見せしめの圧力と、最後の手札
動けば、波が立つ。
大人たちの調べは慎重だったし、俺の置き文は匿名だった。それでも、どこかで波は立っていたらしい。向こうが先に、動いた。
最初は、オスカルさんだった。
買付所から仕入れた薬の中に「規格外の品が混じっていた」という言いがかりで、営業停止をちらつかされた。混ぜたのは買付所の側なのは、誰の目にも明らかだった。オスカルさんは頭を下げて、罰金を払って、店を守った。
「長年商売やって、品で文句を言われたのは初めてだ」
オスカルさんはそう言って笑ったけれど、薬研を回す手の節が、白くなっていた。
次が、ベックさんだった。
衛兵の詰所に納めた肉が「傷んでいた」とされて、詰所に丸一日、留め置かれた。調べと称して、ただ座らせておかれただけだ。夕方に帰されたベックさんは、店の前で待っていた俺の頭に手を置いて、いつも通りの顔で言った。
「心配すんな。ああいうのはな、こっちが何かを掴みかけてる証拠だ」
「……怖くないの?」
「怖えよ。けどな、坊主」
ベックさんは店の暖簾を上げながら、こともなげに言った。
「怖がらせるためにやってんだ、向こうは。怖がったら、向こうの思う通りってことだろ。癪じゃねえか」
*
そして、孤児院にも来た。
二度目の「検分」だった。今度は役人が三人、前より長く、前より乱暴に。台帳を机に叩きつけるようにめくり、納戸の中まで開けさせ、子供たちを並ばせて、一人ずつ名前を言わせた。
名目は検分で、中身は威圧だった。
ニナは途中から泣き通しで、ミコもつられて泣いて、テオまで泣き出して、食堂は泣き声だらけになった。それでも役人は手を止めなかった。院長先生は最後まで背筋を伸ばしていたけれど、役人が帰ったあと、椅子に座る時に、初めて年相応の動きをした。
その夜、セルが夜泣きをした。
セルはもう、めったに夜泣きなんてしない。それが、布団の中で丸くなって、猫耳をぺたんと伏せて、しゃくり上げていた。アリア姉が背中をさすって、ルーチェがセルの腕の中に潜り込んで、それでも長いこと、止まらなかった。
「……レイ」
廊下で、アリア姉が小さく言った。
「無理だけはしないでって、言ったわよね?」
来た、と思った。置き文のことを言われるのかと、一瞬、身構えた。
でも、アリア姉が続けたのは、違う言葉だった。
「……ごめんね。今のは、ずるい言い方だった」
「え」
「無理をしてるのは、大人も同じだもの。あなたにだけ、するなって言えない」
アリア姉は、泣き疲れて眠ったセルの部屋の戸を、そっと閉めた。
「だから、言い直すわ。——レイ。無理をするなら、一人でしないで」
俺は、すぐには返事ができなかった。
「……うん。でも、家族は守る」
「ええ。私もよ」
それだけ言って、アリア姉は台所に戻っていった。帳簿をつけるためじゃない。明日の朝のパンを仕込むためだ。どんな日の次の日にも、朝は来て、子供たちは腹を減らす。アリア姉はそれを一日も止めたことがない。
俺の中の静かな怒りが、形を決めたのは、たぶんこの夜だった。
*
数日後、オスカルさんの店で、大人たちがもう一度集まった。
「潮時だ」
オスカルさんが言った。
「向こうはもう、こっちを警戒してる。これ以上こっちだけで調べれば、次は言いがかりじゃ済まん。誰かの身柄か、店か、——孤児院に来る」
「じゃあ、どうする。やめるのか?」
ベックさんの問いに、オスカルさんは首を振った。懐から、古びた手紙の束を出した。
「最後の手札を切る。……王都に、昔の悪友がいる。今は王国監察庁にいる男だ。堅物で、出世が遅くて、その分、誰の息もかかってない」
「監察庁……」
「不正を調べるのが仕事の役所だ。ヴェルナーという。あいつに、全部送る。通知の写し、樽の話、荷馬車の日取り——例の、置き文の中身もな」
オスカルさんはそこで、部屋をぐるりと見回した。俺の顔の上も、視線が、ほんの少しだけゆっくり通った。
「差出人不明の文だがな。妙に筋がいい。……アシェンには、いい良心が住んでるらしい」
俺は、寝たふりの精度を上げた。
その夜、オスカルさんの書いた長い手紙は、行商人に託されて、王都へ発った。
あとは、待つだけだった。それが一番、難しかった。
※2026/9/20 台詞を少し修正しました(内容の変更はありません)。




