修繕の槌の音と、帰ってきた日常
それからの孤児院は、槌の音と一緒に秋を過ごした。
返ってきた未払い分の交付金で、院長先生が最初にしたのは、建物の修繕だった。雨漏りのする屋根。建て付けの悪い窓。冬に隙間風の吹き込む壁。三年間「我慢すればいい」の箱に入れられてきたものが、ひとつずつ、箱から出されて直されていった。
大工が入っている間、子供たちはずっと興奮していた。
カインは大工の後をついて回って、道具の名前を全部覚えた。トーマは最初の三日は見ているだけだったけれど、四日目に大工の親方が「坊主、持ってみるか」と金槌を渡してからは、ほとんど弟子のようになっていた。ドワーフの手は、四歳でも道具の握り方を知っているらしい、と親方が感心していた。
セルとルーチェは、足場に登ろうとして、二回捕まった。
「屋根の上、見たいだけなのに!」
「だめ」
ルーチェは自力で屋根まで飛べるようになっていたから、セルだけが地団駄を踏んでいた。不公平だ、と思う気持ちは、わからなくもなかった。
*
壁の塗り直しが終わった日、ささやかな宴があった。
ベックさんが「祝いだ」と言って、大きな肉の塊を持ってきた。オスカルさんは薬湯と、なぜか子供たちの分の蜂蜜を持ってきた。アリア姉が一日かけてシチューを煮込んで、焼き立てのパンが籠に山になった。
第一話の頃の食卓を、ふと思い出した。
麦と雑穀だけの薄い粥。野菜も入らない。あれから、まだ一年も経っていない。それなのに、ずいぶん遠い昔のことみたいだった。
「レイ、食べないの?」
リーナが隣から覗き込んできた。
「食べる」
俺はシチューをすくった。肉が、ごろりと入っていた。湯気の向こうで、セルが二杯目をよそってもらっていて、ニナの口の周りがシチューだらけで、カインが「俺は三杯いける」と宣言していた。
うまかった。それだけのことが、ずっと、こんなに難しかった。
*
翌日、院長先生は朝から出かけた。行き先は聞かなくてもわかった。町外れの墓地だ。
夕方に帰ってきた院長先生は、どこか晴れた顔をしていた。
「ご報告してきたわ」
誰に、とは言わなかった。代わりに、玄関先で建物を見上げて、塗り直された壁を、手のひらでひとつ、撫でた。
「——あなたの孤児院は、まだここにあります、って」
*
夜、台所で、俺は皿を拭いていた。
アリア姉が洗い、俺が拭く。いつもの並びで、いつもの水音だった。違うのは、棚に仕舞う皿の数が増えたことくらい。宴の借り物の皿を、明日返しに行く。
「ねえ、レイ」
アリア姉が、手を止めずに言った。
「ん」
「あの置き文ね。オスカルさんが、大事に取ってあるんですって。額に入れて飾ろうか、なんて言ってた」
「……ふうん」
「私も見せてもらったの。いい字を書くのよね、あの『アシェンの良心』さん」
皿を拭く俺の手は、止めなかった。止めたら負けな気がした。
「丁寧な字でね。一画一画、きちんと止めて、はらって。——トーマの藁の敷き方くらい、丁寧」
うちの子で例えるの、やめてほしい。
「……なんのこと」
「ふふ。なんでもない」
アリア姉は最後の皿を俺に渡して、手を拭いた。それ以上は、何も言わなかった。聞かない、ということを選び続けてくれている人の、これがたぶん、精一杯のからかいだった。
*
布団に入って、ルーチェを腹に乗せて、目を閉じかけたときだった。
まぶたの裏が、ほんのり明るい。
目を開けると、ルーチェが光っていた。
強い光じゃない。鱗の一枚一枚の縁が、月明かりを溜め込んだみたいに、淡く金色に光っている。本人は目を閉じて、規則正しい寝息を立てたままだ。
「……ルーチェ?」
小声で呼んでも、起きなかった。光は、ゆっくりと脈打つように、強くなったり弱くなったりを繰り返している。心臓の鼓動と、同じ律動だった。
卵の頃を、思い出した。孵化の前、殻のひびから漏れていた、あの金色の光。
俺は、鑑定の画面に出ていた一行を思い浮かべた。
——人化:条件未達。
何かが、また始まろうとしている。
今度は、悪い予感はしなかった。ただ、隣で寝ているこの小さな相棒が、また少し遠くへ行ってしまうような、ほんの少しの寂しさだけが、胸の隅にあった。
光は、夜明け前には消えた。
ルーチェは何も知らない顔で、朝の追いかけっこに出かけていった。




