消えた補助金——先代領主の置き土産
数日後の夜、オスカルさんの店の奥の部屋に、大人たちが集まった。
オスカルさん、ベックさん、アリア姉、そして院長先生。子供は本当は入れない集まりだったけれど、俺は「アリア姉の付き添い」という名目で、部屋の隅の椅子に座っていた。寝たふり半分、聞いているのが半分。大人たちも、俺がただの四歳児じゃないことくらい、もう薄々わかっている。それでも「子供は聞いていない」という建前は、全員で守っていた。
口火を切ったのは、オスカルさんだった。
「王都の古い知り合いに、手紙で聞いた。回りくどい言い方で、だがな。——王国の福祉補助は、打ち切られてなんかいない」
部屋の空気が、固まった。
「それどころか、王国の帳簿の上では、アシェンへの補助は今も毎年、満額出てる。孤児院の分も、施療院の分も、街道の補修の分もだ」
「……出てる」
ベックさんが、唸るように繰り返した。
「出てるのに、届いてない。じゃあ、どこに消えてる」
「決まってるだろう。途中に、関所がひとつあるのさ」
オスカルさんは、それ以上の名前を口にしなかった。する必要がなかった。王国とこの町の間にあるものなんて、ひとつしかない。
領主の館だ。
*
院長先生が、ゆっくりと口を開いた。
「……エイベル様が亡くなる少し前にね、私、お見舞いに伺ったの」
静かな声だった。
「あの方、床の中でこう仰った。『補助金の仕組みは、わしが王国に直接掛け合って作った。領主の手を経ずに、王国から町へ届く仕組みだ。これだけは、誰が領主になっても触れん』って」
「領主の手を、経ずに?」
アリア姉が聞き返した。
「ええ。エイベル様は、ご自分の跡継ぎを信用していらっしゃらなかったから。……でもね、亡くなった次の年に、手続きが変わったと聞いたわ。『事務の効率化のため、王国からの交付金はすべて領主の館で一括して受け取り、各所へ配分する』——そういう通知が、町の施設に回ったの」
「一括して受け取り、配分する」
オスカルさんが、乾いた声で笑った。
「受け取るところまでは、やってるわけだ」
誰も笑わなかった。
ベックさんが、太い腕を組んだまま言った。
「つまり、こういうことか。王国は金を出してる。領主が受け取ってる。町には『打ち切られた』と通知が来てる。差額は、まるごと誰かの懐だ」
中抜き、という言葉が、喉まで出かかって、飲み込んだ。前世の記憶にある言葉だった。この世界の誰も使わない言い方で、でも、この状況に一番ぴったりの言葉だった。
「証拠は」
アリア姉が言った。短く、まっすぐに。
「俺の知り合いの手紙だけじゃ、弱い」とオスカルさん。「あれは公文書じゃない、ただの私信だ。それに、王都で帳簿を見られる人間が動くには、訴えがいる。訴えには、証拠がいる」
「動かぬ証拠が、ね」
院長先生が、静かに言った。
動かぬ証拠。
たとえば、『打ち切り』の通知が偽物だという証明。たとえば、領主の館の帳簿の裏側。たとえば、消えた金の流れた先。
どれも、町の人間が普通に生きていて、手に入るものじゃなかった。
「……時間をかけるしかない」とオスカルさんが言った。「買付所には俺が出入りすることになる。仕入れのたびに、見られるものは見ておく。ベックは衛兵の詰所に出入りがある。アリアは——」
「私は、施療院と、他の施設を回ります。うちと同じ通知を受け取った場所が、他にもあるはず。通知の文面を、写させてもらう」
大人たちが、ひとつずつ役割を拾っていく。
俺は部屋の隅で、寝たふりをしながら、自分にできることを数えていた。鑑定。アイテムボックス。夜目の利く小さな体。そして、誰にも見つからずに空を飛べる、金色の相棒。
大人たちの誰も持っていない手札が、俺の手の中には、ある。
*
帰り道、院長先生と並んで歩いた。月が出ていた。
「レイ」
「うん」
「……起きていたでしょう?」
「…………うん」
院長先生は怒らなかった。ただ、前を向いたまま言った。
「エイベル様はね、よく仰っていたの。『正しさは、声の大きさじゃない。帳面の正確さだ』って。偏屈でしょう。でも、私はあの言葉が好きよ」
「帳面の、正確さ」
「ええ。だからね、レイ。私たちは騒がない。叫ばない。ただ、正確に、調べるの」
月明かりの下で、院長先生の横顔は、いつもより少しだけ若く見えた。たぶん、エイベル様と一緒に孤児院を建てた頃の顔が、少しだけ戻っていたんだと思う。
「手伝います」
俺が言うと、院長先生は「子供は寝る時間まで」とだけ答えた。
だめ、とは言わなかった。
※2026/9/19 台詞を少し修正しました(内容の変更はありません)。




