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7/12

ハーフエルフのリーナは、俺の鑑定より詳しい

それから数日後の午後、森から戻って廊下を歩いていると、食堂の片隅にリーナがいた。


 床に座って、籠を脇に置いて、何かの本を膝の上で開いている。手元には小さく丸まった葉っぱが乗っていて、よく見ると、俺が昨日採ってきた薬草だった。


 リーナは俺の足音にすぐ気づいて、本から顔を上げた。窓から差し込む光の中で、髪の毛先がうっすら金色に透けて見えた。


「……あ、レイ」


 声が小さかった。リーナはいつもそうだった。長い淡い色の髪が肩のあたりで揺れて、耳の先が少しだけ尖って見える。ハーフエルフだということを、俺はそのとき久しぶりに意識した。普段は、ほとんど忘れている。


 他の子たちが廊下で騒いでいる音が、ここだけ少し遠くに聞こえた。リーナの周りだけ、空気の流れが違うみたいだった。


「何してるの」


「これ……何の草か、知りたくて」


 リーナは膝の本のページを指で押さえながら、葉っぱを軽く持ち上げてみせた。表紙が見える角度になって、俺は文字を読んだ。『薬草と毒草の見分け方』。


「読めるの」


「うん」


 俺は少し驚いた。リーナと話したことはあったけれど、こんなふうにちゃんと話したのは初めてかもしれない。


「いつから読んでるの」


「……少し前から」


 自分は、つい最近まで文字はろくに読めなかった。前世の記憶が戻って、文字というものの仕組みを思い出して、ようやく読めるようになってきたくらいだ。リーナは、それを前世の記憶もなしにやっている。


「その本、どこから」


「院長先生に、前に貰った」


「……ふうん」


 俺は隣に座った。リーナが少し体をずらして、場所を作ってくれた。



 リーナが指で押さえているページには、絵と字がびっしりと書かれていた。葉っぱの形、茎の太さ、花の色、生える場所。横にはその草の名前と効能、どんな組み合わせで薬になるかが書いてある。


 俺が本を覗き込むと、リーナは黙ってこちらに少し傾けてくれた。


 俺は知っていた。鑑定で、その草が「下痢止めの薬になる」「乾燥させると効果が増す」までは把握していた。でも本にはもっと先のことが書いてあった。「子供には半量で使うこと」「腹の張りには別の草と組み合わせる」「収穫期は春から夏」。鑑定で出ない情報が、ここにはある。


 知識が、鑑定を補完する。


 そんなこと、考えたこともなかった。鑑定は完成された情報を一瞬で与えてくれるけれど、その「使い方」までは教えてくれない。本は、誰かが長い時間をかけて集めた経験の塊で、鑑定とは別の方向から同じ草に近づく道だった。


「これ、私の知らないやつだった」


 リーナが葉っぱを俺に見せながら、本のページを少し戻した。


「……でも、似たやつが、ここに」


 ページの上のほうを指差した。図に描かれている葉っぱは、確かに似ていた。違いは、葉の付け根の形だ。リーナの持っている葉っぱは付け根が丸いのに、本の絵では尖っている。


