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(2)すがる記憶(七日前)-6

 この日ほど、彼女と話したいという思いが衝動と呼べるほど強くなったりするなんて、それまでに経験したことがなかった。あの日、初めて話しかけようとしていた日を除けば。


 僕は彼女と話したかった。訥々としか話せなかったとしても、どうでも良かった。


 彼女が僕の言葉に応えてくれるのがうれしかった。その感覚が、他の何もかもを、僕に度外視させた。たぶん、彼女の気持ちすらも。今振り返ってみれば、最初からどうやらそうだったに違いないと思える。


 僕たちはきっと同じだった。話しながら、そんな風に感じた。


 単に生活の中に重なり合うところがあったからとか、僕にとって話し相手として都合が良かったからとか、それだけが理由なのではなかった。理由はいくらでもあった。他にも、他にも、他にも(ページが終わるまで繰り返しても足りない)。


 しかし驚くことに、一つの理屈もなかった。何の理屈もなしに、僕は、僕たちはきっと同じだったと思っていたし、感じていた。それが、僕にしか淵源しない思いでしかなかったとしても、彼女には届かない思いでしかなかったとしてもかまわない。


 僕たちは同じだった。そう思いたかった。それを実感するために、彼女の言葉が聞きたかった。彼女の答えを、いや、応えを見たかった。


 僕が、僕という存在が、たとえば僕という存在が時間の織物としてのこの空間に一つの波を立てたとして、その波が彼女に当たり、僕の方まで帰ってくる様を、どうにかして感じたかった。それが、ただひたすら僕が抱き続けた、辺根さんに対する僕の思いの正体だった。


 チャイムが鳴った。仰々しくて間抜けな音。いつの間にか昼休みは終わっていた。ちょうど話が途切れていたせいで、彼女は昼休みの間結局開かれることのなかった分厚い本を書架に戻すために立ち上がった。


 僕は危うく呼び止めるところだった。それがあまりにも間抜けなことだと気づいた瞬間、言葉と一緒に息を飲み込み、心臓が止まって、僕は空気の中でおぼれかけた。


 書架の間から戻ってきた手に何も持っていない彼女は、座っていた僕の後ろを無言のまま通り過ぎていった。図書室の入り口に向かうまでの間に、一度こちらを、座ったままの僕の方を向いた。彼女の方が先に出ていくのが決まった習慣だったから、このときもいつも通りだったわけだ。


 いつも通りに彼女は図書室から出て行こうとして、いつも通りではなく僕の方を一度振り返った。


 きょとんと僕を見つめたその顔。表情と呼べるような表情も浮かんでいなかったその顔。その顔を、くっきりと僕の記憶の中に織り込んで、彼女は図書室から出て行った。


 僕はずっとその顔を、記憶の中の彼女の顔を見つめ続け、やっと立ち上がって、書架の隙間に文庫本を差し込み、教室に戻った。


 教室では、僕は、辺根さんの姿を探すこともしなかった。


 みんなが教室に入ってきた僕の方を見た気がした。僕の方をみんなが見て、何かひそひそ話している気がした。気のせいであってもなくても、どうでも良かった。それもいつも通り。


 ただし、そうやってどうでもいいと思っていられたのも、そんなに長い間ではなかった。はっきりと聞こえたのだ。静かで雑多な言葉で織り成されている喧噪の中で、二つの言葉が。


 『猫』。『死体』。


 ぞっとした。足下が崩れ落ちて、崖っぷちに立っている自分の姿が見えた。寒気がつま先、足の裏から脊髄にまで一気に達して、心臓が凍り付くのが感じ取れた。帳が降りて、あれほどまぶしかった光の中にいたのに、世界の全てが真っ暗になっていった。


 誰かがぶつかったおかげで、僕は我に返った。教室の入り口で突っ立っていた僕は、機械的に箒を動かす僕になった。


 脳裏を、心を満たしていた幻想(現実に根差してはいても、幻想には違いなかった)は窓枠にはめ込まれていた飴細工のようにバラバラに砕け散り、続けて、世界に一つ亀裂が走った。


 吐き気がして、手が震えだした。あれほどどうでも良かったはずの声が、視線が、僕を苛むようになっていた。

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