闇の中で時は止まって-3
この打ち明け話を書き始めたのは二十八日前で、独房のような部屋(白いペンキを塗りたくられて経年をごまかされた会社の寮)や、居心地の良い喫茶店(濃厚なチーズケーキを紅茶と一緒にいくつ食べたことやら)、旅行に行く新幹線の中など、この間に僕が生きたありとあらゆる場所で書き進められた。
僕自身も含めて、全ての登場人物たちの名前は架空ないしは多少なりとも変形してある。僕はこれを誰に対しても意趣返しにする気もないし、誰にも僕たちの思い出、思い出としての過去に侵入させないためのガラスの壁が必要だったからだ。同時に、単なる趣味の悪いパロディに過ぎないとしても、ある種の彩りと輝きもまた。
全ては思い出であり、こうして思い返し、記憶の森の中を歩いていて出会うのは、何もかも、ため息をつかされるようなものだ。それは感嘆や感慨によるものであったり、単なる嘆息であったりするけれど、その全てに対して、その全てを生み、僕と出会わせたものに対してわき上がってくるのは、不思議と感謝の言葉ばかりだった。それは、こうして夜の闇を街灯が無機質な明かりで照らすのを見下ろしている、手すりに身を預けている今この瞬間においてもそうなのである。
残すべきことを何も残さなかった僕にとっては、この打ち明け話こそが生きた証であり、生きた意味となるだろう。それがただ一つでも存在するという思いが、感情が、全てを涙とともにではあるにせよ、その喪失をも含めて受け入れさせてくれているのだろうと思う。
最後の瞬間が迫っている。僕が自分で決めたその瞬間に、全ては終わる、このページの末尾の言葉とともに。
僕はそこにたどり着けるだろうか? まだ多くの出会いへの予感と、思い出へとつながる糸を持っていながら。僕の手には、まだ、たくさんの、たくさんのものが残されている。それはまるで今涙に濡れた視界の中に見える夜空の星のように、確かにそこにある。
それが今僕の目に見えているものだ。僕はそんなものに、そんなたくさんのものに向かって、手を伸ばし続けるだろう。
きっと、いつまでも。




