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2/13

昏い森で死にかけて、チートと卵を拾った

 翌朝、俺は早起きした。まだ暗いうちに目が覚めて、そのまま布団の中で天井を見ていた。隣ではトーマが静かに寝息を立てていて、向こうの部屋からはカインのいびきが聞こえる。


 昨日の夜、院長先生とアリア姉が台所で話しているのを聞いてしまった。今月の食材が底をつきそうだと。領主様からの支援金が先月からさらに減って、このままでは来週の食事が心配だと。アリア姉が「なんとかします」と言って、院長先生が「無理しないで」と言っていた。


 来週の食事が、心配。


 つまり、賭けてる時間はない、ということだ。


 だから昨夜は、布団の中でずっと段取りを組んでいた。ただの四歳児が丸腰で森に入れば、犬死にだ。それくらいはわかる。だったら、条件を絞ればいい。入るのは、貧民街の人間が出入りしている境界線の手前まで。時間は、獣の動きが鈍い朝のうち。少しでもおかしな音がしたら、採ったものを捨ててでも走って戻る。逃げ道は常に背中側に。——四歳の足と体力でできることを、できる形に刻んでいくと、眠りに落ちる頃には、頭の中に小さな地図ができていた。


 俺は布団から出た。できるだけ音を立てないように服を着て、台所から籠を一つ持ち出した。


 貧民街の朝は静かだ。夜の騒ぎが嘘みたいに、早朝はしんと静まり返っている。石畳の道を一人で歩いて町はずれに向かうと、四歳の足には少し遠かったけど、昏い森の入口はすぐにわかった。木々が密集していて、朝の光の中でもそこだけ暗く見える場所だ。


 入口の前で少し立ち止まった。怖くないと言えば嘘になる。子供の体に、武器もない。あるのは籠一つと、霧のかかった前世の知識だけ。


 それでも、アリア姉の疲れた顔と、薄い粥の椀を思い出したら、足が前に出た。



 森の中は思っていたより静かだった。枝が頭上で重なって外より薄暗かったけれど、完全な暗闇ではなく、木漏れ日が所々に差し込んでいた。落ち葉を踏む音が思ったより大きく聞こえて、俺は無意識に足音を小さくした。


 そして、すぐに思い知った。


 ——わからない。


 足元の草。木の実。きのこ。どれが食べられて、どれが毒なのか、まるでわからない。前世の知識をひっくり返しても、出てくるのは「山菜は素人判断が危険」という、一番いらない知識だけだった。


 それでも、見覚えのある形の木の実をいくつか、籠に入れた。確信はない。持ち帰って、誰かが知っているのに賭けるしかない。


 焦りが、足音を雑にしていたんだと思う。


 茂みが、鳴った。


 振り向いた瞬間、それは、もう跳んでいた。


 白い塊。額に、短い角。俺より一回り大きい獣が、角を前に、まっすぐこっちに突っ込んでくる——


 体が勝手に横に跳んで、俺は落ち葉の上に転がった。肩のすぐ横を、風の塊が通り抜けた。獣は勢いのまま俺の後ろへ抜けて、太い木の幹に、がつん、と角をぶつけて止まった。


 心臓が、耳の中で鳴っていた。


 立ち上がろうとして、手が滑って、俺は地面の草を握りしめた。


 ——その瞬間だった。


 頭の中に、何かが流れ込んできた。


【ヨモギナ】食用可・すり潰して傷薬


 言葉じゃない。でも、意味がある。握った草の名前と、使い道が、頭に直接、飛び込んできた。


「……なんだ、これ」


 考えている時間はなかった。獣が、木の幹から角を抜いて、こちらに向き直った。前脚で地面を掻いている。次が来る。


 視線が獣を捉えた瞬間、また、流れ込んできた。


【角ウサギ】

 危険度:低

 特性:角による直線的な突進攻撃

 素材:肉(食用・上質)/角/毛皮/魔石(小)


 肉、食用、上質。


 こんなときなのに、真っ先にそこが目に入った。目の前で角を構えているのは、脅威で——同時に、来週の食事だった。


 直線的な突進攻撃。直線的、ということは、曲がれない。


 躱すだけなら、さっきみたいに横に跳べばいい。でもそれを何回も続けられる体力は、今の俺にはない。仕留める方法が、いる。今、この数秒で。


 武器はない。罠を掘る時間もない。掘る——


 掘る?


 違う。掘るんじゃない。


 さっきから、俺の頭には「ありえない」ことが起き続けている。草を握れば名前が流れ込み、獣を視れば弱点までわかる。世界の情報が、一方的に、こちらへ流れ込んでくる。——なら、逆は? 受け取れるなら、こちらから世界に触る道も、あるんじゃないのか。


