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金色の朝、竜が生まれた

夜明け前に、目が覚めた。


 正確に言うと、起こされた。ディメンションルームの中で、鼓動が走っている。とん、とん、とん、と、昨日までとはまるで違う速さで。


 今日は森に行ける日だった。運がいいのか、それとも卵が日を選んだのか。


 俺は音を立てずに着替えて、台所に顔を出した。アリア姉がもう竈の前にいた。


「おはよう。早いのね」


「うん。森、行ってくる」


「こんな時間から?」


「……今日は、早く行きたい気分」


 アリア姉は俺の顔をしばらく見て、それ以上は聞かなかった。


「気をつけてね。昼前には帰ること」


「うん」


 外はまだ薄暗かった。東の空の端だけが、ほんのり白み始めている。俺は籠を抱えて、貧民街の静かな道を走った。四歳の足で走れるだけの速さで。



 森に入って、いつもの川沿いの場所まで来た。岩があって、開けていて、誰も来ない場所。


 ディメンションルームから卵を取り出した瞬間、わかった。


 殻に、ひびが入っていた。


 細い線が一本、卵の天辺から脇腹まで走っていて、その線が淡く金色に光っている。鼓動はもう、とんとんとんとん、と数えられない速さだった。


 俺は卵を膝の上に置いて、両手を添えた。


 何をすればいいのかは、わからなかった。でも、手を離す気にはなれなかった。魔力を流すと、ひびの光が強くなる。やめると弱くなる。だから流し続けた。


「……がんばれ」


 ぴし、と音がして、ひびが増えた。


「がんばれ」


 ぴし。ぴしぴし。


 殻の欠片がひとつ、ぽろりと膝に落ちた。穴の奥で、何かが動いている。小さな、金色の何かが、懸命に殻を押している。


 俺は息を止めて、それを見ていた。


 最後の殻が割れたのは、ちょうど朝日が木々の間から差し込んだ瞬間だった。


 光の中に、それはいた。


 手のひらに乗るくらいの、小さな竜だった。


 濡れた金色の鱗。折りたたまれた小さな翼。長い尻尾が殻の縁から垂れている。閉じていた目が、ゆっくりと開いた。


 金色の目だった。


 目が合った。


 その瞬間、頭の中に、何かが流れ込んできた。言葉じゃない。鑑定の情報とも違う。もっと熱くて、もっと柔らかい、感情の塊みたいなもの。


 ——ぬくもり。


 ——うれしい。


 ——あなた。


「……俺?」


 声に出して聞き返すと、小さな竜は喉の奥で、きゅう、と鳴いた。頭の中の温かいものが、ぱっと弾けて広がった。たぶん、肯定なんだと思う。


 視界の端に、文字が浮かんだ。ステータスが、勝手に開いていた。


【レイ 4歳 人族】

 HP:14/14 MP:19/21 Lv:2

 素質:時空間(極希少)

 蓄積:時空間・小

 スキル:鑑定Lv1 アイテムボックスLv1 ディメンションルームLv1

 固有称号:転生者

 従魔:???(幼体)


 従魔の欄が、増えていた。


 契約とか、儀式とか、そういうものは何もしていない。自分は魔力を与えただけだ。それで足りたらしい。


 俺は膝の上の竜に、鑑定をかけた。


【エンシェントドラゴン(幼体)】

 状態:健康・空腹

 従魔契約:レイ

 ※鑑定Lv不足のため詳細不明


「…………」


 エンシェント、ドラゴン。


 俺は前世の記憶の中の知識と、この世界で聞きかじったものを、大急ぎでひっくり返した。ドラゴンというだけで、この世界では伝説に近い。エンシェント——古代となれば、おとぎ話の領域だ。数百年、目撃の記録すらないという。


 それが、膝の上で、きゅうきゅう鳴いている。


「……やばいものを、拾った」


 声に出すと、実感が湧いた。湧いたうえで、思った。


 でも、もう遅い。


 この何ヶ月、毎日魔力を込めて、毎日鑑定して、昨日の夜は「がんばれ」と言った。とんとんと応えてくれるのが、嬉しかった。今さら手放す選択肢なんて、最初からない。


 頭の中に、また感情が流れてきた。


 ——おなか、すいた。


「あ、ごめん」


 何を食べるのか一瞬迷って、すぐに察しがついた。卵のときと同じだ。手のひらに魔力を集めて差し出すと、小さな竜は俺の手に鼻先をくっつけて、すうっと吸い込んだ。魔力がごっそり減っていく。これはヤバい、枯渇する。急いで大気中の魔力を集めて送った。


