目を覚ましたら、日本人だったらしい
目を覚ましたら、見慣れた天井だった。木の板を荒く組み合わせただけの染みだらけの天井で、隙間から外の光が細く差し込み、朝だということはわかった。
体が重く頭がぼんやりして、何日も眠り続けたような感覚がある。額に何か乗っていたので手を伸ばして触ると、濡れた布だった。
「レイ、気がついた?」
声がしたほうに顔を向けると、扉のところにアリア姉が立っていた。長い黒髪を後ろで束ねた、うちの孤児院で一番年上の子だ。十四歳のはずだけど、いつも大人みたいに落ち着いている。
「……うん」
自分の声が思ったより小さかった。アリア姉が近づいてきて、俺の額に手を当てた。少し冷たい手だった。
「熱、下がってきたね、よかった、三日も寝てたんだよ」
「三日」
「うん、院長先生がずっと心配してた」
俺はもう一度天井を見た。その三日の間に、何かがあった。正確に言うと——俺は前世を思い出した。
*
俺の名前はレイという。
貧民街で捨てられていたところを院長先生に拾われて、アシェン孤児院に来た。今年で四歳になった。孤児院の子供は全員で十六人いる。
部屋は子供たちで埋まっていて、廊下を歩けば誰かがすれ違って、食堂に入れば必ず誰かが先にいる。アリア姉と院長先生はそれを十四歳と五十過ぎの体でなんとか回している。
三日前まで、俺は普通の子供だった。少なくとも、自分ではそう思っていた。でも熱を出して倒れて、夢を見た。
夢の中で、俺は別の誰かだった。別の国で別の言葉を話し、別の顔をしていて、日本語という言語を使っていた。それ以上のことは霧がかかったみたいによく思い出せない。
名前も、顔も、職業も、年齢も、家族も。何かがあったような気はするけど、思い出そうとすると指の隙間から零れていく。残っているのは、知識の断片だけだった。
起きたら、その知識が俺の中に当然のように居座っていた。前世の記憶、というやつだと思う。正直、混乱した。
三日間、ずっと天井を見ながら整理していた。アリア姉が水を持ってきて、院長先生が粥を持ってきて、カインが一度だけ入口から「死ぬなよ」と言って去っていった。途中でセルが部屋に入ろうとして「だめよ」とアリア姉に止められていた声も聞こえた。その間ずっと俺は考えていた。
結論は、わりとすぐ出た。ここは異世界で、俺は転生者で、前世の記憶がある、それだけのことだ。泣いても戻らないし、騒いでも仕方ない。今の俺にできることを考えた方が早い——そう思うことにした。
*
出された粥は、薄かった。
麦と雑穀を混ぜただけの粥で、以前はもう少し野菜くらい入っていたはずだけれど、最近はそれすら難しいらしい。
一口すすって、俺は、動けなくなった。
まずかったからじゃない。前世の記憶の底から、ひとつの風景が浮かび上がってきたからだ。
湯気の立つ食卓だった。
茶碗から立つ湯気。汁物の匂い。皿の触れ合う音。誰かの笑い声。——誰と囲んだ食卓なのかは、もう思い出せない。顔も、名前も、霧の向こうだ。それなのに、その温かさだけが、体のどこかに焼き付いて残っていた。
俺は手の中の椀を見た。薄い粥が、椀の底を透かしている。
この家の子供たちは、これを「ごちそう」の顔で食べる。薄いことに気づいていないんじゃない。気づいた上で、口に出しても仕方ないと、四歳や五歳で、もう知っているのだ。
……ああ、そうか。
自分の中で、何かが、かちりと嵌まる音がした。
やりたいことが、あるじゃないか。
この食卓を、あの湯気の立つ食卓にする。腹を空かせた誰かが我慢する家を、やめさせる。俺を拾ってくれたこの場所を——この温かい居場所を、守る。
前世の記憶も、名前も顔も思い出せない俺に残った、たったひとつの宿題みたいな風景。だったらそれを、二度目の人生の仕事にすればいい。
俺はもう一口、薄い粥を飲み込んだ。味は同じだった。でも、もう昨日までの粥じゃなかった。これは、俺がこれからひっくり返すものの、味だった。
*
夕方、部屋の外から声が聞こえた。院長先生とアリア姉が話していて、声をひそめていたけど、こっちには聞こえた。
「食料が……」
「そうね、でも……」
内容まで全部は聞き取れなかったけれど、状況は理解できた。
アシェンの町は今、あまり良い状態じゃない。以前の領主が変わって半年ほどが経つ。新しい領主のことはよく知らないけど、孤児院への支援が減ったことは子供の俺にもわかった。院長先生の声が最近少し疲れていて、アリア姉が夜遅くまで帳簿を見ている。
食べ物が足りていない。
守る、と決めたそばから、守るものが削られていく音がする。
翌日、起き上がれるくらいには回復していた。窓から外を見ると、孤児院の裏手に細い路地が続いていて、その先に町の外れが見え、さらに向こうに黒っぽい木々が並んでいた。
昏い森——くらいもり——という名前だと聞いたことがある。貧民街の住人が薬草や食材を採りに行く場所らしい。
食べ物が足りないなら、採ってくればいい。四歳の体で今すぐできることなんて、たかが知れている。でも、ゼロじゃない。
明日、森に行く。
決めたら、腹が減った。
——このときの俺は、まだ知らない。
翌朝の森で、人生二度目の「死にかけ」と、人生で一番の拾い物が、両方まとめて待っていることを。




