(2)ある朝-4
僕は幸運だったわけだ。幸運に恵まれたおかげで、外国の古い作家の小説だとか、外国の古い映画だとか、哲学(ごく初歩の部分も僕に理解できていたかは怪しいのだけれど)だとか、空の色だとか、セキレイの歩き方だとかといった、周りには誰にも話せそうもないことについて、僕は話し相手を見つけられた。
今にして思えば、彼女は僕に、本当によくつきあってくれたと感じる。僕の話すことに頷き、相槌を打ち、答え、彼女の方からも話す。僕の知らないことや分からないことを教えてくれて、僕の見たことについて彼女自身の感じ方を伝えてくれた。そんな彼女を僕は尊敬していたし、あこがれた。
それに、この日にはおまけがあった。
――今日は、お祭りに行くんだったよね。
待ち望んだ話題を彼女が口にするのを聞いて、僕の心はつんのめった。
――そうです、そう。何時に、どこで待ち合わせします?
――遅くなるとダメなんじゃないの? 心配されるでしょ?
――いいですよ、どうせ、親は帰ってくるの遅いんで。
――おじいちゃんは?
――友達と遊ぶって言えばいいですよ。割と、こういうことは信頼されてるんで。
――でも、あんまり暗くなる前に帰らなきゃダメだよ。家まで送ってあげてもいいし。
――そこまでは……じゃあ、分かりました。遅くならないようにします。
得意な気分で答えて、神社の階段を見上げると、木々の影の間から、灯りのついていない屋台がのぞいていた。神社の夏祭り(九月を夏と言えればの話。暑さはまだ残っているから、夏みたいな日ではあった)に一緒に行くという約束を、僕は彼女としていた。それがこの日だった。
このことを考えると、自然と胸が躍るようだった。具体的な何かを期待していたわけでもなかったけれど、とても、特別な日になるような気がした――もちろん、いい意味で。実際には、悪夢の影を踏むことになったのだけれど。
いつものように別れることになる交差点に来ると、本当に名残惜しく感じた。彼女と、もっと一緒にいたかった。
しかし年相応の義務を果たさなければならなかったから、僕にできたのは、大げさに別れを惜しむことだけだった。少し離れると、いつものように僕は手を振って、いつものように彼女は手を振り返す。やがて僕は彼女の方から向き直って、自分の通学路に戻っていく。そしてしばらくしてから振り返り、彼女がもう僕の方を見ていないことが分かると、僕は一つため息をつく。いつもこうだった。
教室では学校に来るのが遅かったことを、僕を『ちゃん』付けで呼ぶ連中に揶揄され、僕が「うるさい!」と叫ぶと、みんなげらげらと笑う。僕はたぶん顔を真っ赤にして、わなわな震えるほど本気で怒っていた。
休み時間のたびに、文庫本を広げる僕の耳には名前を呼ぶ声が聞こえて、我慢の限界はあっさりと来てしまうから、全く読むのには集中できない。授業は鹿屋さんに何度も言っていたようにつまらなかったから、いつも、給食を終えるのが待ち遠しかった。




