満月の夜、ルーチェが人になった
ルーチェの夜の光は、それから何度も起きた。
決まって夜更けで、決まって本人は眠ったままだった。光るたびに、ルーチェは少しずつ大きくなった。猫くらいだった体が、もう中型犬くらいある。子供たちは「ルーチェ、おっきくなった!」と無邪気に喜んでいたけれど、俺は内心、別のことを数えていた。
この大きさは、いつまで「珍しいとかげ」で通るだろう。
翼を広げれば、もう食堂のテーブルの幅を超える。飛べば屋根より高い。唸れば、低い音が床を伝う。町の人に見られる前に、何かを決めなければいけない時期が、近づいていた。
隠し事は、隠すものが育つと、一緒に育つ。
最近、それが少し、重い。
*
「人化、っていうのは、つまり、人の姿になれるってこと?」
リーナが、声を限界まで落として聞いた。
場所は食堂の隅、夜。広げているのは、リーナが院長先生の本棚の奥から発掘してきた、例の古い革表紙の本だ。竜の挿絵が載っていた、あの本。
「たぶん。……どこかに、書いてない?」
「探してる」
リーナのページをめくる速さは、最初に会った頃の倍になっていた。古い言葉も、辞書なしで読める範囲がずいぶん広がっている。俺が鑑定のレベルを上げている間に、リーナはリーナで、自分のスキルを磨き続けていた。
「……あった、かも」
リーナの指が、ページの隅で止まった。古い文字の並びを、ゆっくりなぞって訳していく。
「『竜は、長じて、人の姿を、とることあり』……『それは、竜が』——ここ、ちょっと自信ない——『竜が、ともにあろうと、定めたものの、かたちを、映す』」
「ともにあろうと定めたものの、かたちを映す」
「うん。それから、『変化は、月の満ちる夜に、はじまる』」
俺とリーナは、顔を見合わせた。
ルーチェが夜ごとに光ること。卵の頃から、月を見上げる癖があること。リーナがずっと前に書き写してくれた、あの一文。
——竜は、己の在るべき場所を、空に探す。
「次の満月って、いつ」
「……六日後」
*
その六日間、俺は落ち着かなかった。
ルーチェは普段通りだった。セルと駆け回り、ニナの絵のモデルになり、俺の魔力を相変わらず大食いした。でも、夜の光は日に日に強くなって、最後の二日は、布団を頭からかぶらないと眩しいくらいだった。
隣の布団のトーマが、一度だけ、ぽつりと言った。
「……ひかってる」
「……うん」
「きれい」
トーマはそれだけ言って、寝た。この家の子供たちの、こういうところに、俺は何度も救われている。
*
満月の夜が来た。
俺は、ルーチェを連れて、こっそり裏庭に出た。リーナも来た。共犯者には、見届ける権利がある。
月は、屋根の上に、丸く出ていた。
ルーチェは、裏庭の真ん中で空を見上げた。いつもの、あの月を探す姿勢だった。でも今夜は、その続きがあった。
翼が、ゆっくりと開いた。
鱗の縁の光が、いつもの淡い明滅じゃなく、輪郭の内側から染み出すように強くなっていく。月の光と、ルーチェの光が、混ざって、区別がつかなくなっていく。
「ルーチェ……?」
頭の中に、声が流れ込んできた。いつもの感情の塊じゃなかった。もっと、輪郭のはっきりした——言葉に、なりかけている何かだった。
——レイ。
——みてて。
光が、膨らんだ。
俺とリーナは、思わず目をかばった。まぶしさが頂点を越えて、すうっと引いていって——
裏庭の真ん中に、ルーチェはいなかった。
かわりに、小さな女の子が、立っていた。
月の光の下で、金色の髪が、肩の上で揺れていた。年の頃は、俺と同じくらい。まとっているのは、光がそのまま布になったような、淡い衣。
女の子は、自分の両手を、不思議そうに開いて、閉じて、それからゆっくり顔を上げて、俺を見た。
金色の目だった。
生まれた朝、川辺で初めて合った、あの目だった。
「……レイ」
声が、耳から聞こえた。頭の中じゃなく、夜の空気を震わせて、耳から。
「やっと、ちゃんと、話せる」
女の子は——ルーチェは、そう言って、少しだけ不器用に、笑った。
隣でリーナが、本を抱きしめたまま、座り込んだ。
俺は、何か言おうとして、言葉が全部どこかへ行ってしまって、結局、一番間抜けなことを聞いた。
「……喋れたのか?」
「いまから、しゃべれるの?」
ルーチェは答えて、一歩、こちらに踏み出そうとして——膝から、かくんと崩れた。慌てて受け止めると、腕の中の体が、ふっと軽くなって、光がほどけて、いつもの金色の竜に戻っていた。
きゅう、と、疲れ果てた声で鳴いた。
頭に流れてきた感情は、たのしかった、と、ねむい、だった。
人の姿でいられたのは、ほんの数十秒。それでも。
「……すごいよ、ルーチェ」
俺の腕の中で、ルーチェはもう眠っていた。月明かりの下、リーナとふたり、しばらく動けなかった。
これは、もう、隠しきれない。
嬉しさと同じ分量の、その確信があった。
※2026/9/20 台詞を少し修正しました(内容の変更はありません)。




