布告一枚で、稼ぎ道が潰された
翌日、俺はアリア姉と一緒にオスカルさんの店に行った。
店に入ってすぐ、空気が違うのがわかった。薬の匂いはいつも通りなのに、オスカルさんの顔がいつも通りじゃなかった。薬研の前に座ってはいるけれど、手が動いていない。
「来たか」
オスカルさんは立ち上がって、店の戸口から外を一度見て、それから戸を閉めた。
「見せた方が早い。これだ」
カウンターの上に、一枚の紙が置かれた。上等な紙に、固い文字が並んでいる。一番下に、領主の印。
アリア姉が読み上げた。
「『布告。領内で採取される薬草類は、今後すべて領主の買付所を通して取引すること。買付所を介さぬ売買は、密売として取り締まる』……」
「指定買付制、というやつだ」
オスカルさんが、吐き捨てるように言った。
「薬草は全部、いったん領主の買付所に売れ。値段は買付所が決める。俺たち薬屋は、買付所から仕入れろ。これも値段は向こうが決める。安く買い上げて、高く卸す。間に挟まった分が、まるごと領主の館の懐に入る寸法だ」
「そんなの……」
アリア姉が言いかけて、言葉を探して、見つからないようだった。
「アズリルの花は」
俺が聞くと、オスカルさんは首を振った。
「もう、うちでは買えん。買えば密売の片棒だ。買付所に持っていけば——まあ、うちが払った値の三分の一も付けば御の字だろうな」
三分の一。
頭の中で勝手に計算が走った。靴十六足が、五足になる。干し肉の欠片が、また消える。数ヶ月かけて積み上げてきたものが、紙切れ一枚で削られていく。
「それだけじゃない」
オスカルさんは続けた。
「肉も似たような話が出てる。ベックのところは、衛兵の詰所に納める肉の値を、一方的に下げられた。文句を言ったら『なら他所から買う』だと。他所なんてないのを知ってて言うんだ」
「……どうして、急に」
アリア姉の問いに、オスカルさんはしばらく答えなかった。薬研の縁を、指で一度なぞった。
「急じゃないさ。少しずつ、ずっとこうだった。それが、目に見える形になっただけだ。……先代の頃は、こんな町じゃなかったんだがな」
その言い方が、昨夜の院長先生と同じ響きをしていて、俺は少し、寒気がした。
*
帰り道、アリア姉はずっと黙っていた。
商業地区の大通りに、買付所になるらしい建物が見えた。元は穀物倉庫だった建物に、職人が領主の紋を取り付けている。通りがかる大人たちが、ちらちらとそれを見ては、目を伏せて通り過ぎていく。
誰も、何も言わない。
言えないのだ。相手は領主で、こっちはただの町の人間だから。
「レイ」
アリア姉が、前を向いたまま言った。
「花のこと、院長先生にどう話すか、一緒に考えてくれる?」
「うん」
「……正直に話すしかないんだけどね。心構えの問題」
アリア姉は小さく笑おうとして、うまく笑えていなかった。
*
夜、布団の中で、俺は天井を見ていた。
悔しい、というのとも少し違う。もっと底の方の、冷たい感覚だった。
角ウサギは、落とし穴で獲れた。鹿は、仕掛けで獲れた。薬草は、鑑定と、リーナの本と、丁寧な採り方で金に換えられた。食べ物が足りなければ森に行けばいいし、金が足りなければ売り方を覚えればいい。この数ヶ月、俺はずっとそうやってきた。目の前の問題は、手を動かせば、だいたい何とかなった。
でも、これは違う。
布告一枚。印ひとつ。それだけで、森も、鑑定も、リーナの本も、ベックさんの講義も、全部まとめて値切られる。落とし穴も仕掛けも届かない場所から、一方的に。
個人の努力で、解決できない問題。
前世の記憶の中に、この感覚を知っている誰かがいる気がした。名前も顔も思い出せないその誰かは、たぶん、こういう冷たさの中で生きていた。
腹の上のルーチェが、もぞ、と動いて、俺の顎の下に頭をすり寄せた。
——だいじょうぶ?
「……どうかな?」
今夜は、大丈夫、と言えなかった。
ただ、ひとつだけ、決めたことがある。
諦め方を考えるのは、やめる。届かない場所があるなら、届く道を探す。それが何ヶ月かかっても。
森に初めて入った日と、同じ決め方だった。
※2026/9/19 台詞を少し修正しました(内容の変更はありません)。




