闇の中で時は止まって-2
遠い街の大学に行くことを選んで、僕は初めて故郷を離れた生活を始めた。あえてそうしたのは、別に過去から逃げたかったとかいうわけではなくて、単に旅行で行ったその街が気に入ったというだけのことが理由だったと思う。
心の奥底ではどうだったかは分からない、ということにしておく。少なくともそのために、高校二年生の夏まではまるで勉強なんてしなかったのに一念発起して頑張ったくらいには、その決断は僕にとっては強い思いを呼び起こしていた。
一つエピソードがある。高校三年生のときに受けた大学入試対策の模試で、たまたま同じクラスの女の子が隣に座っていたということからそれは始まる。
彼女も僕と同じ大学を目指していたらしく、僕は彼女の存在に気づいていたけれど何もせずにいたら、休み時間に彼女の方から声をかけてきてくれて、チョコレートを一粒もらった。雨の降る中彼女は帰って行き、僕はその後ろ姿を、街灯の白い明かりを波紋に揺らめきながら映す水たまりとともに見送った。
たったそれだけのことで僕は彼女への恋に落ち、学校にいる間ずっと、彼女のことばかりを気にかけるようになった。話すきっかけがほしくて、何度もまごついた。それでもどうにか話ができる仲には(その程度の仲にしかなれなかったということでもある)なり、大雪になった受験の日には凍えるような控え室で一緒に面接試験の時間を待ったりした。
僕たちはその後同じ大学に通うことになったけれど、僕の中には彼女に対する浅ましくも激しい熱情が燃えているにもかかわらず、その思いをどう扱えばいいのか、どうすれば結実させられるのか、最後まで(つまり、今まで)ついに分からなかった。
辺根さんのこと、僕にとって最初の恋の相手だった彼女のことを話しておけば、僕は彼女とあの日以来一切接しなかった。徹底的に見ないふりをして、露骨に離れ、日曜日の約束をすっぽかしていたことについても一切話さなかった。
会話を交わすこともなかったし、会話になりそうなことにも一度も遭遇しなかった。高校まで同じ学校に通い続けたというのに。
僕にそれまで通りではないところがあったとすれば、この一点だけだろう。彼女はあの日あの後、どうやら無事に帰ったらしい。彼女に関する噂が僕に聞こえてこなかったことから、僕はそう思っている。
とにかくそうやって彼女と会わなくなったおかげで、あの日彼女に借りた文庫本は借りっぱなしで、まだ僕の手元にある。結局、あの短編集は一話目を読んだだけで、それ以上は読み進めなかった。
読み終えてしまうことで、彼女に接さなければならない理由ができるとでも思っていたのだろうか。いずれにせよ、その文庫本は今も僕の部屋の本棚の、奥にではあるけれど鎮座している。
とにかくこうやって長々と語ってきたように僕は青春を浪費した末に、金型で打ち抜かれるようにしてしか、今ここにいる社会の一員としての自分を作れなかった。僕の手元に今残っているのは、一冊の文庫本と、一枚の折りたたまれたメモ用紙だけだ。
全ては無駄だった。何も残さない戦いだった。戦うというのは結局のところ、いつもそういうものなのだろう、なんて言うつもりはないけれど、そんな風に感じてしまうくらいに、その頃を仰ぎ見てみると、むなしく思えた。
あの化け物の言うなりに走狗となり、あいつの思うままの大立ち回りを演じ、恥をさらして戦い続けた結果、僕は全てを失った。いや、何もかもをあいつに帰すわけにはいかないだろう。一緒にいた間はあれだけ疎ましく思っていたのに、今では、不思議とこんな風に感じられる。




