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(2)すがる記憶(七日前)-1

 あの最悪の戦いの翌朝、学校に行くために家を出ると、またしてもあの猫の死体が僕を出迎えた。


 悪い夢の続きを見ているような気分になり、げんなりとして、そしてぞっとしながらそばを通り過ぎると、ハエが一匹、その死体から舞い上がった。血の色はもはや鮮やかさを完全に失って赤黒く、その三毛の毛皮の色は、ひどくくすみ、汚れて見えた。


 それを目撃したのは、僕だけではなかった。僕よりも後に帰ってきた父と母は、間違いなくそれを見ているはずだった。家では――つまり、その晩と、翌朝の朝食の時には――全く話題に出なかったけれど。意図があってかなくてか(どっちにしたってろくな態度じゃない)、無視を決め込んだということだろう。


 僕はむしろ、粘液まみれで家に帰った言い訳なんてしようがないからとにかく部屋に飛び込んで着替え、汚れまくった服を洗濯機に放り込んでから顔を合わせてから、ずっと祖父の反応の方が気になっていた。何か反応を示すだろうと思ったというよりは、むしろ、何か、僕が家の前で見たものについて知っているに違いないと思ったからだった。


 しかし、意外にも祖父は何も言ったりしなかった。絶対に、ただ黙っているだけでいられるわけがないと僕は思ったのに。それが怖くて、朝に居間でテレビを見ているふりをしている間、ダイニングの様子が気になって仕方がなかった。


 その朝はいつもに輪をかけて静かで、不気味にすら感じた。実は何もなかったのだろうかとも思ったけれど、結局そんなことは全くないという現実に出迎えられてというか見送られて、僕は学校に行くことになったわけだ。


 一緒に学校までの道のりを歩く連中も、目撃者だったに違いない。もうその朝には、僕に対して、いつもとは違う怪訝な目が向けられた。集合場所から、あるいは学校への道すがらに僕の家の前に転がっていたあれを見ることができたわけではなかったけれど、何人かは、そこに来るまでに僕の家の前を通っていたはずだった。


 だから、その日の集団登校の間、ひそひそと交わされて、車の通る音やら何やらでほとんど聞き取れなかった会話の中で、あれが話題になっていたっておかしくなかった。集団登校とかいう馬鹿馬鹿しい制度によって一緒に歩かされているこの連中が何を話しているのかを知りたいと思ったのは、初めてのことだった。


 その感覚は、今まさに目の前にいる、たたきつぶしてやろうとしている虫(便所コオロギとか)がどこに飛ぼうとしているかをじっと見つめる時に抱くものと、よく似ている気がした。


 教室に着くと、彼女――いや、ここでは名前をはっきり言っておこう――、辺根さんを探すのが、もうそこに、その席に座っているかどうかを確かめるのが習慣になっていた。


 ちょうど、教室の後ろ側にあるドアを開けると、彼女の席がすぐ脇にある。いつも決まってそうだったから、その日も、彼女の後ろ姿を見下ろしながら教室に入った。


 何か文庫本を広げて、そこに目を落としている。たぶん僕が読んだことがあるものだったと思う。だとしても、その場では何も話したりはしなかった。僕たちがそういうことをするのは、時間も場所も違うところだった。


 だから僕は、彼女にその一瞥だけくれて、自分の席に向かった。その日は珍しく、僕をはやし立てる声が聞こえなかった。その代わりに、僕なんか眼中にないと言わんばかりに(幻聴もしくは自意識過剰な被害妄想)、みんながそれぞれ持っている話題に夢中だったらしい。


 そうやって話さなければならないことが、いったいどうしたらそんなに見つけられるのだろうと思う。僕はその中で一人だけ、あるいは辺根さんもそうだったのかもしれないけれど、喧噪の中で、ぽつんと浮いていた――と言うよりは、湖底か何かに沈んでいたと言った方が、言葉としては正しそうに思える。


 僕と辺根さんだけが、同じ場所に、同じ地平に立っている気がした。ずっとそうだった。


 僕は自分の席に座った。誰も僕を見ていない。みんなそれぞれに話をしていたり、していなかったりした。


 僕は、引き出しに忍ばせていた文庫本を取り出して、机の上に置いた。鹿屋さんにならって、僕もそれを開いた。僕たちは同じように振る舞っていた。ただし、きっと机の上の目の前の紙の表面の文字の世界に没頭する彼女とは違って、僕は彼女の様子をちらちらと見ていた。


 彼女は、じっと、ほとんど体勢を変えずに、身じろぎもせずに、本に向かっていた。そして時々、正確に言えば周期的にページをめくっていた。僕はほとんど文字を読み進められないまま、彼女の方を見ていた。


 ほとんど真横に、しかも遠いところに(教室の反対側に)いるものだから、顔を完全にそっちの方に向けないと、彼女の様子を見ることはできない。つまり僕は、文庫本を広げながら、あさっての方向ばかりを見ていたというわけだ。


 幸い、そんな僕なんかを誰も見てはいなかった――と思う。見られていたって、正直に言えば、そしてこのときの気持ちを再現して言えば、どうでもよかったし、かまわなかった。


 僕はどうしても彼女の方を、彼女を見たかった。肩にかかるあたりで切りそろえられた髪、今日は束ねられていない髪が、顔の傾きに従って垂れていた。ぱっちりと、そしてくりくりとした目が、数秒間に一度ぱちくりと瞬きをしていた。その日は、灰色をした長袖のパーカーのような服を着ていた(僕はまだ半袖に半ズボンというかハーフパンツだった。女の子は寒がりだ)。袖が余っていて、手の甲の半分くらいが隠れている。その爪は、噛む癖がある(十年以上経っても直らなかった)僕よりも長いはずだった――そこまで見えたわけではない。見えたのではなくて、知っていた。


 記憶が現在の意識を上書きしていた。僕が渇望するものがそこにあるという感覚が、僕の視線を、いや、意識の全てを彼女に向けさせていたのだと気づいたのは、記憶の中に埋もれた彼女の姿を掘り出してみたときに、同じ思いが呼び起こされてからのことだった。


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