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11/12

拾った竜に、名前をつける日

孤児院の手前まで来て、俺は足を止めた。


 肩の上では、小さな竜がまだ眠っている。この子をどう紹介するか、帰り道のあいだずっと考えていたけれど、結局「森で拾った珍しい生き物」以上の言葉は出てこなかった。嘘はつかない。言わないだけ。そう決めたはずなのに、玄関の扉がいつもより重く見えた。


 覚悟を決めて、扉を開けた。


「ただいま」


「おかえり……あら、今日は早い——」


 台所から顔を出したアリア姉が、途中で止まった。視線が、俺の肩に吸い寄せられている。


「……レイ。それ、なに」


「森で拾った」


 会話を聞きつけたのか、奥からセルが走ってきて、俺の肩を見上げて、固まった。猫耳がぴんと立って、それからゆっくり、限界まで開いた目と一緒に口も開いた。


「————っ、とかげ! きんいろのとかげ!」


 その声で、竜が目を覚ました。


 きゅう、と寝ぼけた声で鳴いた瞬間、孤児院の空気が変わった。廊下の奥からばたばたと足音が重なって、ニナが、ミコが、ルカが、カインが、ハナが、次々に顔を出した。


「なにそれ!」「とり?」「とかげだよ!」「ひかってる!」「さわっていい?」


「待って、順番——」


 言い終わる前に囲まれた。竜は俺の肩の上で身を縮めて、それでも逃げずに、子供たちの顔をきょろきょろと見回していた。頭の中に、戸惑いと好奇心が半分ずつの感情が流れてくる。


 ひとりだけ、輪に入らないやつがいた。


 カインだ。廊下の壁にもたれて、狼耳を後ろに倒したまま、じっと竜を見ている。怖がっている、というのとは違う。獲物を見る目でもない。なんというか——格上の相手と、間合いを測っている目だった。


「カインも見る?」


「……見てる」


 カインはそれだけ言って、動かなかった。狼の鼻は、たぶん何かを嗅ぎ取っている。この小さな生き物が、ただのとかげじゃないことを。でもカインは何も言わなかったし、俺も聞かなかった。


 騒ぎの向こうから、院長先生が歩いてきた。


 院長先生は俺の肩の竜を見て、立ち止まった。


 長い間、何も言わなかった。子供たちの騒ぎが、その沈黙の周りだけ静かになっていくくらいの間だった。院長先生の目は、珍しいものを見る目ではなかった。何かを思い出しているような、確かめているような、そういう目だった。


「……院長先生?」


「——いいえ」


 院長先生は何かを言いかけて、やめた。それから、いつもの顔に戻って言った。


「翼があるのね。怪我はしていない?」


「うん。元気。……飼っても、いい?」


 院長先生は竜をもう一度見て、それから俺を見た。


「その子は、あなたに懐いているの?」


「たぶん。離れない」


「そう」


 院長先生は少しだけ笑った。


「ちゃんと世話をすること、それを守ったらあとは何も言わないわ」



 夕飯のあと、食堂で命名会議が開かれた。


 言い出したのはセルで、議長もセルだった。竜はテーブルの真ん中に置かれた藁の籠に収まって、全員に見つめられながら、落ち着かなげに尻尾を揺らしていた。


「ぴかぴかだから、ピカ!」


 セルが真っ先に手を挙げた。


「やすやすしい」とカインが言った。たぶん「安直」と言いたかったんだと思う。「じゃあなんだよ」「キバ、とか」「牙ないじゃん」「あるかもしれないだろ」


 竜が口を開けて、きゅわ、とあくびをした。小さい牙が、一応あった。カインが「ほら」と得意げに言ったけれど、名前としては流れた。


「ぱん」


 ニナが言った。理由は聞くまでもなく、ニナの一番好きなものだった。みんな笑って、でも誰も否定しなくて、候補としていったん黒板の隅に残った。


 トーマは何も言わずに首を横に振り続ける係だった。ハナは「女の子か男の子かわからないと決めにくくない?」と本質的なことを言った。


 俺は黙って聞いていた。頭の中には、生まれた瞬間のあの感じが、ずっと残っていた。あの声の温かさは、なんとなく、女の子のような気がしていた。根拠はない。ただそう感じただけだ。


