が、院長先生に小声で言った。


「しばらく、余裕ができる」


「そう……」


「オスカルさん、これは品質がいいって、驚いてた」


 俺は、リーナと顔を見合わせた。茎を傷つけないように、丁寧に採ったからかもしれない。


「ただ」


 アリア姉が、少し声を落とした。


「オスカルさんが、出どころは伏せておくって。最近、領主が薬草の市場を締め付けてるらしくて」


 院長先生の表情が、少しだけ翳った。


「……そう」


 それ以上は、何も言わなかった。


 リーナが「私の本、役に立った?」と、アリア姉に聞いた。


 アリア姉が、リーナの頭を撫でた。


「うん、すごく」



 その夜、夕食のあと、俺は台所でアリア姉の手伝いをしていた。


 アリア姉が洗い物をして、俺が拭いて棚に戻す。子供たちはもう奥で寝る準備をしていて、台所には俺とアリア姉だけだった。窓の外は暗くて、小さなランプの灯りが、濡れた皿に反射していた。


 しばらく、二人とも黙っていた。


「レイ」


 アリア姉が、手を止めずに言った。


「うん」


「最近、すごいわね」


「……うん」


 俺は皿を拭く手を止めなかった。


「リーナと、一緒に見つけたのも、本当?」


 俺は、答えに詰まった。


 嘘ではなかった。リーナが名前を見つけたのは本当だ。でも、あの場所を知っていたのは俺で、最初に見つけたのも俺だった。


 アリア姉が、小さく笑った。


「ねえ、レイ」


「うん」


「なんでもない」


 俺は、顔を上げた。


「……でも、無理だけはしないで」


 アリア姉は、こちらを見ていなかった。手元の皿を洗いながら、ただそう言った。


 俺は、しばらく黙っていた。


「……うん」


 それだけ言うと、アリア姉はもう何も聞かなかった。最後の皿を洗い終えて、手を拭いて、「ありがとう、もう寝なさい」と言った。



 布団に入って、天井を見ていた。


 アリア姉には、たぶん半分、気づかれている。森で何が起きているのか、俺が普通の四歳じゃないことも。それでも、何も聞かなかった。秘密のままでいい、と言ってくれた。


 悪いことは、何も起きなかった。


 信頼って、こういうものなんだろうか。前世の記憶の中に、似たような温かさがあった気がしたけれど、それも、もう霧の向こうだった。


 自分の行動が、思った以上に、外の世界と繋がり始めている。アリア姉、オスカルさん、それから、まだ顔も知らない誰か。糸が、静かに伸びていく感覚があった。


 隣で、トーマが寝言で何かつぶやいた。


 俺は少し笑って、目を閉じた。

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