(6)のしかかる影-7
ぶるぶる震えながら、僕は目を開けた。幸い、そこにはもうあの化け物、おぞましい蜘蛛の原型をとどめるものは何もなく、その残骸が散らばっているだけだった。その痕跡は、僕の体にまでしっかりと残ってはいたのだけれど。
僕の体を覆っていた装束が、ゆっくりと細かな破片になり、そして光の粒になって崩れていった。同時に、目の前には別の、大きな光の塊が現れた。いつもならばウーティスがそれを持っていくところだったけれど、代わりに、その光はゆっくりと上昇していき、つまり相変わらず頭上にいたポリフェムスの方に向かっていった。
ポリフェムスは、かざした手でその光を吸い込んでしまうと、一拍おいてから、また言葉を発した。
――見事なものだな。力を使いこなしている……この礼もしなければな。お前に贈り物をやろう、名前を言え。
僕は答えないのが、何も言わないのがきっと一番正しいことだと分かっていたけれど、恐怖からの開放と、全身にまとわりつく粘つく感触の不愉快さと、こんな状況に自分が置かれていて、しかもその一番の原因になっているはずの奴がこの場にいない怒りとで、こう名乗ってやろうと思いつき、吐き捨てるように言った。
――僕が誰かって? 誰でもありやしないさ、僕なんてなぁ!
――ふん……お前には手を出さないでおいてやる。それがお前への贈り物だ。
そう答えたポリフェムスの口調には、はっきりといらだちのようなものが聞き取れた。そして身を翻し、スカーフがばさりと大きくたなびくと、次の瞬間にはポリフェムスは姿を消していた。
僕はしばらくの間、呆然と立ち尽くしていた。すっかり素っ裸になって。
しかしやがて、闇雲に走り回った林の中にいるという、自分がどこにいるのかも分からない状態、しかもまるで見通しのきかない中で、放り捨てた荷物があるはずのあのクラブハウスを探し求めた。僕がようやく荷物を見つけ出し、体にはまだ粘液と糸がまとわりついているまま着替えて、またゲートを乗り越えて道路に出ることができた頃には、すっかり日は落ちてしまい、真っ暗で、明かりと言えばずっと遠くに幹線道路を照らすナトリウムランプが見えるくらいだった。
ウーティスが僕の前にまた姿を現したのは、僕が道を歩き始めて少ししてからだった。
――分かってると思うけど、
足下で僕について歩きながら、ウーティスが言った。
――君が見た、あれがポリフェムス。何か話してたみたいだけど、どんなことを言ってた?
――何も。君を探してたらしいよ。
――そりゃそうだろうね。だから隠れさせてもらってたよ。おかげで、ロートスを少し奪われてしまったけど。
――どうでもいいことだろ、もう十分集めたんじゃないの。
――いいわけないじゃないか!君は状況を分かってないんじゃないの?あいつにとられたってことは、あいつが……
――うるせぇよ! 黙ってろ!
自分でも驚くほどの大声が出た。それが効いたというわけでもないんだろうけれど、ウーティスは立ち止まって、やがてぴょんと跳ねて、どこかに駆けていった。方角からして、たぶん、僕の家の方に、道路を通らない最短距離で向かっていったに違いないと思った。
僕は全身悪臭を放つ(このときになって、今更ながら気づいた)粘液まみれで、帰る時間もすっかり遅くなってしまった。ついでに、家を出たときとは服装も違っている。この状況を説明しきる言い訳なんて、思いつくはずもなかった。
化け物を倒したとか、そういう難所を乗り越えたという思いなんて全く起こらず、僕の心は、次に待つ僕自身の生活という『現実』と、どう折り合いをつければいいのか途方に暮れ、いらだちのおかげで、心は噴き出す鍋のように、感情が爆発してこぼれ落ちる寸前だった。そんな中では、ウーティスなんて、そしてあのポリフェムスに出くわしたことだって、あまりにもどうでも良く、憤慨や憤懣の種にしかならなかった。
そして、ようやくたどり着いた僕を家の前で出迎えたのは、街灯の下、玄関の真ん前で倒れ伏し、赤黒い泥粥をその腹から垂れ流している、猫の死体だった。