 地面を見た。獣と俺の間の、湿った土。


 頭の中の、変な感覚の奥に、もうひとつ、別の引き出しがある気がした。開け方を考えている時間はない。だから、考えずに開けた。


 土ごと——しまえ。


 念じた瞬間——獣と俺の間の地面が、ごそっと、消えた。


 深さ俺の背丈ほどの穴が、音もなく開いた。土は、どこかに「しまわれた」。理屈はわからない。わかる必要もなかった。


 角ウサギが、跳んだ。


 直線的に。曲がれずに。


 開いたばかりの穴に、前脚から突っ込んで、ドサッ、と鈍い音を立てて落ちた。穴の中で、暴れる音がする。


 俺は、震える膝で立ち上がって、近くの手頃な石を拾って、穴の縁に立った。


 穴の底で、来週の食事が暴れていた。


「……ごめんね」


 一言だけ言ってから、石を落とした。二回目で、動かなくなった。


 静かになった森の中で、俺はしばらく、穴の縁に座り込んでいた。心臓はまだ鳴っていた。でも、その音の向こうで、確信がひとつ、形になっていた。


 俺には、何かがある。


 この世界で生きていくための、何かが。



 落ち着いてから、確かめた。


 自分に向けて念じてみる。ステータス。


 すると視界の端に、うっすらと文字が浮かんだ。


【レイ 4歳 人族】

 HP:12/12 MP:8/8 Lv:1

 素質:時空間(極希少)

 蓄積:時空間・微

 スキル:鑑定Lv1 アイテムボックスLv1 ディメンションルームLv1

 固有称号:転生者


 鑑定。さっきから頭に流れ込んでくるのは、これらしい。触れたもの、視たものの正体を教えてくれる。


 アイテムボックス。地面を「しまった」のは、これだ。試しに足元の石を念じてしまうと、消えて、出せと念じると戻ってきた。時間が止まっているのか、まったく同じ状態で戻ってくる。


 ディメンションルーム、というのもある。似ているけど、こちらは時間が止まらない空間で、生き物でも入れられる感覚があった。使い分けができそうだ。


 時空間、という素質に、極希少、と注釈がついている。転生者、という称号もある。まあ、そうだろうとは思う。


 俺は、あらためて森を見回した。


 草に触れる。【食用可】。木の実に触れる。【食用・生食可】。別の草。【薬草・熱冷まし】。きのこ。【毒があり触るとかぶれる】——慌てて川で手を洗った。


 さっきまで「わからない」の塊だった森が、一歩ごとに、意味を持ち始めていた。


 これは食べられる。これは薬になる。これは、売れる。


 薄暗い森が、まるごと、宝の山に見えた。


 来週の食事どころじゃない。この森と、このスキルがあれば——あの食卓を、変えられる。


 俺は黙々と採取を始めた。食べられる草、薬草、木の実。鑑定で確かめながら、片っ端からアイテムボックスにしまっていく。


 ただ、鑑定は万能ではないらしかった。いくつかの草は触れても【???】としか出ず、文字が霞んでいて読めないという感じだ。Lv1だからなのか、それとも俺の知識が追いついていないからなのかはわからないけれど、わからないものには手を出さないことにした。


 ……それと、これらのスキルのことは、誰にも知られたくなかった。なんとなくそう思った。目立つのは嫌いだし、院長先生に知られたらもう森に来られなくなるかもしれない。帰るときは籠に移し替えよう。普通に採取してきた子に見せかければいい。



 血抜きのやり方は、なんとなく知っていた。前の世界の記憶ではなく、もっと体に染み込んでいる感覚として。頭でわかるより先に手が動き、近くの小川で処理してきれいにしてからアイテムボックスにしまった。


 手を川で洗いながら空を見上げると、木々の隙間から青空が見える。思ったよりなんとかなるものだ。……いや、正確に言おう。一回死にかけて、なんとかなった。次はもっとうまくやる。


 帰ろうと思って立ち上がったとき——ぞわり、と、うなじの奥が波立った。


 視界の端で、空間が、ほんのわずかに「ずれて」見えた。景色が歪んだわけじゃない。世界の折り目が一枚、そこだけ噛み合っていないような、説明しがたい違和感。さっき見たステータスの、時空間、という文字が頭をよぎった。俺の素質が、何かに反応している。


 引き寄せられるように近づくと、落ち葉の下から、淡い金色の光が漏れていた。俺はしゃがんで落ち葉をかき分けた。


 そこにあったのは、卵だった。人の頭くらいの大きさの、うっすら金色に光る卵。触れると温かい。鑑定を使ってみると——


【???の卵】

 孵化条件:魔力の継続供給

 推定孵化期間:不明

 状態:休眠中

 ※鑑定Lv不足のため詳細不明


 ……???


 詳細不明と出ている。Lv1の限界、ということだろうか。でも金色に光って魔力を求めている卵、というだけで普通ではないことはわかった。


 俺はしばらく卵を見つめた。なんでこんなところに、という気持ちはあったけれど、それより先に「置いていけない」という気持ちの方が強かった。


 孵化条件は魔力の継続供給と書いてあるから、森の中に放置されていたら孵化できないかもしれない。俺は少し考えてから、卵をディメンションルームにしまった。毎日少しずつ魔力を込めてやれば、もしかしたら孵化するかもしれない。後でちゃんと確かめよう。


 立ち上がって籠を手に取り、アイテムボックスから採取した草と木の実を籠に移し替える。角ウサギは籠に入らないから……布で包んで抱えるしかない。まあいいか。


 俺はアシェン孤児院に向かって歩き出した。


 ——玄関で、青い顔をしたアリア姉が待ち構えているとも、知らずに。

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