(6)のしかかる影-1
いわばこのようにして、僕の少年期の太陽が地平線に沈んだのだった(某小説からの引用)。後に残されたのは、子供らしい規範から逸脱しないようにしつつ、同時に奇怪な習慣に彩られた『ヒーロー』として生きるという、どうしようもない二重生活だった。
僕が集団登校に参加するようになって、通学路をともにする連中は、全員同じように怪訝な顔をした――そりゃそうだろう。今さら何をまじめくさって、という気持ちだったのだろうから。
それまでより朝に家を出る時間が少しだけ早くなり、同じ年頃から僕のちょうど半分ほどの年齢の子と学校までの道のりを歩くようになったわけだけれど、これほど居心地の悪い時間もなかった。
しばらくの間は、一人で歩き、自由にものを考え、想像し、鹿屋さんと過ごす時間の準備をするような、あの時間の過ごし方がどれほど僕にとって大切だったか思い知るあまり、吐き気がこみ上げてくるほどだった。
少し後になって、初めて猥褻な漫画を読んだとき、身体的な反応として興奮するよりも気持ちが悪くなり、少しの間飲み物を口にすることを拒絶してしまうほどだったのだけれど、それと似たような感覚だった。ただし、それとは違って、慣れたからといって快楽を得られるようになるものではなかった。
吐き気はあまり長くは続かなかったけれど、居心地の悪さといらだちは、時間が経つごとに、回数を重ねるごとに、慣れて感覚が薄まるどころか、どんどん大きくなって、朝の僕の心を圧迫していった。
こんな日々の中では、学校の図書室が、憂鬱な時間の中で妙に慰めになってくれたものだった。そこで広げる本も、そこで会うことになる辺根さんの存在も。
鹿屋さんのことは、できるだけ考えないようにした。姿を見かけたりしないかとか、おかしなことを怖がったりした。あのメモを折に触れて見返したりするようになるのは、もう少し後になってからのことだった。
しばらくの間は、そんな日常が続いた。あまり愉快な状態ではなかったけれど、奇妙な形で(僕にとっては。周りの目にとっては、このときの方が自然な形だったのだろう)安定していた。
しかし本当は、その足下はぐらぐらと揺れている。僕の足下は揺れている、と言うよりも、僕の足はぶるぶると震えていた。
その震えをとても大きくして、文字通り僕の生活を揺るがした出来事についてこれから見てみよう。いろいろな意味でこの出来事は僕にとって衝撃的だったのだから、気は進まないけど、しょうがない。とても重要な人物とも遭遇することにもなる。
その日の放課後、僕は辺根さんと下駄箱を出るところで会い(僕が待っていた)、一緒に帰り道を歩いた。
そういうことを、僕は日常的にするようになっていた。彼女の存在が必要だった。
話をしたりしなくても、一緒に歩くだけで、何か慰められる気がした。何も知らない彼女に、どんな期待も、たとえば代わりを務めるとかいうことを期待できるわけがないというのは分かっていたけれど、彼女と話したかった。
もっとも、そんなに話すことがあるわけではなかった。読んだ本とか、授業のことくらいしかないのだから。僕たちには僕たちそれぞれの世界があって、それが重なり合っているのは、そういうものを通じた、わずかな領域だけだった。
僕はそこから、踏み出してみたいと思っていた。でも、どうすればそんなことができるのか、全く見当もつかなかったし、同時に、なぜそんなことをしたいと自分が思うのかも分からなかった。
鹿屋さんの代わりに話す相手がほしかったという思いがなかったとは言えないと告白してもいいけれど、そんなものを求めるべくもないというわかりきった事実を、僕は早いうちに理解していた。ただ自然な衝動によって、僕は辺根さんを求めていた。もっと露骨な言葉を使ってもいいけれど、そういう話は後にとっておく。




