(4)壁の中という逃げ場(五日前)-2
――まあ、そのときが来たら僕もできる限りのことはするよ。たいしたことはできないけどね。君に、与えられるだけの力を与えて。
――それじゃあ、お願いするよ。
こんな調子で、僕はひどくぼんやりとしながら、話を続けた。
いくら話をしたって無駄だということは、分かっていたはずだった。それでも、こうやって話さずにはいられなかった。時々猫の鳴き声が聞こえてくる気がするたびに、背筋には寒気が走ったけれど、それは気のせいだと自分自身に言い聞かせて、ウーティスに向き合い続けた。
ウーティスはクッキーをぽりぽり食べながら、そして皿に用意してあった牛乳をぴちゃぴちゃ舌ですくいながら、あまり僕の方は向かずに話し続けていた。何もかもをあっさりと、当たり前のことだという調子で。
こいつにとっては、僕と話をするよりも、自分の腹を満たすことの方が、よっぽど重要だったらしい。腹を満たすと言えば、こいつは何か腹に一物を抱えていると言うか、得体の知れないところがずっとあった。そういう印象は、こうやって話をしていても変わらなかった。それでも、僕には一応の形の慰めが必要だったらしく、ひたすらウーティスと、真実を語っているとは限らないこいつと、話を続けた。
確かに僕にとっても、話そのものよりも、ウーティスが、
――もうそう遠くないところに、戦いが迫ってるんだ。
というようなことを、おそらくはわざとらしく深刻そうな様子を作って言いかけたときにだって、自分のはち切れそうな膀胱の方がよっぽど重要に思えて、トイレに駆け込んだのだし。部屋を飛び出したとき、階下から何か騒がしい話し声が聞こえたようにも思ったけれど、気のせいだと考えることにして済ませた。
とにかく、いくら話したって、ウーティスに得体の知れないところがあるという印象は、心の中に残り続けていた。それが一番の問題だった。残り続けたどころか、こんな話をウーティスがし始めたために、ますます強くななっていった。
――ところで、シズカ。
――何。(僕はすっかり膀胱を空にして部屋に帰ってきたところだった)
――君が前に、学校から帰ってくるときに一緒に話してたのは、友達?
――いや……どうでもいいだろ、そんなの。君に、関係ないじゃないか。
――そうでもないよ。君のことは、いろいろと知っておきたいし。身近な人のことは特に、ね。
――どうして。
――その人のこと、大切なんでしょ?これから、きっとあいつは、ポリフェムスはいろんな手を使ってくる。そのときのためにも、どういう戦い方をするのかを考えておかなくちゃいけないんだ。だから、君のことをもっと知っておきたいんだよ。特に君は、いろんなことに気を遣うからね。そういうことで戦いを邪魔されないようにしておかないと。
ウーティスの答えが答えにも説明にもなっていないというのは、このときの僕にも分かっていた。
こいつは何か、肝心なことから注意をそらそうとして、本当に腹に抱えていることを避けてしゃべっている。そのくらいは分かっていた。
しかし、うかつにも僕は、そのことを追求したりせずに、ただその場しのぎの答えを返してしまっていた。ただひたすら、彼女のことを、この会話から追い出したい一心で。
――別に……友達だよ、ただの。
――ずいぶんと、仲が良さそうだったけど。
――友達だって言ってるだろ。
――つまり、それだけ仲がいい友達ってことだね。
――まあ、そうかもしれないけど……
――どんなことを話すんだい?
――本のことだよ、どういうのを読んだとか読んでるとか、そういう。
――ふうん……どういう本の話?
僕は立ち上がって、本棚から何冊か文庫本を取り出して、ウーティスに手渡した。何も分かるわけがないくせに、と思いながら。
ところが、意外にもウーティスはその本を、文字通り体全体を使って広げて、中身を点検し始めた。そして、眉根を潜めたり(言葉の綾)、目をぱちくりとさせたり、うーんと少しうなったりしながらしばらくページをめくってから顔を上げて、
――こんな難しい本なんて読んでるんだ、シズカ。すごいね、君。
――別に……よく分かってるわけじゃないし。すごくも、なんとも……
――いや、すごいよ、きっと。こんな本読んでるなんて。じゃあ、あの友達もこういう本を読んでる、仲間ってわけだね。なかなかいなかったでしょ、そんな人。
――まあ、確かに、あんまりいないみたいだけど……
――前に朝に会ってたあの人も、そういう関係だったんだね?
僕はこの言葉を聞いて青ざめた。地雷でも踏みつけたような、そんな気分だったと思う。
僕はウーティスを見た。異様に大きな目で、こちらを見ていた。黒い眼球、その後ろ側に何を抱えているのか、相変わらず分かりはしない。しかし、その裏にあるどす黒いものが、ちらりと姿を現した気がしたのだ。