 飲み終えると、竜は満足そうに、きゅるる、と鳴いた。



 腹が満ちると、竜は動き出した。


 まず、自分の翼に気づいた。背中で何かがもぞもぞすると思ったのか、首を限界までねじって自分の背を見ようとして、ころんと膝から転げ落ちた。慌てて受け止めると、頭の中に、びっくりした、という感情がそのまま流れてきた。


 次に、飛ぼうとした。


 濡れた跡の残る小さな翼を、ばさ、ばさ、と二回はばたかせて、三回目で俺の膝から飛び上がり——二十センチほど浮いて、落ちた。今度は自分で地面に着地して、何が起きたのかわからない顔で固まっていた。


「……まだ早いんじゃないか」


 きゅう、と不服そうな声がした。それでももう一度翼を広げるあたり、諦めは悪いらしい。三度目の挑戦は俺の肩までの距離を半分だけ飛んで、残り半分は爪でよじ登ってきた。本人の中では飛んだことになっているのか、肩の上で得意げに胸を張っていた。


 しばらく、川の音を聞きながら座っていた。


 竜の鱗はもう乾いていて、朝日を受けて、ひとつひとつが小さく光っていた。


「……うちはな、孤児院なんだ」


 気がついたら、話しかけていた。


「子供が十六人いる。うるさいぞ。セルっていうのが一番うるさい。猫の耳がついてる。ニナは犬の耳。カインは狼で、態度がでかい。トーマは喋らないけど、いいやつだ。リーナは本ばっかり読んでる。アリア姉は——」


 言葉を探して、少し止まった。


「……たぶん、お前のことも、すぐ好きになる」


 竜は俺の膝の上で、首をかしげながら聞いていた。言葉がどこまで通じているのかはわからない。でも、頭に流れてくる感情は、ずっと、たのしみ、の色をしていた。


 これからどうするかを、考えなければいけなかった。


 誰にも知られずに育てるのは、たぶん無理だ。ディメンションルームの中に入れておけるとはいえ、生き物だ。閉じ込めっぱなしにはできないし、したくない。かといって「エンシェントドラゴンです」と正直に言えば、何が起きるかわからない。領主が薬草の市場を締め付けるような町で、伝説の竜の存在が知られたら——考えるだけで嫌な汗が出た。


 だから、こうする。


 正体は伏せる。「森で拾った珍しい生き物」として、家族にだけ見せる。嘘はつかない。言わないだけだ。


 ……アリア姉の顔が浮かんで、少しだけ胸が痛んだ。秘密が、また増える。


 肩の上で、竜が俺の頬に頭をすり寄せた。


 ——だいじょうぶ?


 心配されているらしい。生まれて半日も経っていないのに。


「……大丈夫」


 俺は答えて、籠を持って立ち上がった。採取はもう、今日はいい。それどころじゃない。



 森を出る前に、一つだけ試した。


「ちょっとだけ、ここに入っててくれるか」


 ディメンションルームを開いて、竜をそっと中に入れた。卵のときはずっとそこにいた場所だ。嫌がりはしなかった。けれど、歩き出して少しすると、頭の中に流れてくる感情が、だんだん色を変えていった。


 ——くらい。


 ——ひとり。


 ——どこ?


 最後のひとつが届いた瞬間、俺は道の脇に逸れて、竜を出した。竜は出てくるなり俺の胸にしがみついて、しばらく震えていた。


「……ごめん。もうしない」


 卵のときは平気だったのに、と思いかけて、すぐに思い直した。卵のときだって、平気だったかどうかなんて、わからない。ただ、声が聞こえなかっただけだ。


 緊急のとき以外、あの場所には入れない。そう決めた。つまり、この子は隠せない。家族には、見せるしかない。覚悟が、ひとつ固まった。


 肩の上の小さな重みは、歩き出しても、ずっと温かかった。


 帰り道の途中で、竜は俺の肩に丸くなって、眠ってしまった。寝息のたびに、喉の奥できゅう、と小さな音がした。


 名前を、つけてやらないとな。


 そう思いながら、俺は朝の光の中を歩いた。

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