「……あの」


 それまで黙っていたリーナが、小さく手を挙げた。膝の上には、いつもの本とは別の、古い言葉の本が開かれていた。


「ルーチェ、っていうのは、どうかな」


「るーちぇ?」


 セルが首をかしげた。


「古い言葉で、光、っていう意味。……ほら」


 リーナが本のページをみんなに向けた。読める者はほとんどいなかったけれど、挿絵の太陽と、その下の古い文字を、みんなが順番に覗き込んだ。


「ひかり……」


 セルが竜を見た。竜は籠の中で、ランプの灯りを受けて、金色に光っていた。


「……ルーチェ、いいかも」


「ぱんよりいい?」とニナが聞いて、「ぱんよりいい」とセルが答えて、ニナは少し考えてから「じゃあいい」と頷いた。


 カインが「まあ、悪くねえ」と言い、ハナが「かわいい」と言い、トーマが初めて首を縦に振った。


 俺は籠の中を覗き込んだ。


「ルーチェ。……どう?」


 竜は俺を見上げて、それから、きゅう、と一声鳴いた。頭の中に、ぱっと弾けるような感情が流れてきた。生まれた瞬間と同じ、嬉しい、の塊だった。


「気に入ったって」


「なんでわかるの!」とセルが笑って、食堂が沸いた。


 騒ぎの輪の外、食堂の入口に、院長先生が立っていた。いつから見ていたのかはわからない。子供たちが代わる代わるルーチェの名前を呼ぶのを、椅子の背に手を置いて、ただ眺めていた。


 俺と目が合うと、院長先生は小さく言った。


「その子も、うちの子ね」


 それだけ言って、台所の方へ戻っていった。


 その夜から、金色の竜はルーチェになった。



 数日で、ルーチェは孤児院の中心になった。


 朝はセルと追いかけっこをして、昼はニナの絵のモデルになって、夕方はテオの隣で一緒に昼寝をした。ハナが古い布で小さな寝床を縫ってくれて、トーマが木の端材で止まり木のようなものを作った。何に使うのかわからなかったけれど、ルーチェは気に入って、よくその上で羽を畳んでいた。


 事件も、もちろんあった。


 三日目の朝、セルとルーチェの追いかけっこが台所に突入して、洗い終えた皿の山すれすれを駆け抜け、豆の袋を倒し、最後に水瓶の縁でルーチェが急旋回に失敗して、桶の水を半分かぶった。


 アリア姉の「こら」の一言で、追いかけっこは止まった。


 セルとルーチェは、台所の床に並んで座らされた。一人と一匹、まったく同じ角度でしゅんと俯いているのが、叱っているアリア姉の口元を何度か緩ませかけていた。猫耳と翼が、同じタイミングでぺたんと倒れていた。


「台所では、走らない。飛ばない。いいわね」


「はい……」


 きゅう……。


 返事まで揃っていた。その日の夕方には二匹——二人はもう廊下で追いかけっこを再開していたから、反省の中身は怪しいものだったけれど。


 驚いたのは、ニナだった。


 俺が森から帰ると、いつもは真っ先に「れい、おかえり」と来るニナが、その日は俺を素通りして、籠から飛び出してきたルーチェに抱きついた。


「るーちぇ、ただいま!」


「……ニナ。ただいまを言うのは、帰ってきた方」


「るーちぇ、おかえり!」


「ルーチェはずっと家にいたんだよ」


 ニナはきょとんとして、それからルーチェと一緒に、ころころ笑った。直す気が失せるくらい、楽しそうだった。


 アリア姉は、最初の数日こそ少し距離を置いていたけれど、ルーチェが台所の床に落ちた豆を拾って(食べずに)アリア姉の手に乗せた日から、陥落した。今では洗い物のあいだ、調理台の隅にルーチェの特等席がある。


「ねえ、レイ」


 ある晩、台所でアリア姉が言った。


「この子、何を食べてるの? ご飯、ぜんぜん欲しがらないけど」


「……たぶん、俺の魔力」


 半分だけ、本当のことを言った。アリア姉は「ふうん」と言って、それ以上は聞かなかった。聞かない、ということを、選んでくれているのが、最近はわかるようになってきた。



 夜、布団に入ると、ルーチェは決まって俺の腹の上に乗ってくる。


 肩でも枕元でもなく、腹の上だ。重さはほとんどないのに、存在だけは、はっきりとそこにある。規則正しい寝息と一緒に、小さな体温が、布団の中にぽつんと灯っている。


 ハナの「女の子か男の子か」の問いには、結局あの場では答えが出なかった。でも俺は、ルーチェの寝息を聞きながら、やっぱり女の子なんだろうな、と思っていた。理由は説明できない。頭に流れてくる声の、感じとしか言いようがなかった。


 エンシェントドラゴン。伝説の竜。正体は、まだ誰にも言えない。


 でも、今のルーチェは、セルの遊び相手で、ニナの親友で、テオの昼寝仲間で、アリア姉の台所の見張り番だ。


 家族が、一人増えた。


 たぶん、そういうことだと思う。


 腹の上の温かさに合わせて、俺もゆっくり目を閉じた。

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