(6)のしかかる影-6
――奴はどこにいる。
疑問符なしのその問いは、そいつが発したものだった。凜々しい、ただ不自然なほど透き通った、言ってみれば女性が演じているような、そんな声音だった。そしてその問いに、僕は何も言いようがなかったから、沈黙で答えるしかなかった(命題七)。
問いかけられて、僕はいらだちをはっきりと感じた。目の前の馬鹿でかい化け物をどうしてやればいいのかを必死で考えていたところで、邪魔者がずかずかと僕の思考の中に入り込んだようにしか思えなかったからだろう。
震える体やまとわりつく糸、まだ近づいてきている化け物の方が、僕にとっては重大事だった。
僕はそいつをにらんだ。にらんでもどうにもならなかったけれど、とにかく、返事はこれだと言わんばかりに。
後になってから、僕は極限まで追い詰められて力を発揮するようになると、考えながらしゃべったり、二つのことを同時に考えることができるということを経験で知ったのだけれど、このときも、まだ自分のそんな素質に気づいていないまま、二つのことを考えていた。
つまり、目の前の、目の前になんて絶対に置きたくない化け物をどうしてやろうかということと、頭上の人影が何なのか、どうやって向き合おうかということの二つを。
後者の方が思考はすんなりと進んでいった。あの問い、そこで言われた『奴』とはきっとウーティスのことだと、なぜか理由もなしにはっきり分かった。
そして、あのウーティスと、何度も見てきたロートスのせいでできたらしい化け物に関係があるとすれば、こいつはウーティスが言っていた『悪魔』、ポリフェムスに違いないということも。
僕が演じる『ヒーロー』の劇が、こんなところでいきなりクライマックスに達してしまったのかと思った。しかしその割には、欠かせない役目を負っているはずのウーティスはいないし、何もかもがあまりにも準備不足だった。それどころか、間抜けなことに、僕はどうすればいいのかを全く知らなかったのだから、準備以前の問題だっただろう。
最大の敵であるに違いない、ラスボス(あまり上品な言葉ではないけれど言い換えたりはしない)を前にして、僕はどうすることもできなかった――どうすればいいのかが分からないという意味と、物理的に、化け物の、蜘蛛の糸に拘束されているという意味において。
ポリフェムスが、また口を開いた。
――お前は何者だ。
また疑問符はなし。僕はまた黙っていた。
――お前には、手を出す気はない。お前はこの世界の者で、馬鹿でもないのだろう。だったらここで奴のことについて答えろ。奴はどこにいる。いくらそんな力を持っていても、こいつから逃れられるとは限らないのだから。
僕はまだ黙っていた。
化け物は、こちらにゆっくりと近づき続けていた。僕は意を決して思い切り体と腕をひねった。糸はなおも粘り着いてきた。
思い切り力をこめて念じると、手のひらに小さな光球が現れた。それをつかんでやると、手袋越しにもその熱が伝わってきて、あまり長くは握っていられないことがはっきり分かった。
光球をつかんで(どうやったらそんなことができるんだか)振り回し、僕を拘束していた糸を次々に焼き切っていった。最後に光球を二つ重ねて地面にたたきつけると、爆発が起こって僕は完全に蜘蛛の糸の拘束から解放された。まだ力は残っていた。
膝を曲げてしゃがみ込み、ためを作って僕は思いきり跳躍した。そして空気を蹴ると、化け物蜘蛛の背をめがけて飛び込んだ。
その動線にいたポリフェムスが身をかわした。舌打ちが聞こえたような気がしたけれど、気のせいか、聞き違いだったかもしれない。そうやって、どうにかしてその腹立たしく気色の悪い、怖気の走る、不気味で不愉快で背筋をぞっとさせて息を止めさせすらするものに向かって飛び込んでいくという事実の感触を、僕は薄めようとしていたのだろう。
そんなことを考える間もなく(そんな余裕があったら、僕はためらいに負けていたと思う)、僕の足は蜘蛛の背というか腹というかに突き刺さった。思ったよりも固くはなく、あっさりとその皮だか殻だかは突き破られ、すぐにぐんにゃりとした感覚が取って代わった。
突き破られた皮の穴から、粘ついた液体が、どろりとだらしなく吹き出してきた。足に触れるその異様な暖かさが嫌悪の感覚を呼び起こす前に、僕は化け物の皮を一息に引き裂いた。
何か、野太く、しかし甲高く響き渡る悲鳴のような音が聞こえた。
液体がその傷口から吹き出し、僕は全身にそれを浴びた。とにかく何も考えないようにして、目を固く閉じ、手を打ち合わせて、叫んだ。必要があるんだかないんだか分からないことだったけれど、とにかく必死に、僕は叫んだ。
――カリュブディシーラ……ストォーム!
目を閉じたまま、僕は手の間に現れていたはずの光球を、その熱気を感じながら、引き裂いてこじ開けた傷口にねじ込んだ。
僕が薄く目を開けると、お決まりの爆発が起きたところで、化け物蜘蛛の体は、その爆発によって光とともに木っ端みじんに爆散した。硬い足や皮が木に当たってべきんばしんと派手な音を立て、僕が浴びたのと同じ粘液が、べちゃべちゃという不快な音とともにそこら中にまき散らされた。