「丸い方は、食べられるやつ、たぶん」


 リーナが小さく言った。


 俺は本を覗き込んだ。確かに、丸いほうの説明が下に書かれていた。「マカーズ(食用)」「葉を煮て食べる」「春から初夏に採れる」。


 鑑定でも「食べられる」と出る草だったけれど、俺は名前を知らなかった。


 ……マカーズ、というのか。



「いつから、薬草のことを調べてるの」


「前に熱を出して寝込んだ時に、アリア姉さんが、薬草で私の熱を下げてくれて良くなって、それから」


 リーナは本を見たまま答えた。それから少しだけ顔を上げた。


「……熱」


「小さい頃、覚えてないけど、たぶん高かった」


「ふうん」


「だから、私も誰かを治せるようになりたい」


 声は小さかったけれど、芯がしっかりしていた。リーナはたぶん、この言葉を何度も自分の中で繰り返してきた。


 俺は何も言わなかった。しばらく、二人とも黙って本を見ていた。


「あの、レイ」


 リーナが、ふと顔を上げた。


「うん」


「明日、私も森に行ってもいい?」


 言葉が出てこなかった。


 セルとは違う。セルは押し切ってきたけれど、リーナは訊いてきた。


「……ぜんぶの薬草を、自分の目で見たい」


 リーナは続けた。


「本だけじゃ、わからないことがあるから」


 俺はリーナを見た。淡い色の髪と、少し尖った耳の先と、本に向かう真っ直ぐな目。


「……院長先生に、聞いてみる」


「うん」


 リーナは小さく頷いて、また本のページに目を落とした。期待しすぎないようにしている、という顔だった。



 夜、台所で院長先生に話した。アリア姉も近くで聞いていた。


「リーナが?」


「うん」


 院長先生がしばらく考え込んだ。


「あの子は、賢い子だから……」


 アリア姉が小さく頷いた。


「俺が一緒に見てる、入口の手前だけ、手は離さない」


 セルのときと同じ条件を、俺は先に並べた。院長先生はそれを聞いてから、もう一度考えた。


「……一度だけ」


「うん」


「レイがどうするか、見てから、また考えるわ」


「わかった」


 アリア姉が「リーナに伝えてあげて」と言うので、俺は食堂に戻った。リーナはまだ本を見ていた。


「明日、行ける」


 リーナがぱっと顔を上げた。


「うん」


「セルの時と同じ」


「うん」


 リーナは静かに頷いて、本を抱えるように胸の前に持ち直した。


* * *


 翌朝、リーナは籠を持ってきていた。中には本が入っていた。


「重くない?」


「平気」


 リーナは森の入口に着くまで一言も言わなかった。セルのように騒がないし、足取りも静かだった。


 入口に入ると、リーナは目を細めて辺りを見回した。


「……いいにおい」


「セルもそう言ってた」


「うん」


 ハーフエルフは嗅覚もいいんだろうか。それともリーナとセルが偶然似たことを言っただけだろうか。少なくとも俺には、葉っぱの匂いと土の匂いと、川の方角からくるかすかな水の匂いくらいしかわからない。


 俺は歩き出した。リーナは半歩後ろを、本と籠を抱えてついてくる。足音が静かで、ときどき振り返らないと、ついてきているのかどうか心配になるくらいだった。



 いつもの薬草を採取しながら、俺は何度かリーナに見せた。


「これ、わかる?」


「うん、ハクハ草、傷の熱を取る」


「……ハクハっていうのか」


「本に載ってる」


 俺は鑑定で「傷の熱を取る」までは知っていた。でも名前は知らなかった。


 次の草も、その次の草も、リーナは本を確かめながら名前を言い当てた。俺は黙って、アイテムボックスではなく籠に入れていった。今日はリーナがいるから、消える草は出せない。


 籠が半分埋まったところで、リーナが急に立ち止まった。


「レイ」


「ん」


「これ」


 しゃがんで、小さな黄色い花を指差していた。


 俺がいつも素通りしていた花だった。鑑定でも「???」としか出なくて、なんとなく目に入らないことにしていた。


「これ、止血草」


 リーナが本を開いた。図に描かれているのは、確かに同じ形の花だった。「血を止める、強い」「乾燥させると粉にできる」と書いてある。


 俺は内心、もう一度鑑定をかけた。


 【止血草】血止め効果(強) 乾燥させて粉末化可


 今度は、名前と効能が出た。


 ……名前を知っているかどうかで、鑑定の結果が、変わる。


 俺は黙って黄色い花を見た。


「……知らなかった」


「本に載ってた」


 リーナの声は、得意げではなかった。むしろ少し申し訳なさそうだった。レイがいつも採ってきていた草の隣に、こんなものが生えていたのか、と。


 俺はしゃがんで、黄色い花を慎重に何本か取った。茎の下から、根を傷つけないように。リーナが本に書いてあった採り方を、横で小さく読み上げてくれた。「根を残せば、また来年、同じ場所に咲きます」と。


「……これ、たくさんあるね」


「うん」


 でも、と俺は思った。全部取ってしまったら、来年はもう生えてこない。それも、リーナの本を見なければ気づかなかったことだ。


 リーナが本を閉じて、籠を持ち直した。



 帰り道、俺たちはあまり話さなかった。


 森を抜けて貧民街に入る手前で、俺はリーナに言った。


「リーナ、知識すごいんだな」


「……」


 リーナはしばらく黙って、それから小さく言った。


「レイの方が、すごいよ」


「え」


「私は、本を見ないとわからない、レイは、見ただけで、わかってる」


 俺は何も言わなかった。鑑定のことは言えなかったし、言わないでおきたかった。


「でも」とリーナが続けた。「ふたりでなら、もっとわかる、たぶん」


 俺は少し笑いそうになって、堪えた。


「……うん」


「うん」



 孤児院に戻ると、院長先生が玄関のところに立っていた。


「おかえり」


「ただいま」


 リーナが籠を見せた。


「すごく、勉強になった」


 短い言葉だった。


 院長先生がリーナの頭を撫でた。


「……そう」


「うん」


「また、行きたい?」


「うん」


「レイがいいって言うなら、また」


 院長先生はそれだけ言って、奥に戻っていった。


 リーナは籠を抱えたまま、食堂のいつもの場所に座って、また本を開いた。今日の収穫を一つ一つ確かめる気らしかった。



 夜、布団の中で天井を見ていた。


 俺の周りに、少しずつ何かが集まり始めている気がする。セルの猫族の聴覚、リーナの本の知識、ベックさんの解体の手つき。みんな、俺の鑑定では届かないところに手を伸ばしてくれている。


 チート、と前世の記憶では呼んでいた気がする。スキルが圧倒的だから、何でも一人でできる存在のこと。


 でも俺のスキルは、Lv1で、知らないものは「???」のままだ。名前を知れば結果が変わる、ということは、誰かが俺の足りない部分を埋めてくれないと、鑑定は本当の意味で「使える」ようにならない。


 ……一人じゃ届かない。


 その当たり前のことを、俺はようやく今日、ちゃんと理解した気がする。むしろ、それを早めに知れたのは運がよかったのかもしれない。


 隣でトーマが寝言で何かつぶやいた。


 明日はベックさんのところに行こうと思った。森で採れるものの売り先や使い道を、もう少し詳しく聞いておきたかった。リーナに教えられることも、増えるかもしれない。

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